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そんなことを言ってすぐ、お兄様は溜め息を漏らす。それが感情を切り替えるスイッチみたいになっていた。
険しかった顔も少し和らいだっていうか、いつもの無に近いものになる。眉間には力が入ってるから、まだ怒りはあるんだろうけど。
「その情報力の高さで王子の悪評を広めているようだな。アサシン総出で流布しているだろう?」
「どうだろうなー?まあ、トライアのやり取りを見ていた連中は何事だって気になるよな。王家とグラン家の関係を勘繰って探りたくなる。誰かは知らねぇが、教える奴も出てくるだろ。それが真実かなんて判別はできない。だが、お前も分かっているだろうが、恐ろしい話っていうのは人の心を惹き付ける。耳を傾ける奴らも多いし、他人と共有しようと奴らも多い。話は人伝にどんどん広がっていく・・・人間って怖いよなー。話一つで気持ちが傾いて、それが群れになると驚異的な力になる。ヤベー生き物だって思うぜ」
怖いのも、ヤベーのもあなたでは?
言わない。言える雰囲気じゃないのもあるし、言ったらトーマの精神がぐらつく。折角お兄様に負けずに挑めているのに、私の一言で押し負けてしまう。
言葉の力はそれほど凄い。王家も、セルジュ王子もそれを強く感じてるだろう。
「・・・面倒なことをしてくれたものだ。お前の仕出かした全て、我々グラン家が尻拭いすることになる」
「だから、俺がやったと決めつけるなよ」
呆れたように肩を竦ませる半裸のトーマ。逞しい姿を晒しているわけだけど、言動も相まっておちょくってるようにも見える。
彼はお兄様を馬鹿にしているわけじゃないけど、対面しているせいで、また顔の険しさが増していく。お兄様を苛立たせる天才かもしれない。今までよく無事でいられたな。
「セルジュ王子が回復したら、いずれ審問が開かれる。王子が起こした事件が真実か、否かと追及する場だ。王家を代表した国王と、我々グラン家を含む四大貴族の当主。そして、バルデル家の当主が一堂に会する。その場では当主のお前も追及がされるだろう。分かっているな?」
「・・・面倒くせぇな」
「バルデル家は、グラン家と共謀して虐殺とリスベット誘拐を捏造し、離反と言わんばかりに守備に携わっていたアサシン達を引かせたと王家は主張している。王家からすれば、我々と同じく反旗を翻した存在だ。面倒と言葉だけで片付けていいものではない」
「捏造してんのはどっちだよ。テメーのところのクソガキが馬鹿で考えなしだから、こんな騒ぎになってると分からないのかねぇ」
「大事にさせたのはお前の一助もある」
「俺じゃねぇって言ってるだろーが」とかトーマは言ってるけど、この人がやったって確信できた。暗殺未遂は私自身が見ていたし、どこか楽しそうに反論しているから、虐殺と誘拐事件のことを脚色混じりで流布してるのは彼が主導している。
敵に回すべきじゃない人だってよく分かる。これから王家はどうなっていくか確固たる予想はできないけど、無傷ではいられない。
息が漏れる。自分の家と国を思って、先が見えなくなっていると不安を感じた。
そうすれば、ずっとトーマを見ていたお兄様が私を見て、トーマも同じく見てきた。二人の注目を浴びたから、反射的に背筋を伸ばしてしまう。
「セルジュ王子の暗殺未遂は帰宅された父上から聞いた。父上もお前に聞きたいことがあるそうだ」
「何か話すことがありましたかねー?」
「私と同じ追及をされるだろうが、一度父上を交えて聞くべきこともできた。婚約者でもないリスベットに婚前交渉を持ち掛ける思考はどんなものなのか、とな」
さっきのこと!?
