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うっすらとですが、殺人描写・人体破壊等の描写があります。ご注意下さい。
「あの、お兄様。こちらの魔導書はどうすれば?」
お兄様は振り返ると、冷めた視線を魔導書に向けた。
「元々は商品だろうが、もはや購入者が誰かなど分かるまい。先代王妃はすでに亡くなられてる。その父親は確かではないが、年代から考えるに亡くなっているだろう。魔導書の所有権がある者はもういない。機会に恵まれた思って学んだらどうだ?」
「魔導書の魔法を、ですか?」
魔法文字で書かれた魔導書には、一般人が容易く使ってはないけない強力な魔法が記されている。この書だって例には漏れずだと思う。あるのは恐ろしくも凄まじい魔法で、魔力の消費もかなり高い。高名な魔法使いのための物。
「少し読んだが、人の精神に作用する魔法が記されていた」
そして、それを当たり前のように読める私のお兄様。
「そのような魔法は危険では?精神ということは、人心を操ったり、魅了して従わせることもできるはずです」
「記憶操作もできる。記憶の改変や忘却についても記されていた」
「・・・凄まじい魔法ですが、お兄様は体得されないのですか?」
魔法使いだから、知らない魔法は覚えたいんじゃないかと思ったけど、
「その程度のことは得ている。私には不要だ」
とっくに覚えていらっしゃった。流石。そして、何より怒らせたくないという気持ちが増していく。
あとは無言になって退室していったお兄様を見送るしかなかった。
どうしよう。魔導書を手に取ったけど、装飾された表紙を指先でなぞることしかできない。今は読もうとは思わなかった。
(トーマが、アサシン達を使って誘拐事件を広めた)
昼間、チュピの目を通して見た王都の光景。緊張感と恐れを持つ人々と、それを見張るようにいた数多くの兵士達。兵士達と一部の人々は争ってすらいた。
あれはトーマが原因だったんだ。彼がもたらした情報で、民は王家を不信に思い、恐れを抱いた。犯罪者を時期国王に据えようとしているんだもん。そんなことをされれば、反感しか持てない。
そんな民を牽制するために国王は兵士を増やした。反乱分子を出さないために抑え込もうとしたけど、逆効果になっている。
不信感は募る一方で、もしかすれば、あの争いもアサシン達が先導したのかもしれない。力任せに民を鎮圧する光景なんて見せれば、人々の心は更に王家から離れて・・・ああ、駄目だ。
「憶測でしかない。トーマに聞かないと分からないのに・・・」
つい考え込んじゃう。ここに彼がいれば「トランス」って言われただろうな。
「いつになったら帰ってきてくれるの?」
心細さもあって口に出る。
トーマの口から説明してほしいし、何より本当に寂しい。彼はずっと側にいてくれたから、一人でいることに耐えられなくなっている。
「完全に甘えてる」
自分が情けなくて溜め息を漏らした。
力の抜けた手で魔導書をソファに置くと、ゆっくり立ち上がって・・・おかしい。
「何か、違和感が・・・」
室内を見渡したことで気付いた。
違和感、いつもと違う何か・・・何だろう。何か忘れている?何を・・・ええっと。
ソファを回り込んで、背後にあったベッドに近付いた。無意識だった。もう少しで眠るつもりだったから近寄った。それだけのこと。いつもと変わらない、はず。
天蓋から垂れるレースは変わらず優美。ベッドのブランケットはシワを作らないようにしっかり敷いたし、枕だって位置調整は完璧。完璧だけど、何かがない。
ふと、フッドボードに目を向ける。本当に何も考えずに見た。
「・・・ああっ!!」
それで気付いた。違和感の正体。何かしらあった喪失感。
「隠匿のマントがない!!」
壁掛けがないせいでフッドボードに掛けっぱなしだったマントがなくなっている!どうして?いや、まって、なんで?
「持っていくとしたらトーマしかいない。この部屋には私とトーマしかいなかった。他の人は訪問するだけ。だから、なんで持っていったの?」
トーマが持ち去ったのなら理由があるはず。彼に隠匿の効果があるマントなんて不要だもん。隠れ潜むことに特化したアサシンで、その技量は計り知れない。使う必要はないからいらなくて、それでも持ち去った。
売るため、なんて有り得ない。誰かに手渡すつもりだったとして、持ち主である私の心象を悪くするまでのことじゃない。
自分が使って、戻すつもりだから無言で持ち去った。そして、無言だったのは言うに憚れることをするつもりだったから。
凄腕のアサシンが隠匿のマントを使うほどなんて、細心の注意を払いたいことがあるから。絶対に見つかったらいけない場所に行くから、つまり!
