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「・・・召喚者がどなたかご存知ですのね?」
「はい、ですから皆さんと一緒にいることはできません。南側を突破したのも恐らくは彼でしょう。すぐに私の元にやって来ます。非常に残酷で他者の命を軽んじている人です。その場に他の方がいたら、彼は必ず殺すと言い切れます」
優しく触れてくる手から自分の手を引くと、握り締めていた結界石を渡す。
ソニアさんの手のひらの上で淡く煌めく。失われない聖なるマナの量から、力を発揮していると分かる。
「これは結界石ですね」
「はい、この結晶だけでも確かな力はありますが、相手は魔王と呼べる存在になりました。無数の闇の眷属を従えています。ですので、ソニアさんは結界を張れますか?」
「お義父様には遥かに劣りますが、一般の魔法使い程度の効力のものなら」
「充分です。この結界石とソニアさんの結界で二重に皆さんを守ってください。私があの人を」
離れようとしても背後のアサシンが許してくれなかった。ずっと握られていた腕に力を加えられる・・・本気でへし折ろうとしている?
「痛いです」
「聞き分けのない方を従わせるには痛みしかないので・・・馬鹿な真似は止めてください。あなたにもしものことがあれば、俺は頭領にぶっ殺されます」
・・・確かに、それはそう。
今までの言動からトーマは部下思いだと思うけど、優先順位はある。あの人は愛する人が一番って思考だから私がセルジュ王子の手に渡ったなんて知った瞬間、部下だろうとも処罰する。簡単に殺すだろう。
赤い瞳のアサシンが力づくで言うことを聞かせようとするのも分かる。身内贔屓のトーマに殺されるなんて考えたら絶望しかない。
でも、私がアサシンの言うことを聞いたら皆殺しは確定されてしまう。
「何事も起こりません。お話をするだけです」
「話して分かる相手じゃないって知ってるので無理です。頼むから言うことを聞いてください」
「ああ、彼の人柄をご存知なのですか。では、なおのこと離してください。この場で問答を繰り返している時間はないと分かるでしょう。相手は恐ろしい思想の持ち主です。現状から考えるに力も増しています・・・私でなければ、お話すら不可能だと思います」
「・・・」
本当に時間がない。だから離してほしい。喧騒が大きくなっている。外にいる魔法使いやアサシンが挑んでは倒されていると分かる。
折れて、お願いだから折れてほしい。あなたも絶対死なせないし、トーマに殺されるようなことにはならないと分かって欲しい。
「アサシン、彼女を行かせていただけないでしょうか?」
「・・・俺の主はアシュレイ様だ。あなたは命令を下せる立場じゃない。ただの護衛対象です」
「分かっております。命令ではなくお願いです・・・リスベット様は自身にしかできないことを成そうとしています。彼女はアシュレイ様の妹君ですから、とても頑固な方です。我々では強固な意志を曲げることなどできません」
頑固って言われた!?そんな風に思われていたの!?地味にショック・・・だけど、ソニアさんは私の意思を汲んでくれていた。
「わたくしも共に罰を受けます。ですから、リスベット様の願いを叶えてくださいませ」
「・・・あなたと俺じゃ処罰の度合いが違うと思いますが・・・もう、いいや」
腕を掴んでいた手が外れた。結構な力で掴まれていたからズキズキ痛むけど、アサシンもやっと私の意思に従ってくれた。
立ち塞がるようにあった体もずらして、倉庫の出入り口への道を開けてくれる。
「あなたに何かあったとして、頭領がキレて俺がぶっ殺されたら確実に呪ってやりますからね」
「大丈夫です。決してそのようなことにはなりませんから!」
倉庫の出入り口に駆け出した。
後ろからメイドさん達の引き止めるような声が聞こえる。それをアサシンの人達が宥める声がする。
惹かれたからちらりと後ろを見た。アサシン達に通路に押し込められるメイドさん達。その大騒ぎを背後にしながら、ソニアさんは頭を下げている。