二人のやり取りで、すっかり忘れていたことを蒸し返されて顔が熱くなる。意識したことで感触も蘇ってきちゃったし、恥ずかしい。まともに顔が上げられなくて伏せた。
「お前だって自分の女を部屋に連れ込んでるだろ」
なんか凄い事実が明らかにされたみたいだけど、頭に入ってこない。私、あんなことをまたトーマとしちゃうよね。
「今は私の話ではなく、お前のことだ。人の妹を手籠にしようとする行いはやはり許せん。関係を改めるように父上へ進言させてもらう」
「はぁ?お前は何様だよ」
「リスベットの兄だが?」
手籠とか前世以来、久し振りに聞いた。前世でもあまり読まない時代小説で見かけたくらいだし。
手籠とかじゃないの。私はちゃんとトーマが好きだから受け入れようとして、ああ、でも!そんなことお兄様に言えない!恥ずかしいー!!ふしだらとか言いそう!時代小説に出てきた文言を使う人だし!
「リスベット」
「うぇっ!?は、はい!!」
いきなり名前を呼ばれたから咄嗟に声を返した。
自分の大声にもびっくりして顔を上げたら、お兄様が目を細めて睨みつけている。
「その締まりのない声はなんだ。身悶えしている様子も奇っ怪だった。考え事をするのは勝手だが、お前はグランの娘だという自覚が足りなさ過ぎる。背筋を伸ばせ、意識を集中しろ」
奇っ怪とか言われた!?
いや、駄目。そんな言葉に反応している場合じゃない。言われた通りにしっかりしないと!
「はい、失礼しました」
「おい、折角のトランスを止めんなよ。今回は赤面もしてて可愛さが増してたんだぜ?」
あなたは気の緩むようなことを言うのを止めてほしい。
トーマの変な文句に聞く耳を持たないお兄様は華麗にスルーする。いつもの冷静で感情のない顔が私の視界にあった。
「私はトーマを父上の元に連行する。お前は部屋に戻れ。すでに深夜だ、ゆっくり休むように」
「分かりました」
頭を下げて、少し間を空けて戻す。背筋だって真っ直ぐのまま綺麗にお辞儀した。
もう注意を受けるようなことは・・・トーマが不満そうに見てくる。そういえば半裸だけど、そのままお父様に会いに行くのかな?大丈夫?まずはそのことで怒られない?
「リスベットを一人で行かせるつもりか?屋敷の内部だって完璧には片付いてないし、一人歩きだと目につくと思うぜ」
そうだった。彼に会うために夢中だったから気付かったけど、血の跡とか残ってるんだよね。一人歩きも、さっきのアサシンの人が言うには王子の間者の目に晒されるらしい。屋敷の外で監視している人達がいるだろうから、気を付けないといけない。
「問題はない。お前の代わりになる者に任せる」
そう言うと、お兄様の背後からフッて黒ずくめの人が現れた。その瞬間にドアが閉じたから、音もなく室内に入ってきたんだろう。お兄様の護衛をしているアサシン・・・赤い瞳をしている。さっきの人だ。
「お前か」
「はい。元気になったようですね、安心しました」
そう言うと、赤い瞳のアサシンはトーマに近付いていく。数歩前で止まって、黒い何かを放り投げた。渡された彼が手で広げると、それは黒い服。半袖Tシャツみたいな形状をしているけど、トーマが着込んだら肌にピッタリしている。逞しい筋肉が浮き出るほどピチピチで、彼がムキムキすぎるのか、そういう服なのか分からない。
「きついな」
「俺の服なんですから当然でしょう。あんたの服がどこにあるかなど分からないので適当に持ってきました。我慢をしてください」
ああ、サイズが小さいのね。
確かにアサシンの人はトーマよりも一回り小さい。本来のアサシンらしい背格好をしている。
「それにしても、雇い主のお嬢さんに手を出すとか何を考えているんですか?」
私がそんなことを思っていたら、呆れたような声でアサシンが言葉を切り込む。
突然何を言ってくださるんですか!?もしかして見ていた!?嘘でしょ!?見てはなくて、お兄様との会話を聞いていただけで・・・それはそれで恥ずかしいんですけど!!