「チュピ、起きて!」
健やかな寝顔を見せていた私の小鳥に言葉を投げた。
チュピは目を瞬かせると、不思議そうに私へと首を傾ける。そんな愛らしい小鳥に近付いて、両手で包んだ。
「眠っていたのにごめんなさい。でも、お願いがあるの。叶えてくれる?」
小さな囀りが聞こえる。私は窓の前に立つと、チュピを包んだ両手を開いた。綺麗な宝石の瞳に見つめられる。
片方の手で窓を開き、チュピの乗る手を窓の外に出す。
「ここから少し離れたところに真っ白で大きな建物があるの。沢山の塔があるからすぐに分かる。その建物に行って、中に入って。誰にも見つからないように、高い位置にある窓から忍び込んでね」
可愛く囀ると、チュピは翼を羽ばたかせて飛び立った。闇の中、まるまるとした体で一生懸命に羽ばたく姿が見えなくなるまで見つめる。
「・・・・」
再びソファに座った私は目を閉じた。視界をチュピの目とリンクさせて、開く。
ああ、夜の空はなんて恐ろしいの。どこまでも闇が続いているように見える。闇の中に浮かぶ白亜の王城と、真下にある家屋や街灯の光が無ければ、足が竦むところだった。
チュピは、私の願いを叶えるために懸命に飛んでいた。灯りが灯ることで存在感を増している城へと、徐々に近付いている。
(チュピ、正面は駄目。大きな壁みたいな建物の後ろに回り込んで。そこに中庭がある。中庭から奥にある建物に入るの)
指示に従って、チュピは正面にある居館からそれた。それを真横にしながら飛び続けて、見えてきた緑地へとゆっくり降下していく。
植樹された木々の真上まで高度を下げたチュピは奥の、王家の人々が住まう館の窓辺に留まる。窓は通気口も担っているみたいで、ガラスではなく格子のように間隔を開けられた鉄の装飾で飾られていた。
チュピの体なら通り抜けられるはず・・・ああ、良かった。引っかかることなく通れた。
この奥の館には私でも入ったことがない。王家と王家に仕える人々だけが入れる場所。許可があれば貴族でも入れるらしいけど、今の私は入れないし、何より捕まるだけ。
ここにセルジュ王子がいる。更に奥に行けば、彼の部屋もあると思う。どこに、あっ!あの子は!
窓辺に留まるチュピの目が、館の廊下で立ち止まっている女の子を捉えた。すごく綺麗で、ドレスも華やかなものを着ていたから気付けた。
彼女こそがヒロイン。ゲームの主人公で、嫉妬に狂ったリスベットを破滅させる存在。私が会ってはいけない子だけど、会いたくて堪らなかった。
ああ〜、やっぱり最高に美少女!健康的で艷やかな長い髪。肌も白くて儚げなのに、胸は大きくて腰は締まっている。お尻だってスリーサイズを見れば抜群のサイズだった。それなのに、意志の強い眼差しは主人公のそれでハートを掴まれるし、本当に貧民だったの?と思わせる上品さ。どこをとっても非の打ち所がないから、いつまでも見てられる。
やっぱり王城にいたんだ。良かった。実家は誰もいないし、雨漏りも酷くて古い・・・良かったって言っていいのかな?だって、彼女のいる王城は「あの国王」の城で「あのセルジュ王子」がいるわけだけど・・・あ、誰かと一緒にいる。
チュピが天井の梁を伝って少し近付いたことで、ヒロインの奥にいる人が見えた。
離れているから小さく見えて分かりづらいけど、あれは・・・アンリ王子?確かゲームでも出てきた王弟の息子。攻略キャラではないけど、優しくて大人しい中性的な美貌を持つ王子様。
実際、私も会ったことはある。でも、アンリ王子と会話するほど話したことはない。本当に大人しくて、挨拶を交わすとただ微笑むだけだった。セルジュ王子がすぐに私の話し相手になって、彼から離されたから親交を結ぶ時間も与えられなかった。
今思えば、王子は嫉妬から引き離したんだろう。私に誰かが話すのも許せないって人だったしって、そうだ。ヒロインとアンリ王子のことを見ている場合じゃない。探さないと・・・どこに・・・いた!
