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お尻がつかないように膝を立てて屈み込む。目の前にあるふかふかの土の地面は、耕したときと変わらない。それが違和感を覚えさせた。
ジャガイモの芽もそうだけど、雑草も生えてない。何もないただの土の地面なんておかしい。
「土地が枯れてるの?でも、林の木々の葉も含んだ腐葉土みたいだし、耕したときにミミズもいたから悪くはないはず」
「土壌のマナの性質が合わないじゃないですかね?」
驚かなかった。声をかけられるまで気付かなかったけど、今回は驚かなかった。真横に気配なく、私と同じようにトーマは屈んでいる。睨み付けながら確認したらニッコリ笑い返された。流石アサシン。しかもトップの男。素早いし、動じないから頼もしさもあるけど、もう私にはそのアサシン的驚かせ方?は効かない。
平静に、品良くよく分からないワードについて聞こう。
「どじょうのマナ?」
駄目だ、聞くんじゃなかった。今の言い方アホの子っぽい。聞かれたトーマもニヤニヤ笑ってるもん。
「マナって言うのは森羅万象に宿っている力ですね。魔力の源とか言われています。俺にもお嬢にも宿っているし、木や地面、自然から発生したものに宿っている。人間の持つ魔力値ってあるでしょ?それはどれくらいマナを体内に蓄積できているかって数値らしいですよ。マナがあるから魔法が使える。それほど重要な要素で、この世界を構築しているって言っても過言じゃない。まあ、俺は専門じゃないんで詳しくは分かりませんが、多分、畑の作物が育たないのはこの地面に宿っているマナの性質と合ってないんだと思いますよ」
丁寧に説明してくれたトーマから地面に視線を向けた。農家生まれとしては、黒土の地面は作物を育てるのに適しているようにしか見えない。
「土地に宿るマナは周辺の環境に性質を左右される。火山地帯なら火属性、湿地や水源の周辺は水属性ってな。農村に重要なのは土属性だそうです。土属性のマナは作物の生育に関わってくるんですよ」
「この家も農村に属していますけど、土属性のマナが少ないということですか?」
「周りを見てください。この家の周辺には木が多い。木々を育たせるのは木属性のマナだ。この家の地面は土属性よりも木属性のマナが豊富なんでしょ。木だけが育ちやすい土地だから、作物のジャガイモが育たないし、雑草すら生えない」
「なるほど!凄い知識です、あなたに知らないことがないのですか?」
心の底から感動してしまった。何でも知ってることに尊敬すらしてしまう。
それなのに、当の本人は目を細めて私を睨む・・・違う、呆れている感じ?そんな目で見てくる。
「いやぁ、この世界が成り立っている基本中の基本の話なんですけどね。それを知らないってことは、どんだけ魔法の授業をサボってたんですか?」
「サ、サボッていません!」
サボっていました。魔法を使えたら将来死ぬからサボるしかなかったんです。
ああ、トーマの呆れ果てた視線が痛い。お父様やお兄様、学校のクラスメイトから向けられる蔑みの目よりも遥かに威力がある。駄目で馬鹿な女って絶対に思われた・・・。
そうやって落ち込もうとしたら、頭を撫でられる。髪を梳かすように撫でてる。優しい笑みを浮かべたトーマが。
「サボってたでしょうよ、基本の話を知らないんだからな。全く、お嬢は世間知らず過ぎる。心配で目を離すことができませんよ」
なんかこう、甘えたくなるような言動は止めてほしい。意識しないって決めてるのに意志が揺らぐ。
駄目、髪を触らせるとか駄目。さり気なく体を離して手を、寄ってきたんですけど、この人!?また近付いてきた!照れる!止めて、いや、話を戻そう!話を戻して妙になった雰囲気を変えよう!
「ど、どうにかしてマナを土属性にできませんか?」
声が上擦るー!無理だ、平静にとか無理。どうしよう!