「うるせー」
短い言葉で返したトーマは歩き始めて、すれ違いざまにアサシンの肩を軽く叩くと私の目の前に立った。
座っている私の上にある顔を見上げれば、彼の左手が頬に触れて、顔が近付いてくる。
目を閉じてしまう。柔らかな感触を唇に受けると、すぐに離れた。目を開けば、優しさのある灰色の瞳。感触の名残も相まって体が熱くなる。
「あのうるせー兄ちゃんと話してくる。さっきは俺のためにありがとうな。でも、疲れただろ?朝には戻ってるから、しっかり寝るんだぜ」
「・・・はい」
頬にある手に触れると温かい。ホッとする。
「気安く触るな」
冷たい声で刺されるけど、トーマには効かない。口端を上げた笑みを浮かべて、私の頬を撫でながら離れていった。
睨みつけているお兄様と並び立って睨み返す。無言だったけど、お兄様が動けばトーマが続いた。二人はそのまま部屋から出ていく。
「それではリスベット様、部屋に戻りましょう」
「少し待ってください」
ソファから腰を上げて窓に近付く。外から見つめてくる可愛いチュピ。ずっと放置していてごめんなさい。
そう思いながら窓を上げた。チュピは忙しなく翼を動かして飛び上がり、私の肩に留まる。
「・・・行きましょう」
「はい、お願いします」
ドアを開いているアサシンに足早に近付いた。彼は間近になった私を見つめる。
「うちの頭領がご迷惑をおかけました」
「いえ、迷惑ではありません。トーマはいつも私を守ってくれる人です。こちらこそ、ご迷惑ばかりかけて・・・大事な頭領をお貸しくださってありがとうございます」
律儀な人に言葉を返したら、口元を隠す布地が動いた。笑っている?
「リスベット様は心の広い方だ・・・これからも頭領をよろしくお願いします」
頭すら下げてくれた。慌てて返したら、また笑って・・・人当たりがいい。この人がアサシンだなんて忘れてしまいそう。
彼に連れられて、時折、視界を隠されながら進んだ。いつもトーマがしてくれていることを、代わりしてくれているけど・・・。
(トーマ・・・)
お兄様はお父様を交えて話し合いをするって言っていた。私とトーマの関係がお父様に伝わる。
はっきり恋人とは言われてないけど、あんなことをしたんだから恋人関係だって言える。私達がそんなことになったと知ったらどう思うか。認めてくれるかな・・・彼は友人の息子で、お父様自身が決めた護衛だから嫌な顔はしないとは思う。
でも、主と護衛という立場。一応は身分の違いもある。それに、旧家とはいえアサシン。家業から認めてくれない気もする。
(・・・だからって諦めないわ)
ずっと好きだったんだから。お父様が認めてくれなくても、私の気持ちは止められない。
大体、皆が令嬢扱いをするから忘れがちになるけど、私はグラン家から除籍されている。ただの平民が、血の繋がりだけしかない貴族のお父様の言うことを聞く必要なんてない。
(暗く考えすぎかも)
部屋の前に辿り着いたことで冷静になれた。私一人が考え込むことでもない。トーマがいるんだから、二人で考えればいい。お父様だって認めてくれる可能性がある。
顔を上げて、ドアを開いてくれているアサシンに軽くお辞儀をした。そして、部屋の中に進む。
ドアが閉じる音が小さく聞こえて、私の目の前には三人のメイドさん。さっき手伝ってくれた人達が待ち構えていた。
「え、あの、どうかしました?」
「どうかしました、ではありません!」
「お帰りなさいませ、お嬢様!さあ、御身の汚れを清めましょう!」
「トーマさんの血がべっとり付いてます!ネグリジェも汚れてますからお召し替えしましょう!」
口々に言われてたじろいじゃった。
後退る私をメイドさん達が囲む。逃さないって肩や背中を押されて、浴室に連れて行こうと、あっ、チュピ!どこに行くつもり!?あの子逃げた!!
ドアが開かれたことで漂ってきた湯気が嫌だったのかもしれない。飛び去った小鳥を見送った私は、浴室に入れられた。すでにお湯の準備もされていた浴槽の前に連れて行かれる。
メイドさん達は、代わりのネグリジェとバスタオルをサイドボードに置く。柔らかそうなクマの顔をしたスポンジを用意して、何故かアヒルのオモチャとかお湯に浮かべる。なんで?クマとアヒルは可愛いけど、このお風呂グッズから考えるに私のことを子供と思ってない?