見送ってくれる人に手を振って、私は倉庫から飛び出した。
走って向かうのは屋敷の南側。セルジュ王子が敷地内に足を踏み入れた地点。南側には屋敷の玄関がある。
直感だった。争い合う音や声はするけど破壊音がないから。いや、少しだけ破壊音はする。でも、それは金属が軋む音で、屋敷を囲う柵を破壊しているだけ。建物自体は破壊していない。たぶん、私がどこにいるか分からないから。下手に襲撃して怪我は勿論、殺害してしまうと考えている。だから、正式な入り口を目指すはず。
セルジュ王子は攻撃魔法こそ豊富に体得していたけど、魔力探知みたいな補助魔法は知らない。正面から戦うタイプだから、そんな魔法は学ぶ前から切り捨てていた。
・・・こうやって思い起こせば、かなりの年数を彼の身近で過ごしていたと自覚できる。学んだ魔法だけじゃなく、嗜好品も、好きな料理も知っている。学校も、プライベートでもあの人は私の側にいようとしていた。私が好きだから、私の心を得ようとしていた。
本当にトーマの言う通り。先入観のせいで好意なんて気付くことができなかった。盲目過ぎた。
立ち止まる。走っていたことで荒くなった息を整えて、鼓動の激しい胸を抑えて、数メートル先のドアを見た。この屋敷の玄関。あの一枚のドアの向こうには激しい戦闘が繰り広げられている。誰かが挑んでは倒され、魔法が使われ、叫び声が聞こえる。
ああ、遂にセルジュ王子が、魔王がやって来た。
ドアが叩かれて、バラバラと砂のように崩れ去った。粒子は風に舞い、私の視界を奪おうと迫る。目を細めてやり過ごそうとした。
その視界の中に、闇のマナを纏わせた人が立っている。浮かべた笑みは邪悪で、青い瞳は海の底のような色。輝く金髪と身に付けている上質な白い礼服は物語の王子様そのものだけど、私にはそう思えなくなっていた。
善の象徴のような姿に擬態した邪悪な魔王。獲物である私を目の前にして、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら手を差し出してくる。
「ああ、リスベット。やっと会えた愛しい人・・・迎えに来たんだ。さあ、僕と一緒に行こう」
熱を帯びた目。ギラギラしている捕食者のような目。私を捕まえようと、セルジュ王子は一歩ずつ近付いてくる。
怖い、純粋に怖いとしか思えない。捕まったらどうなるかなんて分かりきっている。だから、思わず後退ってしまった。恐怖に押されて・・・でも、今は耐えないと!
踏み止まる。気持ちの強さから顔にも力が入った。
「行くとは、どちらへでしょう?何より本日はあなたの審問が行われていると聞いています。本来ならば裁きの場にいるはずでは?」
「・・・審問なんて王城ごと破壊してやった。あんな連中が僕を裁こうなどと烏滸がましいからね」
暗い目が細まる。形のいい口から発するのは凶暴な言葉。もう最初から取り繕うことなんてしてない。ありのまま、本性を剥き出しにした姿で私と対面している。
「破壊ですか?私の父も兄も、参加していたはずです」
トーマのことは言えなかった。彼の神経を逆撫でするって分かるから。今は落ち着いて話している。このまま、油断したままでいてほしいから、感情が高ぶるようなことは言えない。
「さあ?喚び出した奴が叩き潰したんじゃないかな?どうだっていいから知らない・・・ああ、そういえば妙に癇に障る奴もいたな。そいつも叩き潰されただろう・・・バルデルという馬鹿な男だったよ」
逆にトーマのことを言われる。私が反応すると思って言った。
実際、心臓が軋むように痛い。お父様もお兄様もどうなってしまったか不安で、今まで守ってくれていたトーマもどうなったか分からない。大好きな人、大切なトーマが生きていてくれることを願うしかない。
それを顔に出しちゃいけない。反応すれば王子は喜ぶ。私の心を痛め付けることができたと高揚して、慰めようとする。
そんなことはさせない。相手は魔王。私の心に踏み込ませるわけにはいけない。
耐えれば、彼は興味を失ったかのように息を吐いた。細めた目も瞬きすることで戻し、ひたすら私だけを見つめる。