チュピが色々と頭を動かすことで、セルジュ王子を発見できた。廊下を歩いている彼はヒロイン達の横を過ぎる。ウィザードである美貌の少女がいるのに無視。アンリ王子も大人しい人だから見送っただけだった。
纏わせている雰囲気から、私だって話したいとは思えない。遠くから見ているせいではっきりとは分からないけど、セルジュ王子の表情は険しかった。あの砦やトライア門前で見せられた怒りの顔。不機嫌極まりないと表していて、親族だろうとも下手な対応をすれば彼は「攻撃」するだろう。
不機嫌な理由は想像に容易い。私のこと。あとは国中に広まった自分の悪評。すぐには解決できないことばかりだから、今のセルジュ王子には関わってはいけない。
アンリ王子はそれがよく分かっているみたいだった。歩き去るセルジュ王子とは反対の方角に、ヒロインをエスコートして連れて行く。どうやら、ゲームでのセルジュ王子の役割をアンリ王子がしているらしい。頼りなくも見えるけど、そこは王家の人間だから人より優れている。ヒロインを任せて大丈夫だろう。
今は二人の仲睦まじい様子を覗き見している場合じゃない。私がチュピの目を借りて見たかったのはセルジュ王子のこと。顔も合わせたくない怖い人だけど、監視しないといけない。彼に何事も起きなければいいんたけど。
(きっと『あの人』はやって来る)
祈るように両手の指を絡ませて、顎に添えた。
チュピのことに気付かない王子は、立ち止まることなく廊下を進んでいく。
(チュピ、金髪の白い服を着たお兄さんを追いかけて。ただ、音を立てたら気付かれてしまう。そのままの距離で、飛ばずに近付くの)
合意と視界がぴょんぴょん跳ねる。梁の上を跳ねながらセルジュ王子を追跡しているみたい。
少し酔いそうだけど我慢。彼がどこに行くのか、無事に済むのか見届けたい一心で私は見つめ続ける。
セルジュ王子は廊下を右に曲がる。チュピは飛び跳ねて下に移動すると、装飾品である甲冑の頭の上に留まった。王子はズンズン進んでいく。歩くスピードが早くて、そういえば砦で追いかけれたときも足が早かったなぁ・・・なんて考えたら、
(メイド長だ)
砦にいたメイド長が待ち構えるように立っていた。彼女が何かを言いながら詰め寄ると、王子は足を止める。横顔が見えた。凄く怖い顔をしている。今にも怒りが爆発し、
「あぁっ!・・・はぁっ・・・うぅっ」
爆発した。メイド長の上半身が爆発した。煙も衝撃もない。体の内側から吹き飛んだようで、肉片が飛び散り、スカートを穿いてる下半身が絨毯に落ちる。
さっきまで話していた人が、体が吹き飛んだ。バラバラに、気持ち悪い!散らばったものがグロテスクで吐きそう!
魔法を使って、どうして簡単に人を殺せるの!?こんな一瞬で命を吹き飛ばすなんて!セルジュ王子は人間じゃない!!もう人の姿をした怪物よ!!
(こんな人の無事を祈らないといけないなんて!!)
吐き気を抑えるように深呼吸を繰り返したから、悪態は心の中に留まった。
王子なんて早く捕まってしまえばいい!罰を受けて投獄でも追放でもされればいい!!私の知らない場所に行ってしまえ!