「お風呂から上がられましたら、御髪のケアを致しますね」
「ごゆっくりなさってください」
「血の汚れはきちんと洗い流してくださいませ!不衛生ですからね!」
入浴の準備が完全に整えた三人は、口々に言って退室していく。
以前、入浴の手伝いを断っているから自然に従ってくれた。お風呂グッズに関しては疑問が残るけど、配慮は嬉しい。私のことを分かってくれている。
「ゆっくり入ろう」
お言葉に甘えてゆっくりお風呂に入った。まずは体を洗い流して、いつもより長湯して、代えの水色のネグリジェを着る。
浴室から出れば、またメイドさん達に囲まれたけど、言っていた通り濡れた髪を乾かす手伝いをしてくれて、整えてくれる。
そんなことをして時間が経てば、瞼も重くなっていくもの。メイドさん達におやすみの挨拶をすると、ベッドに身を預けた。
今日、もう昨日になってるか。色々とありすぎた。魔力も使ったから、体に疲れが出ている・・・目を閉じると、下に吸い込まれそうな感覚が襲ってきて、あ・・・───。
───・・・朝。小鳥の囀りで気付いた。眠る前、ソファの背もたれに留まっていたチュピの鳴き声かな?
「おはよう」
目を開けたらトーマの顔。穏やかな表情をして、真上から覗き込んでいる。トーマが、いる。
「おはよう、ございます」
返事をしたら笑みが深くなった。
昨日言っていた通り、朝には戻ってきていた。私の寝顔を覗き込んで起きるの待っていたんだ、いや、
「恥ずかしいので寝顔なんて見ないでください」
「起こすのは悪いと思ったんだ」
「それは寝顔を見ている説明になってません」
だらしない顔で寝てたのを見られていた。ヨダレとか垂らしてないよね?大丈夫?
手を向けて口元の確認をしようとしたら、真上にある顔が近付いてきた。頬にキスしてきた。
「か、顔を洗ってないので!」
「色気のない返事だな。まあ、それがお前か・・・じゃあ、顔を洗ってくるか?ついさっきメイドが朝食を運んできたから、テーブルに置いてもらったぜ」
「そ、そうですか!では、顔と歯を清めてきます!」
私が起き上がろうとしたら、トーマは顔を上げて、体も離した。
朝から頬にキスとか刺激が強すぎる!いや、トーマからすれば「チュー」だから性的なものじゃないと分かるけど!意識しちゃうから頬に感触残ってるんだけど!
慌てて浴室にある洗面台に駆け寄る。髪を梳かしてまとめて、ヨダレのあとはないと確認した顔を洗い、歯をブラシで磨く。
速攻で整えた私は、落ち着き払った足取りで部屋に戻った。トーマの愛情表現に動揺しないって、しっかり思いながら彼の待つソファに向かう。
ソファの横にいるトーマの前を横切る。私がソファの右端に座ると、彼は身を寄せて座ってきた。背もたれに腕を回して、深く背中を預けている。
表情も緩くてリラックスしている。怪我の後遺症もないみたい。でも、昨日のお父様との話し合いはどうしたんだろう。トーマの様子から想像するに、話し合いは円満に終わったのかな・・・聞いてみないと分からないか。
「食べないのか?」
話しかけようとしたら遮られた。
私の視線はテーブルに向かう。湯気の立つ温かそうな野菜スープといい香りのするパン。ふわふわしたスクランブルエッグと、香ばしく焼かれた分厚いベーコンがそれぞれのお皿に盛り付けられている。美味しそう・・・お腹も減っているって自覚してきた。
「いただきます」
彼は微笑む。私の真横にいて、用意されていたカップのお茶を飲み始める。そのカップが置かれていたトレイにはティーポットもあって、蓋にはチュピが留まっていた。私とトーマを交互に見て、首を傾げている。
穏やか時間。隣りにいる人のおかげで安心感もある。外で起きている騒ぎなんて感じない一時だった。
美味しい朝食を全て食べ終えた私は、食後のお茶を一口飲んだ。花の柄が描かれた磁器のカップをソーサーに置くと、トーマの頭が肩に乗ってくる。
「どうしました?」
顔を向ければ、ズルズルとその頭は下に落ちていって、私の膝の上まで落ちる。
そこから一切動かなくなったんだけど・・・あれ?これって膝枕?え、私、トーマを膝枕してるんだけど?




