8-2 逃れる術は無し
先頭が中央王国の国境に入ると、ようやく軍全体に戦勝の活気が滲み出始めていた。
エルフやドワーフ、ノームやフォレストウォーカー等、トールマン以外の諸部族は、事前に配布された通行手形によって王国国内を通り抜け、それぞれの国元に帰還する事になる。
そして王国の軍団はかねてからの手筈通り、辺境領邦にそれぞれ部隊ごとに分散し、休息と帰還部隊の総員数確認を行った。
二日の滞在の後、中軍の全軍、各領邦伯軍の基幹部隊、軍官の全て、戦に参加した全ての騎士と貴族、戦功を上げた十人長以上の者全てが王都への凱旋を行なう予定だ。
要は中央王国常備軍本来の人員のみで帝都に入城するという訳である。
如何に王都が広大とはいえ、軍団全てを受け容れられる筈も無い。
そしてそれ以外の者はこの辺境領邦で相応の手当を受け取り、その場で兵役から解かれる事に為る。
先触れの早馬の知らせより事前から準備されていたとはいえ、その仕事量は膨大で、それぞれ辺境伯の公邸は地獄のような有様だった。
コレこそが正に戦場だよな。
書類の山に埋もれながら、トーツエンはまるで減る気配の無い机の上にそびえ立つ山脈を見上げてげんなりと溜息を付いた。
人手が足りぬ云々と理由を付けられて彼女と共に軍団よりも一足先に帰国し、この修羅場に頭の先まで埋まっている。
くそ、こんな目に遭うと分かっていたら読み書き算術なんて憶えるんじゃなかった。
そもそも下手を打ったのは、あの女主人さまの前でそつなく書類を裁いてしまったからだ。
彼女の無茶振りを「慣れて居らぬのだから根を上げても構わぬぞ」などと煽られてムキになってしまったからだ。
伯爵の介添え役と聞いていたから一代限りの無領騎士、或いは私生児として家督が許されぬ独立騎士辺りであろうと見越していたのに、まさかまさかの世襲貴族。
領地まで持っていたとは思わなかった。
しかも家督を継いで辺境伯位である。
この辺境領の領主さまである。
見当見違いにも程があった。
「オレの目も曇ったもんだな」
カーフォーナーという家名には聞き覚えは無かったが、父方の姓であるヨルフエンなら良く耳にした。
辺境領邦の間でも「鉄壁」の二つ名で通っている武将だ。
カダン・ヨルフエン辺境伯。
幾度となく魔族領からの侵攻に晒されても、その都度に国境で押し返し、生涯一度たりとも自領内に踏み込ませなかったというのは最早伝説に近い。
なので何故にその高名な姓を用いず、母方の姓を名乗っているのかは解せなかった。
ポトルペル伯爵の脇侍で在るというのも同様だ。
位階においては対等、権限においてはそれ以上であるというのに。
初めて顔を突き合せたあの荒れ地で、ポトルペル伯が彼女に対して些か及び腰に見えたのも納得だ。
自身と同等以上の者からの意見具申を無下に出来る筈もない。
二人の立場が逆ならばまだ頷けるものを。
理由を聞いたら答えてくれるだろうか。
だが、底なし沼に足を踏み込むようで口には出せなかった。
窟の中の竜には触れぬが吉、お貴族さまのご都合には首を突っ込まぬ方が良い。
何より、端から判っていたのならもっと意固地に「お断り」したであろうに。
領地持ち貴族の庶務官など、何処をどう考えても苦労、心労、疲弊、軋轢の日々が待ち受けていることが目に見えている。
我が人生において最大の失態であったと臍を噛む思いであった。
戦は終わったってのに、なんでまたオレは戦やってんだろう。
しょぼくれた面立ちの十騎長は独り語ちる。
逃げられるものなら逃げ出したい。
