1-7 素っ頓狂な女性
「ああ、思えばあれから随分と時間が経ったものですね」
「何を遠い目をしやる。ついこの間の出来事じゃ、この痴れ者め」
「わたくしが異界への門を潜ってから幾日が経っておりましょうか」
「なにをとぼけたことを。わしが転移陣を踏んだのは、きさまが出奔してから三日後じゃ」
「ほほう。なるほど、なるほど」
「何をしたり顔で頷いておる。そもそもわしは異界に逃れるつもりなど微塵も無かったわ。
何があったかじゃと?副官のヤツが身代わりを買って出、抵抗するわしを拘束した挙げ句に壺の間へ放り込み、強引に転移陣を発動させたのじゃ。床にきさまの術式がそのまま残っておったからな。これ幸いと思うておったのじゃろう。
全く以て不敬千万!」
「魔王さまにどうしても生き残っていただきたかったのでしょう。ご立派です」
「たわけたことを申すな。主君を縛り上げる家臣の何処が立派か。打ち首ものよ」
「そして此の地に辿り着いて再び縛り上げられた、と。魔王さまはアレでしょうか。縛り上げられる星の下に生まれついていらっしゃるのかも知れませんね。
ちなみに魔王さまが倉庫で転がされたときの縛り方は亀甲縛りと申しまして、重たい物を梱包し、運ぶために使われる縛り方なのです。結び目が亀という生き物の甲羅を・・・・」
「やかましいわ。きさまの御託うんちくを聞きたい訳ではない。いい加減黙らんとその口を縫い付けるぞ」
「わたしが喋れなくなったら魔王さまの質問に答えられません」
「ならばとっとと話せ。わしは暇ではないのじゃ」
「ではまず、この地には魔物や魔族は居りません」
「!そ、そうか」
「魔女や魔道士も居ません」
「なんと」
「エルフもドワーフもノームも、その他諸々の諸部族もなく、竜族すら居ない。此の地を総べるのはトールマンのみです」
「おぞましいな。正に異界だ」
「そして魔法というものも存在しません。精霊も居なければ魔力を発することもなく、天地からの祝福を享受することすら叶わないのです」
「な、なに?真か。では此処に住まう者たちはどうやって暮らしておる。魔法が無いと言うのであれば、部屋の昼間のごとき明るさはどういうことだ。見たこともない建屋やこの部屋の動く絵画や絵を映し声を伝える板、諸々の珍しき様々な品はどうやって作っておる。エルフやドワーフも居ぬのであろう。トールマン如きに作れるとは思えぬぞ」
「作れます。だからこうして此処にあります。魔法の代わりに科学というもので代用しております。厄介な制約や視野の狭い部分もありますが、一般的な暮らしを営むには不自由しません」
「むう、俄には信じがたい」
「左様にございましょうね。わたくしめも此処に来た当初は唖然と致しました。そこで、です。魔王さまは見知らぬ土地に落ちてきたばかり。右も左も判らぬ上京したての初心な田舎娘でございます」
「最後の一言は余計じゃ」
「しかも魔法も無い世界で言葉も通じないと為れば迷子のお子ちゃま同然。いやむしろ正にそれ。先ずは此の地の言葉を操れるようになるのが先決でしょう」
「不要じゃ。異郷蛮地の言葉など口にすれば身が穢れよう。すでに我が従僕はすでに造り上げて居る。身の回りの事はあやつがこなすゆえ、なんの不便もない」
「存じております。あの男の子に聖痕を授けましたね」
「名誉であろう、魔王直々の指名である。誇りに思うが良い」
「それではわたくしが困るのです。そもそもあの子には、我らの些事に関わり合って欲しくはなかったのです。それもよくもまぁ、よりにもよって。やらかして下さいましたね魔王さま」
「い、いきなり何を言い出して居るのじゃ。目が怖いぞ」
「生まれつきにございます」
「偽りを申すな。老婆の仮面の向こう側からですら、そのような眼光ではなかったわ」
黒衣の少女は座った椅子の上で思わず身を仰け反らせた。
唐突に増した、眼前の魔女の圧が尋常では無かったからだ。
判る。
