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対岸の火事

作者: 雉白書屋

「あなたってば、いつもそうよおぉぉ! 子供の世話も何もかも全部、全部、あたしに押し付けて、もおぉぉぉぉぉぉ!」


 朝の目覚ましアラームにしては壮大すぎる、まるで世界の終わりを告げる警報機のような妻の声量に、おれは『また始まったな』と思いながら、コーヒーを一口すする。


「なによ……なによ! うんざりって顔してさあ! もおぉぉぅ! うんざりしてるのはこっちのほうよおぉぉ! おおおおおおぉぉぉ!」


 壁と肌がビリビリと震える。妻はその見た目通り、オペラ歌手か何かだったかな。


「うるさい! うるさいうるさいうるさい! あああ! あなたの話なんか聞きたくないわ!」


 おれはまた一口コーヒーを飲んだ。妻はもしかして自分の声の大きさに苦しんでいるのではないだろうか。


「昨日も夜遅くに帰ってきやがってさあぁぁあ! こっちはドアの音で一回起こされてんのよぉ! どうしてくれるのよぉ! アオゥ!」


 どうやら、妻は自分のいびきを愛しているらしい。中断されたことが相当気に食わなかったようだ。おれはまたコーヒーを飲んだ。

 

「どうせ浮気してんだろ! 女! 女! 女! 女! 女、女、女、おんなぁ!」


 おれは妻のリズムに合わせて、コーヒーをすすった。


「は? なによ、その態度……。は? はあ? はあぁぁぁ? 浮気どころか、いつも家事や子供の世話もやってるって? 何それ嫌味? あたしがちゃんとやってないって言うの? ああ!?」


 ここまで、いつものパターンだ。よくもまあ同じやり取りに飽きないものだ。オペラ歌手ではなく、どちらかというと、妻はミュージカル俳優なのかもしれない。


「なによ、その顔……あたしをバカだと思ってんの? そうだろ? なあ、そうだろぉ!」


 ……そろそろだな。いつもの流れなら夫が謝り、妻が大きなため息をついて終わる。

 まったく、毎朝騒々しい夫婦だ。あんなのが隣人だとは、おれも運が悪い。引っ越しを何度も考えたが、面倒だし、何よりも金がない。


「もおおおぉぉぉ!」


 だから、おれはあるときから考え方を変えて、連中の騒ぎを楽しむことにしたのだ。思えば、おれは平凡な両親に育てられ、トラブルとは無縁の人生を送ってきた。だから、近くにこういうトラブルがあるのは初めてで、観客として心が躍るのだ。


「あああぁぁぁもおおおおおおぉぉぉ!」


 おお、皿が割れる音が、一、二、三、四枚! これは新記録だ。子供の泣き声もする。ああ、かわいそうに。まともな大人には育たないだろう。まあ、本人にはその自覚はないだろうが、ある意味それは幸せなことかもしれない。

 おっ、夫も言い返したな。いいぞいいぞ、火に油を注げ。他人の不幸は蜜の味だ。おかげでこのコーヒーには砂糖がいらない、なんてな。ふふふ、おっと、いいぞ、ヒートアップしているな。壁が薄いおかげで、臨場感満点だ。耳をぴったり壁に押し当てると全部聞こえてくる。

 もしかして、今日がその日か? おれは彼らの喧嘩が殺人事件に発展するのを待ち望んでいるのだ。テレビのインタビューでこう言うのだ。『いやー、まあ、いつかはこうなるかと思っていました。まあ、なるべくしてなった、ってね』と。


「おまえ、包丁はやめろ! うお!」


 ――あっ


「危なかった……」


「あんた、よけてんじゃねーよ! くそっ! 抜けねーし、なんなんだよ! はーあ……もういいや……」


「あーあ、壁に穴が開いたっぽいな……」

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