「連中のことなんてどうだっていいじゃないか。僕は君を迎えに来ただけ・・・さあ、リスベット」
セルジュ王子が近付いてくる。ゆっくりと一歩ずつ、一歩ずつ。私が怖がるだろうと楽しみながら近付いてくる。
一応は愛情がある私に対しての加虐心すら隠せなくなっていた。
今は耐えないと、耐えて・・・頬に触れられた。私を愛しむように指先で肌を撫でる。
眼の前まで迫ってきた彼が少しでも腕を動かせば、私は簡単に捕らえられてしまう。
「リスベット・・・」
熱を帯びた目。顔が近付いてきて、その顔の顎に指先で触れて押した。
王子の動きが止まる。
「喚び出した者とは、あの巨人ですか?」
眼の前の顔に力が入ったけど、すぐに和らいで笑みを浮かべた。
「そうだ・・・どう喚んだかは覚えていない。頭にきたから全部壊したいと思った。国も人も、君以外の全てを・・・そうしたらあいつが来たんだ。僕の意思に従順な巨人。数多の眷属を生み出している。命じれば何でもしてくれるんだ。この国にいる人間共を全員八つ裂きにして、無人となった街のオブジェにすらしてくれるよ」
そこまでは聞いていない。
でも、思ったことをそのまま言ってしまうほど彼は高揚している。緩んでいる。私程度じゃ抵抗もできないと侮ってくれている。
「ああ、いいことを思い付いた。あいつを使ってこの国を更地にしよう。何もなくなった大地の上に、僕と君だけの世界を作るんだ。誰にも邪魔をされない、永遠に穏やかな世界を」
「そのような世界は穏やかとは言えません。何十万もの人の死の上に成り立ち、私の心すら殺す世界です。あなたと一緒にそんな世界で暮らすなんて嫌、ぁっ」
頬にある王子の指が皮膚に食い込む。突き刺さった痛みが走った。
「君に拒否権があると思っているのか?」
声は優しい。でも、指が私の皮膚を破った。ズキズキと痛みながら血が流れる感覚を与えられる。
「君は僕のものだ。この体も心も僕のためにある・・・君は生まれたときから僕を愛して寄り添うと決められていたんだよ」
ああ、自分本位で歪みきった考えが頭にくる!
「私は、あなたを喜ばせるために生まれてきたわけではありません!私自身が幸せになるためにこの世界に生まれてきたのです!」
拒否を示してセルジュ王子の胸を両手で押した。力ある彼からすれば、非力な反抗だと思っただろう。
事実、鼻を鳴らすと私の腰に腕が回され、体を締め付けるように動き、体へと引き寄せられる。しっかりと抱き締められてしまった。
頬の皮膚を破った指が動いて顎の下に当てられる。顔が上を向くように力を加えられれば、視界には暗い青。鼻が当たり、唇も微かに当たっている。
「君の我儘なんてもう聞いてられない。許してしまったら、また逃げる・・・逃げ場なんてないのに、どこに行くつもりなんだ?」
目が細まることで青い瞳が鋭く私を見つめる。
「その気になれば、この屋敷だってすぐに焼き払える・・・まだ数人ほど使用人はいるんだろう?そいつらの焼け焦げた死体が見たいと言うなら見せてあげるけど、君はそんなことは望まないはずだ」
脅迫された。
言うことを聞かないとまた人を殺すと、そう言えば私が従うからと脅迫をしてきた。
でも、聞いていけない。その先にあるのは絶望。私の心が殺されてしまう・・・だから、やるしかない。
見つめ続ければ、セルジュ王子の顔が更に近付いて、キスをされた。私に欲があるから無意識に惹き寄せられたんだろう。
「ん、ぅ・・・ん・・・」
目を閉じて受け入れる。
ああ、触れられていることを強く感じちゃう。角度を変えて何度も、唇を食むように動いている。苦しくなってきたから薄く口を開いた。そうしたら舌が入り込んできて、中を舐めて、舌に絡み付いて・・・ああ、これ以上は感覚を追っちゃ駄目。気持ち悪くなってしまう。
「んん・・・ぁ、ん・・・」
キスに夢中になっている彼のこめかみに指先で触れる。髪の毛に指が絡むように、絶対に離れないようにしっかり触れた。
今から行うのは私ができる精一杯の反抗。成功すれば、この人の暴挙を止められるはず。失敗したら・・・考えちゃ駄目だ!
