7-3 きみを害する事はない
三千本桜鰓子の家で目を覚ましたエルフは随分と酷い有様だった。
頬は痩け目は落ちくぼみ、顔色はまるで死人のように青ざめていた。
何よりも体内にふんだんに蓄えられていた魔力が完全に消え失せ、本来なら直ぐさま戻る体力も枯渇したままで、身体を起こすことすら苦痛を伴う状態であった。
だがその様な容姿身体の悲壮さよりも、傍らに居る二人の女性を尻込ませたのはそのエルフの取り乱し様であった。
「キサマがこの異様な館の主か!」
正気を取り戻した途端、エルフは叫んでいた。
ただでも悪い顔色を更に青ざめさせて、裏返った金切り声をあげて支離滅裂な言葉を迸らせていた。
病人のような有様だというのに驚くほどの声量で、喚き、叫び、罵り、そしてジタバタと暴れるのである。
全身が拘束され床に転がされて居たので身悶えるイモムシのような様相であった。
「わたしをいったいどうするつもりか生け贄の裁断に捧げるのか生きたまま内臓をえぐるつもりかそうはいかぬぞわたしにもエルフとしての意地も矜持もある悪魔に呪われろ魔神の牙にかみ切られて悶え死ぬがよい魔女に屠られて地獄に堕ちるくらいなら自ら死の断崖から跳んで己の尊厳を守るくらいの気概はある指一本でもわたしに触れてみろ我らが先祖の呪いが決してキサマを安楽な死に場所へとは誘わぬぞただただ永劫の苦悶と罪過の戒めに狂い悶える羽目になろうそもそも我らは・・・・」
台詞は随分とご大層だが、一ミリでもこの場から離れようと、床の上でぐねぐねとのたうちながら身悶えるこの様よ。
目を血走らせて涎を垂らし、声を枯らして罵倒し続けていた。
かくかくと腰を蠢く度に乱れきった髪がモップのように床を磨いていた。
涎と洟が顔の下半分を汚していた。
涙さえ溢れていて叫ぶ度に唾液がそこら中に巻き散らかされた。
ハッキリ言って大の大人が取るべき態度では無い。
道の真ん中でダダをこねて泣き喚く幼児と大差なかろう。
だが当人はまるで構う様子が無かった。
恥も外聞もなくただ悪態をまき散らしながら、恐慌の波に溺れるばかりなのである。
「鰓子、だからその装束はまずいと言っただろう」
ヘレンが傍らの仮面を被った魔女装束の人物に小声で話し掛け、当人は「うーむ」と小さく唸った。
「まさか此処まで劇的な反応をするとは思わなかったわ」
説明する手間が省けて宜しかろう、と云うのが彼女の言であった。
だが、トールマンの連中にとって老婆の仮面を被った魔女は正に恐怖と災厄の象徴として、上は将軍から下は一兵卒まで知れ渡って居るらしい。
ヘレンからその様に聞かされていたのだが、かなり誇張の入った物言いだろうと高を括っていた。
たかだか魔女一人如きに一軍が震え上がるなどと。
自分が戦場を騒がせていたのはほんの一時だ。
全体を見れば与えた被害も微々たるモノ。
連中が殺めた数とはまるで比べ物にならない。
そもそも、エルフやトールマンどもが出会った魔女は自分が最初でもなかろうに。
「噂ってやっぱり尾ヒレが付くものなのね」
「あなたは自身を過小評価している。かつてわたし達ヒト族はあなたに惑わされ、同士討ちをし、討ち取ろうとした者たちも信義矜持を塗り替えられて次々に寝返ったのだ。
魂すら操られると思えばおぞましさは一際。畏怖を呼ぶには充分だ」
「ヘレンは無事だったじゃない」
「アレを無事と云うのか?わたしでも、いま一度あなたと相対するとなれば肝が冷える。正直今度は生き残れる自信が無い」
「あたしもまっぴら御免だわ。きっと今度は仮面だけじゃ済まないでしょうし。まぁそれはさて置き、コイツはどうしたものかしらね」
取敢えずその衣装を脱いではどうかと助言されて、それに従うことにした。
そして床でのたうち続けるエルフは鰓子の素顔を目の当たりにし、「それがお前の素顔か」「しかと憶えたぞ地獄の悪鬼に呪われろ」「殺すなら殺せ。だがその瞬間からキサマは安息とは無縁の日々を送ることになろう」などと呪詛ばかりが巻き散らかされた。
「落ち着けユテマルス。きみに危害を加えようとは思って居ない。わたしだ、ヘレン・・・・いやアリアだ。君たちが勇者と呼んでいた女だ」
「何故わたしの名前を知っている!」
そう叫んで愕然とした表情で落ちくぼんだ眼差しを見開くのである。
「何を云っている。この顔を見忘れたか」
「何を云っているのかというのはコチラの台詞だ!何者だキサマ、わたしに近寄るな!」
「しっかりしろ、気を確かに持て」
肩に触れて軽く揺さぶると「ひいーっ」と断末魔のような声が響いた。
と同時に、傍らから「やれやれ」と呆れた溜息が聞こえて来た。
そして溜息の主が踵を返し、キッチンから持って来たマグカップからユテマルスの顔目がけて水がぶちまけられたのである。
「少しは頭が冷えた?」
「鰓子」
「悪かったわよ。でも脳ミソが沸騰した相手は話し合いなんて応じないでしょ」
タオルを手渡され、彼の半身を起こして顔や頭を拭いてやった。
そして今一度、自分は勇者アリアだ、と語って聞かせるのだ。
そこでようやく、恐慌をきたしていたエルフはまじまじとヘレンの顔を確かめ、初めて驚きの表情を見せるのである。
「あ、いや、まさか、ず、随分と様子が変わったが・・・・その顔は確かに・・・・」
「まぁこの所、毎日いいモノ食べてお風呂に入って温かいベッドでグッスリ眠っているからね。血色も良くなるわ」
此処に来た頃と比べれば別人よねと口を挟む鰓子に、再び「ひい」と不自由なエルフは身を竦ませた。
「鰓子、悪いがしばらく見ているだけにしておいてもらえないか。ユテマルスが怯えて話を続けられない」
肝っ玉の小さなエルフだわ、と呆れたように呟いたがそれ以上口を挟もうとはしなかった。
そして元勇者の女性は小さく深呼吸をして、拘束されたままの哀れな虜囚に声を掛けるのだ。
「先ず分って欲しいのだが、我々がきみを害する事はない。彼女は確かに魔女だが休戦の約定を取り交わしている。我らが天神地神に誓うように、彼女は彼女の始祖に誓い、それが違えられる事はない。だから安心して欲しい」
鬼気迫る表情のエルフからは何の返答も無かった。
ただ疑惑の眼差しが魔女と元勇者とを交互に彷徨うだけだった。
「ユテマルス、色々と聞きたいことが在るだろう。だがそれは我々も同じだ。同じテーブルに座って話をしたい。きみが決して喚いたり暴れたりしないと約束できるのなら、その戒めを解こう。どうだろうか」
ヘレンを凝視する眼差しは瞬きすらしなかった。
だが静かに語りかけるその言葉は耳に染み入っている筈だ。
問い返そうとするように唇が何度か震えたのだが、やがて噛みしめ、目を伏せてしばしの沈黙が在った。
そして「約束しよう」と返事をした。
小声で震えていたが確かな意思を感じる応えであった。