確かにその選択肢もアリだが、それは今まで積み上げたモノも全部放り出す事を意味した。
命があっただけめっけものなのは確かだが、ご褒美を頂けるのならそれすら捨てるのも面白くない。
正に文字通り、命がけで掴み取った権利なのだ。
頼れるモノはこの身ひとつ。
先行きを思えば掴んだままで在りたかった。
そんな訳で彼の身はこうして古ぼけた机の前に釘付けにされている。
重い疲労とやるせなさ、そして悔恨と終わらぬ仕事の山を目の前にして、本日もう何度目かすら忘れてしまった深い溜息をつくのであった。
王都凱旋の為の部隊が出発する。
目の下に真っ黒な隈を作ったしょぼくれ男は、街道の脇で軍団の行進を見送っていた。
どの鎧兜もまるで新品のようにギラギラと秋の陽光を受けて煌めいていた。
真新しい軍団旗に真新しい戦領巾。
旗持ちと先頭を行く将軍たちの馬は一頭残らずブラッシングを終えて、まるで品評会の会場に居並ぶ若馬のようなナリだ。
取敢えず水と飼葉、旗と戦領巾の用意が事前に完了していたのがせめてもの救いだ。
戦に赴く以前より発注が掛けられていたらしい。
全く以て用意周到なことだ。
負けていたらどうするつもりだったのだろう。
まぁいい。お陰で人間共の餌と寝床を間に合わせれば済んだのだから。
間に合ったと言えば良いのか、それとも間に合わせられたと言えば良いのか。
穴だらけでアラばかりが目立つやっつけ仕事だったが、体裁が整ったのだから良しと為べきなんだろう。
ああ。このままベッドに倒れ込んで、明日の昼まで眠りてぇ。
「トーツエン、何をしている。そなたも同行するのだぞ?」
振り返ると自分の主人がソコに居た。
見習い騎士の手で磨き上げられた鎧はやはり、戦場で出会った時とは別物のように光り輝いていた。
その出で立ちに黒髪と青い瞳は実に映える。
吟遊詩人の歌う物語の中に出てきそうな出で立ちだ。
「この館でお留守番という訳には参りませんか」
「いかぬな。そなたは栄えある竜王騎士団の一翼なのだ。
そなたの陛下への拝謁も願い出ている。そのご尊顔を拝する栄誉を賜るかも知れぬのだ。かの魔道具と二人の魔族を確保した功は決して小さくない。
王宮からも検討するとの返事も頂いた。期待して良いぞ」
だからこそ行きたく無いんですがね。
それに騎士団の一翼っつったって、このお祭りが終わったら解任されてタダの十騎長じゃないですか。
あ、いや、今はあなたの庶務官と兼務してましたね。
いずれにしても分不相応ですよ。
そもそもお貴族さまどころか王さまの御前に出るなんて、まったく本当に冗談じゃない。
「不服か」
「いえいえとんでもございません、滅相もない。身に余る幸運に打ち震え緊張しているだけにございます」
「ふむ。色々と云いたいことはあろう。だが、これも役目だ。拝謁を賜った者は戦勝会の宴にも招かれる。そなたにはその後、所見を聞きたいのだ」
嗚呼成る程。
そちらが本命という訳ですね。
何と言うか、無駄に買いかぶられてしまったものだ。
やはり逃れる術は無しかと諦めると同時に、徐々に踏み込みたくも無い迷宮の奥底に入り込んでいるような気がして、ぶるりと肩を震わせるのだ。
「用意をして参ります」
急げよ、との声を背中に、新しく女辺境伯の家臣となった男は、館に用意された自分の仕事場へと踵を返した。
部屋の隅に押し込んでいた兜、胸当てや剣鞘は磨いている暇は無かったが、水樽の中で漬け洗いしておいたから泥や血染み程度はとれているだろう。
行軍の最中、馬の鞍の上で少し寝れるかなと思ったが、過度の期待は禁物かと思い直し、自嘲混じりの溜息を漏らした。