なんて右往左往しかけたけど、トーマが撫でてた手を引っ込めてくれたから落ち着いたっていうか、呆気に取られたっていうか・・・まあ、名残惜しく思うとか恋愛小説みたいにはならないよね。私は恋愛対象じゃないし。
「マナの変換はそんなに難しい話じゃないですよ」
「そうなのですか?」
希望が見えてきた!って一瞬喜んだら、どこからか、いつの間にかトーマが片手に持っていた本のタイトルで思考停止になりかけた。本には「よいこのまほう」って大きく、幼児でも読めるように書かれている。
「児童向けの魔法の教科書です。この辺りは学校がないから、家庭学習用に商店で販売してるんですね。種芋を買いに行ったときに見かけたんで、一緒に買っておきました。これを参考にしながら『マナの変換』をしてみましょうか」
嘘でしょ。ここへ来て魔法を使わないといけないの?魔法を使わないように極力避けてきた人生を歩んだのに、畑のために魔法を使わないといけないなんて・・・真っ当に使ったら、巡り巡って私は死ぬんだけど?
「いや、あの・・・私、魔法は」
「使えないわけじゃないんですよね?だったら、ここで扱えるようになっておけばいい。これからはお嬢と俺の二人で生活していくんです。簡単な魔法でもいいから、使えた方が楽に生活できます」
「ならば、トーマが使ってください。あなたなら基本も知っていましたし、私みたいに暴走せずしっかりと制御ができるのでは?」
「俺に振るのはナシですよ。この畑をどうにかしたんなら、お嬢が扱うべきなんです」
正論。ぐうの音もでない。
それに、いくら魔法を使いたくないからってトーマに頼るのは間違っていた。だって、この人は魔法が使えない。
「それに俺は魔法が使えません。魔力値が低いというか、ほぼ無いに等しい。鍛えてどうにかなるレベルでもないんで、魔法に関しては期待しないでください」
そう、ゲームでも攻略キャラの中で一人だけ魔力のステータスが一桁だった。魔法も一切使えなかった。その変わりに素早さと力が異様に高いゴリラ系アサシン・・・それって肉弾戦最強ってことじゃない?やっぱりこの人怖いわ。
「というわけでお嬢が適任なんです。大丈夫、マナの変換は児童向けの教科書にも書いてある簡単な魔法ですから」
ズイッと差し出されたから受け取るしかなかった。
凄くやりたくないけど、畑のためにはやらなきゃならない。それに、私はもう悪役としての道から外れている。十数年間を費やして周りを評価をガタガタにした私が、簡単な魔法が使えたからっていって大魔法使いだと持ち上げられるわけがない。持ち上げる人もいないし。
「またトランスですか?」
「違います」
考え込むとすぐに言われる。もう分かってる。トーマの言うトランスは、現実に引き戻すための文言。思考で立ち止まりがちの私へと行動を促すために言う。あと、からかうため。私の反応が面白いから言ってるんだ。
行動はする。でも、トーマのペースには飲まれない。しっかりと思いながら教科書を開いた。一ページ目に難しい単語を使わずに書いてある「まほうはイメージ」。いや、抽象的過ぎでは?
「まほうは、イメージ・・・」
思わず口に漏らしたら、トーマも教科書を覗き込んできた。灰色の瞳が文字をなぞるように動いて・・・いや、トーマじゃなくて教科書を見なさいよ私。
視線を戻して続きを読む。
「まほうは『なってほしいこと』をおもうのが、たいせつ・・・なってほしいこと」
「強くイメージしたことに体内のマナ、つまり魔力が反応して発動する。簡単に言えばそんな感じでしょ。俺は使えないからアドバイスもできませんが、教科書の記載に則ってやってみれば大丈夫ですよ」
「・・・」
マナの変換に関するページまで捲る。七種類のマナのことと、その変換について書いてあった。マナの変換ができれば、物質の変換や変質も可能とか簡単な言葉で書いてあるけど、今はマナの変換について読み込む。
「せかいのすべてには、マナがあって、しぜんにはぞくせいがある・・・属性を変える・・・さわって、ねがう。からだのなかのマナをだすように・・・出す、放つ・・・」
畑の土を手で触れた。その手から出すようなイメージ・・・乾燥した木の匂いがする。不快には感じなくて森の中にいるような感じ・・・それを土へ。畑を耕したときに感じた濡れた土の匂いを・・・?
