9-4 少しばかりの逡巡があった
「いったい何があったのだ?」
怪訝な声が口ひげを蓄えた筋肉質の男より漏れ出ていた。
朝食と夕餉の時、同じ屋根の下に住む者が一同に集い食卓を囲むというのは、この家の家主が決めた理だった。
故にいま、魔王と名乗る魔族の少女と、元勇者と自称するトールマンの娘と、以前は戦士だったと断りを入れるドワーフと、そして頬の痩けた魔術士を名乗るエルフとがテーブルを囲んでいるのである。
生憎、約束事を提唱した当の家主は不在であるが、その代役として黒髪の少女がこの家の台所を預っていた。
もっとも、調理など始めて日も浅く簡単な料理しか出来なかったが、店先で売られている出来合のものなどを組み合わせれば、そこそこ賑やかな食卓を演出することは出来た。
「おイタをした阿呆にお仕置きしたダケじゃ。気にする必要は無い」
トマトとレタスとヨーグルトのサラダにフォークを突き刺し、にこやかなに食べる少女は惑いすらなかった。
そしてその対面に座る頬の痩けたエルフの両瞼は、まるで真っ赤なホオズキのように腫れ上がっているのである。
果たして前が見えているのかと不安にもなるが、フォークやスプーンは問題無く使っているので食事をするのに不自由は無さそうだった。
「それよりもドワーフ。わしらが席を外して居るあいだ問題は無かったか」
「いたって平穏だ。ただ、わしが立て掛けたクルマの前で呆然と佇む壮年の男が居ったな。直ぐに次の班と交代したのでその後どうなったかは分からんが」
「自業自得よ。捨て置いて良い」
「真魚、転移陣の維持は大丈夫なのか。鰓子が居らぬ現状、不具合があるのかどうか見極めることが出来るのはそなたダケだ。
それに、向こう側で彼女の進捗がどうなっているのか。ただ待つだけというのはなかなかに苦痛だ」
「あの魔法陣はコンデンサーが真っ当に働いて居れば、自身で勝手に法陣を構築し続けるので問題はない。
魔女に関しては、おぬしの言うコトも分かる。だがきゃつは火急のとき以外連絡はしないと云うておった。便りが無いのは滞りなく事が進んでいるのだと、そう信じて待つしかあるまい」
一つ聞きたい、と口を開いたのはヒゲを蓄えた腕の太い男であった。
「わしらがコチラ側に飛ばされる直前には魔力は些か希薄であった。だがソレは大きな魔法が使われた後にはよくある事だとも聞かされた。そして薄れた魔力は自然に戻るのだという事も。いま向こう側は既に魔力が戻って来ている、というコトはないのか?」
「それは在るまい。此度の希薄化はその様な一時的なものではないからな。何故に我ら魔族が深淵の壺を後生大事に守っておったと思うて居る」
「世界の魔力の要と」
「全ては言えぬな。ほれ、ソコの者が聞き耳を立てて居る。そこな貧相なエルフ。おぬしは何処まで聞いて居る」
「女王陛下との約をわたしが魔族に話すと思うか?」
「約とは互いに交したものじゃ。おぬしが受けたのはタダの命であろう」
「同じこと。異郷の地にあろうと陛下への忠誠が薄れた訳ではない」
「大層な物言いよ。だがあの苛烈な女王がおぬしの失態を看過するとも思えぬ。
下手に向こう側へ戻ろうとはせず、わしらの策に手を貸した方が先行き明るいやも知れぬぞ。
上手く事が成った暁にはおぬしの席を設け、相応に遇してやっても良い。
勿論、向こう側に帰りたいのならソレも許そう。どうじゃ」
「何度問われようと返す言葉は変わらぬ」
「そうか。だがおぬしの信条は兎も角、メーサの女王はどうであろうかの。あの魔女の提案に耳を貸すとは考えぬのか」
「莫迦な、在り得ぬ!」
「魔力が失せて困るのは我ら魔族だけではあるまい。
トールマンやドワーフはいざ知らず、我らの土地で魔力を欲している者は数多い。
ヒト族はいうに及ばず魔族、竜族、母なる大地に父なる天空。そこより生じた天神地神もまた然り。
潤いを無くし力を無くし、さぞや飢えていることであろう」
「天地神がか?世迷い言を」
頬の痩けたエルフは唇の片端を軽く上げ、軽く鼻を鳴らす様をして見せた。
「他者を見下すに慣れた物言いよ。此処は嘲ってよい所ではないのだがな」
「その言葉はそっくり返してやろう。思い上がるにも程がある。