頭に触れられたことで、セルジュ王子が顔を離した。お互いの唾液で濡れた唇を舐めながら、うっとりとした目で私を見ている。受け入れられたと思っているのかな。
そんなはずはないのに。
「その目に映るものは幻。淡く溶けて心の底にも留まらず、永遠に失われる」
紡いだ「力の言葉」。瞬間的に魔力が消費されて、頭が眩み、力が抜けていく。
強力な魔法。対象に特定の記憶を失わせる「忘却」の魔法を発動した。
王子に、効いた?強力すぎて私には扱えなかったかもしれない・・・ただ、魔力がカラカラになっただけなら。
熱があった目が怪訝と細まり、すぐに見開く。大きな青い瞳には動揺の色があった。
「リスベット、君は何を!?止めてくれ、君が・・・君は、い、嫌だぁ!!僕から君を奪わないでくれ!!」
私を忘却するように魔法をかけた。永遠に彼が私を忘れるように願って唱えた。
かけられた本人は大きな声で叫ぶと、電池が切れたみたいに意識を失って、私を押し倒すように床に。あ、この人、意外と重いんだった。このままだと潰されちゃう。
そう思った瞬間、私を巻き込んで倒れようとしたセルジュ王子の体は引き剥がされて、私の体は何かが支えたことで床に落ちなかった・・・何が起きたんだろう?
肩が大きな手に掴まれていて、背中には感触から太い腕・・・ああ!
「トーマ!!」
険しい顔で荒く息を吐きながらも、トーマが私を抱き止めてくれていた。顔も服も汚れていて、辛そうで、それでも私を守ってくれ、
「わっ!?」
大きな音が玄関に響く。何かを床に叩きつけたような・・・あ、王子だ。トーマが力任せに王子の体を放り投げたんだ。
それが分かった瞬間、彼は両手で私を抱き締める。分厚い胸筋が顔に押し付けられて苦しい。
「マジ、危なかったぜ・・・」
荒い呼吸の合間に呟く。汗もかいているし、もしかして物凄いスピードで屋敷に戻ってきたのかな・・・もう!力が強くて顔が上げられない!少しはパワーを緩めて!
合図として胸を叩いたら、彼の腕の力が緩んだ。急いで顔を上げて新鮮な空気を取り込む。
「大丈夫か?」
あなたに絞め殺されそうだったから危なかったです、なんて言うつもりはない。
安心感から口元を緩めた顔に言葉を向ける。
「それはこちらの言葉です。王城が崩壊して闇の巨人が出現したというのに、あなたは・・・」
無事でいてくれた。嬉しくてキスをする。届かないから顎に唇が当たったけど、トーマは唇を求めて顔を寄せてきた。
いや、それを今はやってはいけない気がする。
「あの、私、先程セルジュ王子と」
言わんとしたことは通じたようで、彼はしかめっ面になった。私の腰に回していた腕も動かして・・・あ!気絶している王子を殺すつもりだ!
「だ、駄目です!その、ご褒美を無しにしますよ!」
咄嗟に出た言葉にトーマの動きが止まった。
この人の殺意を失わせるとか、ご褒美の効力が凄まじ過ぎる。