「温かい?」
触れていた部分がじんわりと熱を持った。私の手の温度が映ったかと思ったけど、私の手自体は冷えている。畑の土が温い。高温じゃなくてぬるま湯のような、今の季節には心地いい温かさがある。
ゆっくりと手を上げた。そうすれば、その下に小さな双葉がひょっこり生えていた。
「いつの間にか植物の芽が生えてます!」
「成功だ、マナの性質が変換されたみたいですね。聞いていた割には普通に魔法が・・・お嬢、体調は悪くないですか?」
「・・・え?」
どうやら私のマナの変換魔法は成功したみたいで、喜びたかった。でも、トーマの言葉と視線を感じたからそっちを見ようとしたら、目が回った。
クラリとして体を支えていた足に力が入らなくて、お尻から地面に落ちそうになる。
「おっと、危なかったな」
だけど、背中を支えるものがあったから尻もちをつかなくて済んだ。目が回りそうだけど、何が支えてくれたのか確かめようと探す。
トーマの顔が上にある。私は見上げていて、頬に硬い・・・これ胸筋?トーマに抱きしめられている?
「あ、あの」
「暴れないでください。すげー顔色悪いんで、俺が支えないと倒れますよ」
「顔色、悪いのですか?」
よく分からない。トーマの顔が近くて恥ずかしいけど、どこかフワフワする。頭が、体が浮きそう。
「貧血みたいな状態ですね・・・慣れていないのに集中して魔法を使ったからか。放出した魔力がお嬢の限界を超えたのかもしれない」
「そう、なのですか?今まで、多少使ったときは、こんなこと」
「とりあえず、立ち上がりますよ。俺にしがみついてください」
・・・照れるとか言ってる場合じゃないわ。言われた通り、腰に手を回してしがみ、腹筋もすごいんだけどこの人。どんだけ鍛えてんの?岩石の化身?
「大丈夫ですか?」
「・・・なんとか」
肩をしっかり持って、しがみつく私を支えてくれる。そんな優しい人を一瞬でも岩石の化身とか思ってごめんなさい。
「ごめんなさい」
「謝る必要はないですよ。俺がお嬢の魔力の限界を認識できてなかったせいですから」
「いえ、そのことではなく・・・その、いつも助けてくださってますから、何かお礼をさせてください」
「今の弱々しい声がかなり可愛いんで十分です」
今、何て言った?聴覚も弱ったらしくこもっていて聞こえなかった。もう一度言ってもらおうと、見つめることで促す。トーマは見つめ返すだけ。
「・・・休憩しますか。畑のジャガイモも急激に成長はしないでしょ。今日はゆっくり体を休めて、明日に備えないとな」
さっき言ってたのと違う気がする。でも、言ってることは間違ってない。口も重いし、頷くことで答えた。
「家に戻ったら焼き菓子でも用意します。食べて寝れば回復しますよ」
そんな暢気な声を聞きながら、トーマに身を任せて畑から離される。
用意されたお菓子を食べて、うたた寝をしてしまったら、起きたときには日は沈んでいた。明かりのないせいで畑の様子は見れないから、また明日。
明日になったら畑の様子を見ないと・・・───。
───・・・翌朝。身綺麗にして、いつもより優美な、貴族が日常で着るドレスに着替えると畑に向かうために階段を早足で降りた。
キッチンにいたトーマに視線を向けられる。「おはようございます」って声をかけて中庭へのドアに向かえば、後ろから「おはよう」って笑い混じりで言われた。
私の様子がおかしいみたいだけど、気にせずにドアを開く。正面に見えた畑には、ジャガイモの芽が等間隔に芽吹いていた。嬉しくなってトーマへと振り返る。
「ジャガイモの芽が出てます!」
「良かったですね、お嬢」
吹き出していたけど返事をしてくれた。一緒に喜んでくれた彼にキッチン台を挟んで近付く。