その話が本当なら、壺あってこその神々。そしてそれに寄り添う我ら地に住まう者、そういう話になるではないか。幼子の戯れ言の方がまだ真実味が在るというもの」
「おぬしは本当に女王から何も聞かされて居らぬのだな」
「・・・・なんだと」
「真魚、どういう事だ。大いなる双神が魔力に飢えるとは。そこに何故壺が関わってくる。順序が逆であろう」
「我ら魔族が天神地神を崇めぬ理由じゃ。我らを不敬不信、ケダモノの一族と誹るかヘレン。まぁ云われ過ぎて耳タコじゃが、やはり余りよい気分ではないの」
「そんなことを言うつもりは毛頭無い。だが、信じられぬ。何故に魔族ではその様な話がまかり通っているのだ」
「事実である、と言うても信じられぬであろうな。
何百年と繰り返して説いたのだが、未だにトールマンの中でコレを真に受けた者は居らなんだ。
いや、幾人かは居たらしいが大抵異端審問で縛り首になったらしい。故に皆無と言うても過言ではなかろう。
だがエルフはまだマシであったぞ。特にエルフの王族たちはな。
メーサは東方においてその最先鋒じゃ」
「う、嘘でたらめを並べるな」
「そう思うなら戻った時に女王に問うてみるがよい。答えを聞く前におぬしの首が飛んでおるかも知れぬが。
因みに西方エルフ、いや今は神聖王国マヌウトであったか。ソコでは古い教義にすら出て来る話じゃ。魔族の暦書ほどではないが事細やかに記されておる」
「見てきたような事を」
「転移陣が健在であった頃には彼の王国とは少なからぬ交流があった。写本も魔王城の書庫に収められておった。もっとも、ここ二百年ほどは途絶えて久しいがな」
「しょ、証拠は何処にある。そんなモノなどあるまいに。魔王城と共に全てが燃えて消えた為に、これ幸いとの口先三寸」
「妙に食い下がるのう。ひょっとしておぬし、天神地神の信奉者か。エルフでも増えていると聞く」
「誰がトールマンの信ずる教義なぞ!」
口にして直ぐに口籠もった。対面に座るヘレンを思い出したからだ。頬の痩けたエルフにも、わずかとはいえ配慮というものが残って居たからだ。
「無理に信じろとは云うて居らぬ。ただ、あの魔女がメーサに赴くのは相応の勝算がある、そのコトを理解してもらえばそれで良い。勿論、公介や彩花を無事助け出した後の話ではあるが」
「メーサの女王が鰓子の話に耳を貸すだろうか」
話の行き先に惑うトールマンの女性であったが、二人の合間に不安げな口調でそうこぼした。
「あやつはなかなかの口八丁でな。興味を持たせる術に不自由はして居らぬ。
それにエルフとしても希薄な魔力の中での青息吐息。
その最中での魔力の復活を試みる手立ての提示よ。
しかも他ならぬ魔女衆七人、その一柱からの提案じゃ。
真っ当であるのなら、一聴に値すると考えるのではないのか」
「復活、出来るのか。アレが」
「散々苦労してようやく壊したというに。残念だったのう、ヘレン」
「今はその様に考えては居らぬ」
「ふむ、少々意地が悪かったの」
「・・・・」
「どうしたエルフ。続きが聞きたそうな顔じゃな。まだ両目が腫れて居って不気味じゃが、興味津々といった面持ちよ」
「・・・・本当に、壺が元に、元に戻るのか。ならばその方策は」
「その問いに答える前に、おぬしからの返答が必要じゃのう」
随分と長い沈黙であった。
表情が幾度も微妙に変化し続けていて、内側で様々な葛藤が渦巻いているのが見て取れた。
「魔力の復活に尽力するのだな」
「我らの目的の為にも必須であるからのう」
「我らエルフの一族と相対さぬと約せるのか」
「彼の地より魔族が失せるのだ。居ない者とどう諍う?エルフが此の地に進み出て来るというのならば話は別だが」
「約は違えぬな」
「おぬしが反故にせぬのなら」
少しばかりの逡巡があった。
返答を果たして口にして良いものなのかと、惑う気配があった。
そして軽く目を瞑り、頑ななエルフは小さく首肯するのだ。
「あい分かった。そなたらの策に協力すると約する。故にそなたの手の内、教えてもらいたい」
そう言い切ると、頬の痩けたエルフは静かな息を吐き出していた。
そして一段落と見たヘレンは「先程の天神地神の下りだが」と、先程から焦れていた質問を口にした。
話の流れからユテマルスと魔王を遮るのは拙かろうと控えてはいたものの、到底この場で聞き流すわけにはいかぬ内容だったからだ。




