5.二人の共通点
犯罪予測に使われるのは過去の犯罪データだ。
犯罪発生場所、日時、天気、そして加害者、被害者についてなどその他詳細、それらの膨大なデータを、フィルタをかけて絞っていくことで予測するという、言葉にしたら単純な仕組みになっている。
ただ、膨大なデータからどのように抽出するかは、意外と難しい。
テスト運用初期にAI任せで抽出を行った際、その精度は五割程度だった。
もちろん、五割でも運用していくには十分な結果だったが、運用として配属されたばかりの鳴海が抽出条件を手動で指定して出した予測の的中率は、八割を超えた。
それから正式運用が始まって三年経った今でも、鳴海が手動で犯罪予測を抽出するのが当たり前になっている。
しかしAIではなく、AGI――汎用型人工知能であれば、人間と同じように学習し、経験則だけでなく自らの倫理観などを交えた上で答えを導き出せるようになるはずだ、と言われているのだ。
「滝島教授ですら、AGIはまだ監視システムとしての運用には至らないという結論を出したくらいですもんねえ」
ワイングラスを軽く回す三瓶がしみじみと口にしたのは、三人の母校で教鞭をとる滝島佳嗣教授の名だった。
そして彼は日本におけるAGI研究の第一人者であるだけでなく、ロボ研の名誉会長なのだ。
「そうですね。あくまで今は、というだけで、もちろん将来的には十分に実用に足ると教授は言っていますが」
鳥越の一言に、三瓶が再び身を乗り出す。
「もしかして、何か進展あったの? ていうか、教授元気?」
「ああ、元気だ。熱心に研究されているけど、詳しい進捗状況はさすがに聞かされてないよ。僕が教えてもらえるのは、当り障りのない内容だ」
期待の眼差しを向けられた鳥越が、苦笑いを浮かべた。
「ちょっとお、そこはコッシーが突っ込んで聞いてきてよ。先輩のためにもさあ」
「おい三瓶、俺をダシにするな。それに、いくら家族でも研究内容をべらべらと話すわけにはいかないだろ」
テーブルを超える勢いで鳥越に詰め寄る三瓶を、鳴海はやれやれとばかりに押し返す。
鳥越にとって、滝島教授はたった一人の家族だ。
とはいえ二人の間に血のつながりはない。
滝島教授と鳥越の父親が学生時代からの友人で、鳥越が産まれてからも家族ぐるみで深い付き合いがあったのだと、聞いている。
だから、独身の教授が天涯孤独になった鳥越を引き取ったことは、自然な流れだったようだ。
「だって、先輩だって知りたいでしょう? 夢じゃないですか、汎用的人工知能って。完成したら、ロボットと人間は完全に友達になれるんですよ。これを夢と言わずしてなんと言うんですか」
「確かに、そこは同意するけど」
AGIが実用化に至れば、その活用方法は各段に広がる。
それこそ、人間に代わってありとあらゆる職務をこなすことが可能だろう。
そしてAGI搭載のロボットは人格とも言える自己を持ち、まるで人間のような振る舞いができるようになるのだ。
つまり三瓶の言う通り、本当に心を通わせることができる可能性が高まる。
鳴海にとっても、前者よりも後者の方が断然魅力的だった。
「僕だって、先輩や三瓶の気持ちも分かりますよ。正直に言えば、教授の研究がどこまで進んでいるのか、とても気になります」
「それなら、今度教授も誘って飲みに行こうよ」
「そこで『研究室に遊びに行こう』と言わないのが、お前らしいな」
「やだなあ、先輩。研究室なんて行ったら、堅苦しい話になるじゃないですか。酒が入ってこそ、裏話ってのは聞けるんですよ」
上機嫌でワインを飲み干した三瓶の言葉に、鳴海と鳥越は呆れた顔で息を吐いた。
「先輩のおかげで、第一方面の治安は本当に良くなりましたよね」
店に入ってから一時間ほど経った頃、三瓶が酔い潰れているのをため息混じりに眺めながら鳥越がしみじみとした様子で口にした。
首都警察がエルダイト・アイを正式導入してからの二年で、首都である第一方面の治安は画期的に良くなっていた。
犯罪発生件数は減り、犯人検挙率は上がっている。
「エルダイト・アイとそれに関わる全員、つまり滝島教授と首都警察全員の力だよ」
「そうですね、全員の力ですよね」
頷きながらも、鳥越はどこか憂い顔で烏龍茶の入ったグラスをテーブルに置いた。