淡々と語ってはいてもその瞳の最奥に某か感情の炎が点り、ゆらゆらと揺らめき始めているのが感じ取れる。
しかもかなり剣呑な色合いのものだ。
「不案内の土地で、言葉も判らぬ文字も読めぬではご不便でございましょう。この魔女エラより魔王さまへ心ばかりのご進物がございます」
「何を口元だけで笑うておる。細められた目付きはなんじゃ。そして何故立ち上がる。いま右手の指に通したその禍々しい鉄の指輪はいったい」
魔王は詰問を最後まで口にすることは出来なかった。
「かような蛮地へようこそ。いらっしゃいませ魔王さま、ささやかなお祝いの品でございますうっ!」
裂帛の気合いと共に、魔女の右手にはめられた銀色のメリケンサックが魔王の左頬にクリーンヒット。
黒衣の少女はもんどり打って事務室の壁に強かに叩き付けられた。
盛大な音が響き、店内とを仕切る薄い壁が大きくしなって、天井のLED灯が身じろぎするように揺れた。
それはまるでトラックが店先に突っ込んできたかのような衝撃だった。
会心の一撃。
妙齢の魔女は右手を振り抜いたポーズで、うむと満足げに頷くのだ。
「何事ですか?」
勢い込んでドアが開けられて男女二つの顔が覗き込んだ。
魔女がよく見知った少年と姪の二人だ。
「ごめんなさい騒がせちゃって。おいたをした子に軽くお仕置きしただけよ」
放った鉄拳を口元にあてて、ウフフと微笑む顔には微塵の動揺も無い。
二の句が告げられず立ち竦んだ二人が見るのは、事務室の床に仰向けで伸びている一人の少女の姿であった。
その頬にはくっきりハッキリ暴力玩具の跡が着いていた。
白目を剥いていて意識が無いのは明らかだった。
そして少女の剥き出しのおでこには、親指の爪ほどの大きさの、黒くて尖った角と思しきものが生えているのが見て取れたのである。
「そんな訳で、この子はあたしたちの家で引き取ることにしたから」
年齢不詳な若々しい伯母は、身の丈に合わぬぶかぶかの黒衣を来た少女を背中に背負いながらそんなことを宣った。
コンビニの駐車場は夜明けの仄かな空の元で、未だ寂しげな夜間の残滓を匂わせていた。
あと少しすれば人気のないこの通りも、渋滞を避ける抜け道目当てのクルマが行き交い始めることになる。
「伯母さん。何がそういう訳なのかサッパリ判らないんですけれど」
背の高い女子大生は途方に暮れた面持ちで、伯母に真っ当至極な質問を投げかけていた。
突然夜明け前の店にやって来て、いきなり少女を殴り倒した挙げ句、家にお持ち帰りをするなどと言い出す謎状況。
質問しない方がどうかしている。
「彩花ちゃん、あんまり難しく考えちゃダメ。世の中にはその場の成り行きという、科学では説明できない不思議な出来事があるのよ」
「科学では説明できない出来事があるというコトに異論は無いです。でもこれは違うでしょう。ただ状況説明をするだけでこと足りるのでは?」
「ふはははっ。さすがだな明智くん」
「昭和の探偵さんに出番は無いです。それよりもあまり大声出すと背中の子が目を覚ましますよ」
「おっと、いけないイケナイ。まぁお家で詳しく説明するわ。ああ、そうそう。公介くんを忘れず誘ってね。早番の子に引き継ぎを済ませたら一緒にいらっしゃい。四人で朝ご飯を食べましょう」
「彼も一緒に?」
「色々聞きたいこともあるし。それに少しでも長く一緒に居る方がいいでしょう?」
「・・・・何を言ってるんですか」
「取敢えず頼んだわ。じゃあ後でね」
そう言って年齢不詳な彩花の伯母は、踵を返すと少女を背負ったまま軽い足取りで路地の奥に消えていった。
相変わらず素っ頓狂な女性だ。
でも常識は弁えているし、道理を踏み外すようなことはしない・・・・そのはずだ。
今回も何か理由があってのコトなのだろうと思うのだが、気持ちが落ち着かないことに変わりはなかった。
「やれやれ」
明け方の夜気の中に、少し大きめの溜息が漏れ出た。




