8-8 ドアの所に人影が立って居る
王都は随分と静かだった。
だが今夜は静かなだけでは無くて、陽が落ちれば闇に呑まれる町の中に未だかつて無い程の明かりの列が道を縫い、連なっていた。
王宮に隣接する大聖堂の広間に安置された勇者の棺に献花する者たちが、その者たちの手にするロウソクの明かりが、闇の中に深い悲しみの灯火となって繋がっているのである。
ボンヤリとその道行く人々を眺めながら王宮の門衛は物思う。
勇者様は、天界よりこの光景をご覧になってどう思っていらっしゃるのだろう。
肉体は地母神に抱かれて安らかな眠りと共に土へ還り、魂は天父神に招かれて天上界へと旅立つ。
今はその最中であろうか、それとも既に雲上に在るのか。
いずれにしても天より眺めるこの灯火はきっと見えるに違いない。
そして慈愛の眼差しと共に、柔らかに微笑んでいらっしゃるのだろう。
なんて、全部神父様からの受け売りだけどな。
でも寂しくて哀しいって気持ちには変わりはない。
教皇さまも「言葉にも涙にも尽くしがたい深い悲しみ」と仰って居たし、国王さまも「往くべき道を照らす明かりが消えたようだ」と仰って居た。
オレと同じようにお偉い方々も皆、悲しんでいらっしゃるのだ。
「よう」と隣に立つ立哨の相棒が声を掛けた。
「オレは勇者様を直に見た事があるんだ」
「そうか、どんな方だった?」
「行軍の最中だったんで横顔だけ。すれ違うまでのほんのちょっとの間だったんだけどな。それでも、あの凜とした面立ちと揺るがない眼差しは忘れられないな」
「オレも見たかったな」
「勇者様の死に顔は拝めないのかな」
「見に行こうとしたんだけど駄目だった。選ばれた方じゃないと棺には近づけないんだと」
「やっぱ、そうなのか」
「そうなんだよ」
ヒト族の象徴として真っ先に魔族の国に切り込み、魔女や魔族の将軍共を切り伏せて魔族の王都に迫り、遂には魔王を討ち果たした。
全ての災厄を生み出す忌まわしい魔族、その親玉の首を取ったのである。
教皇さまの言葉じゃないけれど、世界に平安と光りをもたらしたのだ。
どれ程の辛く険しい道だったろう。
どれ程の苦難だったろう。
オレのような一介の兵士じゃ想像もつかない、身が裂けるほどの激しい闘いだったのだ。
弱きを助け強きを挫き、皆の為に道を拓き続けた。
平安を願いヒトの世界を救うべく、ただただその為だけに闘い続けた。
そして傷付き倒れその力を使い果たし、遂に昨日天に召された。
国王さまの言葉じゃないけれど、勇者として生き勇者として死んだのだ。
尊敬せぬ者が居るだろうか。
その生き様に感銘を受けぬ者が居るだろうか。
「勇者様はご立派だよ。そしてお優しい方だった。知ってるか、勇者様がこの王都にいらっしゃる事は殆ど無くて、常に国内を飛び回っていたって事を」
村が魔物に襲われた、野盗の集団が街道を荒らしている、川が溢れて大勢が路頭に迷っている、アチコチで災厄が持ち上がる度に勇者様の姿が常にソコに在ったのだ。
そうだよ。オレの村が傭兵崩れの野伏せり共に襲われた時だって、真っ先に駆けつけて下さったのは勇者様だった。
お陰でオレの家族は無事だったんだ。
「だからこそお亡くなりになったと言うのが、未だに信じられなくて・・・・おい、聞いてるのか?」
立哨の相棒はカチンと立ったままの姿勢で固まっていた。
真正面を向いたまま微動だにしていない。
よく見れば瞬きすらしていなかった。
おいおい、まさか目を開けたまま眠って居るんじゃなかろうな。
「随分愛されていらっしゃるのね。勇者さまは」
突如、女の声がして、はっとして前を見れば妙な格好の女が居た。
鍔の大きな三角帽子を被り、膝が隠れるほどのローブを身に纏っていた。
何者だ。
咄嗟に誰何した。
手に持った槍を構えて、歩み寄るその女を押し止めようとした。
だが声が出て来ない。
唇が痺れたように固まって舌もまた同様だった。
それどころか身体が凝り固まったままだった。
どんなに力を込めようともビクともしなかった。
正に指一本すら動かないのである。
全身を見えない糸でがんじがらめにされているかの様だった。
「夜哨ご苦労さま、通らせてもらうわね。心配しなくても朝日が昇る頃には解けるわ」
軽い口調と共に女は脇を擦り抜けていった。
「開門せよ」の声と共に閂の開かれる音が聞こえ、王宮の門が開かれてゆく。
何故、門が開く?
いやそもそも、何故オレの声が聞こえたのだ?
敷地の中から誰何の声が聞こえたのは一度きりで、その後は誰の声も聞こえなくなった。
そして再び門は閉じられて、閂の掛けられる音が聞こえた。
イクサート二世は未だ執務室の中に在った。
夕餉を終え、葡萄酒の瓶と杯こそ机の上に在ったが数刻前より手を着けられることはなく、積もり積もった羊皮紙の束の中に半ば埋もれ掛かっていた。
裁可待ちの書類はこの数日で倍に増え、大きな祭典を終えた気怠さに浸る間も無く確認と認可の繰り返しを続けていた。
これでも補佐官や幾人もの文官が整理裁断した果ての案件ばかり。
彼らの裁く量に比べればこの机の上にある山も微々たるものと言えよう。
だが今宵はこの辺りにしておくとするか。
疲労の溜まった吐息をついて、羽根ペンをペン刺しに刺した。
杯の中に少しばかり残った葡萄酒を飲み干すと、香りが鼻腔をくすぐり空になった胃が焼ける感触があった。
恐らくあと半月はこの有様であろう。
冬の到来を感じる頃には諸侯も王都より離れ、自領にて領邦の運営に専念する事に為る。
そうすればこの書類の山も幾分低くなるのではあるまいか。
これからは此度の戦によってすり切れた様々なモノを補填、代替してゆく必要がある。
懸案事項は多々あるが、最大案件は一先ず成功裏の内に完遂仕切ったと言ってよい。
無論、戦後処理の方がより多大な資金と労力を必要とするのだが、兵や装備の損耗を考えずに済むようになったのだから悩みの種は随分と少なくなった。
しかしこういう時であるからこそ油断は禁物。
軍備が萎えれば他国に付け込まれ、更なる紛争の火種を呼び込むコトになる。
物理的な争いを揉み消すには国庫と兵をすり減らすしかなく、それを補填するのは他国の財産を我が物にするか、それに変わる財貨を徴収するしかない。
軍備が政治的、あるいは経済的な腕力であっても同じ事だ。
つまるところ国家の運営とは、国体を維持し、国民と国土財産とを如何様に天秤の上で釣り合わせ成長させてゆくか。
其処に尽きるのである。
それはどれだけ時代が流れようとも逃れられぬ国家の宿命であった。
「さて、先ず動くはエルフの女王であろうが」
癇癪に任せてどうこう為ると思っても居ぬだろうが、黙ったままで居るとも到底思えなかった。
椅子から立とうとして肘掛けを掴んだ。
其処で初めて部屋の異変に気が付き、身体が凍り付いた。
ドアの所に人影が立って居るのである。