次第にグラスを握る手には力が入っていく。
「……でも、まだまだです」
しばらくの沈黙のあとで、鳥越は絞り出すようにしてそう口にした。
彼の言いたいことは、すぐに理解できた。
どれほど的中率が高くとも、犯罪予測は万能ではない。
エルダイト・アイにかかわってから、鳴海や鳥越が必死で取り組んでも変わらないことがある。
「殺人事件の発生件数か……」
鳴海が呟くと、鳥越は深く頷いた。
「強盗殺人は、そもそも強盗自体の件数が減少したことに比例して、減っています。ですがそれ以外は他と比べると、変わらないと言ってもいいくらいです」
「ああ、俺も数字は見ているよ」
監視カメラの設置数や、パトロールロボットであるケイビ君の配置によって、殺人事件の件数は僅かに減少している。
しかしまだ年間で七〇件近く発生しており、他の犯罪と減少率を比べると、どうしても見劣りしてしまう。
それはまるで、監視システムがいくら充実しようと、殺人を犯すような人間を抑制することなどできないと言われているようだった。
「どうしたら、あいつらを止められるんですかね」
鳥越の声は掠れていたが、グラスを握る手にはさらに力が入っていた。
このままでは割ってしまうのではないかと心配になるほどだ。
彼の気持ちは痛いほどに理解できるのに、うまい言葉が出てこない。
今何かを言っても、きっと何の慰めにならないと分かっているからかもしれない。
「もう、僕たちのような想いは誰にもさせたくないのに……」
僕たちのような想いという言葉が、鳴海の心に深く沈みこんでくる。
鳴海の弟が通り魔に刺殺されたのは、鳴海が一七歳、弟が十歳の時だった。
少し年の離れた弟を鳴海はとてもかわいがっており、兄としてだけではなく、時には父親のようにさえ思っていた。
仕事の忙しい両親に代わり小さい頃には保育園の送迎をしたり、夕飯の準備をしたり、風呂に入れたり、そんな風に密にかかわっていた。
そのおかげか、兄弟の仲は近所でも評判になるほど良かった。
その日もいつものように学校へ送り出し、自身も高校に行った。
いつも通り帰宅して、いつも通り宿題をみてやりながら夕飯の支度をする、予定だった。
それが崩れたのは、一本の電話からだった。
病院から小学生の下校時間を狙った通り魔に刺された弟が運ばれたと連絡があり、駆けつけた時にはもう彼は息をしていなかった。
遺体安置所で小さい手を握り締めたまま、鳴海は両親が駆けつけるまで動けなかった。
そこからの記憶はあまりない。
食事に興味がなくなったのは、弟を失ってからだ。
気がついたら大学に入学していた。
ロボット工学に進んだのは、多分弟がロボットを好きだったからだろう。
気持ちの整理ができたかと問われれば、まだだと鳴海は答える。
だがそれでも、エルダイト・アイと共に犯罪予測をし、犯罪率の減少に貢献していることで少しは踏み出せていると思う。
「そうだな。誰にも、させたくないな……」
俯きながら辛そうに顔を歪めたままの鳥越も、鳴海と同じように家族を犯罪者に殺されている。
鳥越の両親は押し入ってきた強盗殺人犯から護るため、幼い彼に覆いかぶさったまま刺殺されたのだ。
両親の腕の中で両親が息絶える姿を見続けた彼がこうして警察官になったのは、ある意味当然の流れだったのかもしれない。
彼の過去を知ったのは、大学三年の時だった。
誰かから鳴海の弟について聞いた鳥越が、自分も被害者家族なのだとそっと打ち明けてきた。
以来、時おりこうして互いの傷に触れるような時間があった。
二人ともそれほど饒舌に語る性格ではないが、黙っていても理解し合える何かがあるようにも感じられていた。
今も沈黙が続いていて、お互い過去と向き合っている状態だが、ただの苦痛な時間とは少し違っている。
これが自分の部屋でひとり考えているのなら、耐え難い時間だったことだろう。
「僕は、あきらめません。いつか必ず、殺人すらもエルダイト・アイで未然に防げるようにしてみせます」
十分以上続いていた沈黙を打ち破ったのは、鳥越の強い言葉だった。
「ああ、俺も微力ながら力になるよ」
深く頷いた鳴海に、鳥越は「先輩がいれば、百人力ですよ」と顔を綻ばせた。