「これで畑の心配はなくなりました。このまま世話を忘れずにすれば、二ヶ月後には収穫できますよ」
「お嬢が頑張ったおかげだな」
「あなたも手伝ってくださったじゃないですか。本当にありがとうございます」
「・・・」
言葉は返さずに、トーマはキッチン台を回り込んで私の目の前に立つと、持っていたカップを手渡してきた。温かさと紅茶の香りを感じる。
「ありがとうございます」
それにもお礼を言って一口飲んだ。
「俺はお嬢が喜んでくれるならそれでいいんです。ここに越してきてからは毎日楽しそうにしているだろ?それを近くで見られればいい。王都じゃあ、いつも緊張していたからな。楽しそうなことは何も無いって思わせるほど辛そうだった」
「っ、ぐ・・・」
突然何を言い出すんだ、この人。驚いたせいで紅茶が器官に入りかけた。咽ないように注意して飲み込んで、トーマの顔を見上げる。
「いきなり何を言い出すのですか。そんなことはありません。王都は、グラン家は私の本来在るべき場所ですし・・・」
語気が弱まっていく。核心を突かれているから、動揺してはっきり言い切れなかった。
トーマの顔からも視線を落とそうとしたら、慰めるように頭を撫でられる。
「はぐらかしたって無駄ですよ。俺はお嬢が赤ん坊のときから風呂、トイレ、寝る時間以外・・・あと学校か。それ以外の時間はいつも側にいたんだからな。お嬢の変化は手に取るように分かります。緊張しなくなるのは俺と遊んでいたときか、小説を読んでいるときくらい。それも学校に行きだしたらなくなった・・・心配だったんです。いつか、おかしくならないかって」
「おかしくなんてなりません。私はやるべきことをやろうと頑張っていたのです」
生き残るために周りの人間達からの評価を落とす。令嬢っていう肩書だけの駄目な女って思わせる。それを達成するために日々緊張はしていた。気を緩ませるわけにはいかなかった。
トーマには見抜かれていたみたいだけど、この人は「真相」は見抜けていない。全てを知っている私の苦悩は知ることはできない。
「その結果がここでの暮らしです。これが今までの報酬というのなら、喜ぶことしかできません」
「報酬ね・・・」
頭を撫でていた手が落ちて、私の肩に乗せるように触れる。
「確かに、楽しそうに畑をひっくり返していたお嬢の姿は報酬ですね。ここでのお嬢は健康的だから見ていると楽しいです」
「私は見世物じゃありませんけど!?」
何かムードあるなって一瞬でも思ったのが間違いだった。ニヤニヤ笑うトーマの顔が腹立たしくて堪らない。殴ったら仕返しされそうだから殴らないけど、怒ってるって示すためにそっぽを向いてやる!
その瞬間、柱時計が時刻を知らせるために鳴り出して、遠くから馬車の走る音が近付いてくる。
「・・・迎えだ」
「ええ、そうですね」
そっぽを向いていた顔をトーマに戻した。見えたのは優しく微笑む顔。
「一日二日の辛抱です。終わったらすぐ帰りましょ。ああ、そうなると畑の雑草もすげーことになってますよね。帰宅早々だと大変だろうから俺が抜きますよ」
もう、あなたはここに帰ってこない。
聖魔祭でトーマはヒロインに出会う。ゲームではリスベットのお付きで洋菓子店を訪れ、そこでヒロインに一目惚れをする。恋に落ちた彼は、他の何も見えなくなりヒロインだけをその目に映す。とても一途な人。それがトーマ。
リスベットである私にはもう介さない。ゲームと違って悪役令嬢も降りた。私は誰の目にも止まらず、魔女にもならず、ヒロインの物語に登場することもない。いずれグラン家から与えられる責務を全うするだけ。きっとそれは平穏な生活。その先で、余裕ができたら自分の夢を叶えたい。
トーマと離れることを寂しく感じてしまう気持ちは封じる。あと少しで、私の生き残るっていう望みは叶うんだ・・・───。