(チュピ、金髪のお兄さんを追って)
愛らしい小鳥はおぞましい死の真上を飛ぶ。王子の近従が控えていたようで、どこからともなく現れて、やるせない顔をしながら残骸を集め始めている。
一瞬でも苦しんだだろう。かわいそうで堪らない。メイド長は悪いことをしたわけでもないのに、幼い頃から王子を守っていた人だったはずなのに、彼は気に留めることなく頭にきたから殺した。酷い主に仕えたせいで酷い死に方をした。
(・・・考えすぎちゃ駄目)
せめて魂は安らかに。祈りを込めて、セルジュ王子の姿を見た。奥にある観音開きの装飾が彫られた扉を開くと、中に入っていく。
あの扉の向こうが王子の部屋みたい。上に通気口がある。飾りみたいな銀色の柵が取り付けられているけど、チュピなら通れるだろう・・・よし、苦労することなく通り抜けられた。
部屋は広く、奥にドアが何枚も見える。セルジュ王子はすぐ近くにいた。リビングのように家具が配置されていた広間で一人、青くて豪華なソファチェアの肘掛けに腰を下ろしている。
彼の冷淡な顔はチュピに向いているけど、その目は扉の方、その向こうにあるメイド長の死体に思うことがあるのかもしれない。
(この人の思考なんて何も分からないけど・・・チュピ、お兄さんに気付かれないようにしてね)
視界が点滅した。肯定として瞬きしてくれたのかな?そうかも・・・チュピの目は見下ろす角度で王子の姿を映す。たぶん壁際にいる。
セルジュ王子も動かず、何か周りを気にする素振りを見せるだけ。チュピの気配でも感じた?それとも、あ、動いた。
ソファチェアの肘掛けから腰を上げた彼は、どこかに行こうと歩き始めた。私からは背中が見えて、そして絨毯の床が揺らいだ。誰かの足が浮かび上がって、姿が揺らぎながら見え始めて、黒ずくめの人がいる。
「やっぱりいた!」
思わず声が出てしまう。
その瞬間に王子は気付いて後ろを振り返る。だけど、大きな手が顔を掴んで床に頭を叩き付けた。
突然始まった暴力に目が見開く。起こるだろうと分かっていたけど、いざ目にすると心臓が痛むほど跳ね上がった。
顔すら隠した黒ずくめの人が誰かなんて知ってる。私の護衛のトーマ。アサシンの頭領である高い技量を持つ人が、隠匿のマントを持ち出すほど侵入したい場所なんて限られている。彼が見せた殺意を思えば、一箇所しかない。
セルジュ王子を殺すつもりで、思った通り、隠れ潜んで危害を加えた。
(殺さないで!)
王子を想ってじゃない、トーマを想っているから止めてほしい。まだ犯罪の確証が取れていないセルジュ王子は、時期国王を約束された存在。そんな人を殺したら、トーマは重罪を犯した犯罪者になってしまう。立場も、平穏な日々も、私との生活も全部失う。私から彼が引き離されてしまう。
(お願い、殺さずに戻ってきて!これ以上は何もしないで!)
それなのに、その場に行けないから私は祈ることしかできない。トーマの冷静さに賭けるしかなかった。そんな私の気持ちなんて蔑ろにされてしまう。
トーマは床に叩き付けたセルジュ王子の体を蹴って仰向けにすると、お腹を踏み付けた。その背中がゆっくりと屈んでいくことから、徐々に力を加えているらしい。
王子の顔は苦しそうに顰まり、悔しそうに歯を食いしばっていた。足を退かそうと手で触れるけど、いつの間にかトーマが持っていたナイフが深く食い込んだ。引っかかりなんて感じさせないスムーズな動きで、王子の手を裂く。
(痛い)
あまりの痛々しさに、自分の手も痛くなっていくように感じた。裂けたことで見える断面図。それを湧き出て飛び散った血の赤が隠すけど、鮮明に脳裏に焼き付いてしまった。暫くは忘れられない。
痛みで苦しむセルジュ王子に目もくれず、トーマは暴力を続けた。お腹を踏み付けていた彼の足が、次は太腿を踏み付けると、足首を持って変な方向に曲げて、言いたくもないことをする。
恐ろしいの一言。一方的な暴力が私の眼前に繰り広げられた。チュピの目とリンクしていることで見続けるしかない。
手足がズタズタになり、胴体も蹴られて踏み付けられて、力を失っていくセルジュ王子。そんな彼を見下すトーマは、どこまでも冷酷だった。急所を外すことで、ずっと苦しむように・・・どうして急所を外しているの?
(トーマはアサシン。人を一瞬で殺すのが仕事で、技術だって備わっている。それなのに、どうしてすぐに殺さないの?)
殺してほしくないのに、殺さないことに疑問を感じてしまった。
そんな呆けてしまった私の目に、トーマの手が王子の首にかかるのが見える。食い込んでいくのがはっきりと分かった。




