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【1万1千PV感謝】下町侵略日記  作者: 九木十郎
第七話 お留守番していて下さい魔王さま
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7-1 リフレインしているのかも知れなかった

 雨の降る夜の事だった。


 父の提案で家族ぐるみのドライブに出掛けたのは良かったが、帰り道で思わぬ渋滞にはまり、わたし達の街に戻ってきたのはとうに日が暮れた後の事だった。


 工事予告を見逃さないでおいて欲しかったわ、と母が愚痴ぐちっていたのを憶えて居る。

 そのため車線規制がなされ、手非道い混雑になったようだった。

 それは後から聞いた話で、当時のわたしには今ひとつピンと来なかったのだが。


 父は「バイクなら擦り抜けられたから、あまり気に止めなかった」などと言い訳をしていた。

 母は諦めたように溜息を付くだけだ。


「まぁ、最後はちょっとアレだったけれど、ドライブ自体は良かったわ」


 また行っても良いわね、ただし今度は渋滞は勘弁してね、と母は言い、それに父は善処しますと肩をすくめた。

 そして母は後ろの席に座るわたしに肩越しに振り返った。


 それがわたしの憶えて居る父と母の最後の記憶だった。




 気が付いたときには何がどうなっているのかサッパリ分らなかった。

 何故か顔が濡れていた。

 冷たい雨が打ち付けている。

 クルマの窓ガラスが木っ端微塵で、何故なぜ割れているのかが分らなかった。

 全身が痛くてピクリとも動かせなかった。


 助手席から白い手がダランと力なく伸びているのが見えた。

 母の手だというのは分ったがやっぱり何が起きているのかが分らなかった。

 父はハンドルの上に覆い被さる様にして動かない。

 しぼんだ大きな袋のような物に顔を埋めていた。

 眠っているのだろうか。


 ガラスの破片がクルマの中に散らばっていた。

 真正面のガラスは完全に無くなっていて、真っ黒な外の風景と、その向こう側から見える白いライトが眩しすぎた。

 赤いライトがチカチカ瞬いているのがたまらなく嫌だった。

 誰かが大声で呼んでいる声がする。

 でも何を言っているのかがやっぱり分らなかった。


 窓を閉めて。顔が冷たいから。


 必死に為ってそうお願いしたのだが声が出てくれなかった。

 そしてそのまま何もかもが分らなくなった。




 気が付くと白くて清潔そうな部屋に寝ていた。

 機械に囲まれていて鼻に管が差し込まれていた。

 身体が重ったるくて全然動かなかった。

 やがて白い服を着た女性が現われて、わたしと目が合うと少しビックリした顔をして「目が覚めた?」と訊いてきた。

 そして自分が怪我をして病院に運び込まれたのだと聞かされた。


 直ぐに白衣を着た男性が現われて「具合はどうか」と訊かれ、体中が痛いですと答えた。

 名前とか年齢とか目の前にかざされた指の本数とかを尋ねられた。


「お父さんとお母さんは何処どこですか」


 そう尋ねると白衣の男性の表情がぴたりと止まり、「静かに眠っているよ」と返事があった。

 そして「いまはきみの身体を治す方が大事だ、お父さんとお母さんもそれを望んでいる」と言われ、「はい」と答えて目を閉じた。

 少し喋っただけでもうクタクタだったからだ。




 また目が覚めると何処かで見たような女の人が覗き込んでいた。

 困ったような安心したような複雑な顔をしていた。


「思ったよりも元気そうで良かった。心配したのよ」


 この人は誰だったろう、見覚えはあるが名前が出て来ない。

 困っていると「伯母の鰓子えらこよ、お母さんの姉の」と教えてくれた。

 ああ、そうだ。

 鰓子伯母さんだ。

 昔何度か会ったことがある。

 それと気付くと、今の今まで忘れていた事が恥ずかしくなった。


 色々と話をした。大した事もないただの雑談だった。

 思いも掛けない話題でちょっと笑ったり驚いたりもした。

 身体の具合以外で、しかもこれだけ長い時間話すのは久しぶりだった。

 そしてふと会話が途切れると、伯母さんは居住まいを正して「大事な話があるの」と改まった。

 すっと頭の芯が冷えるのが分った。

 幼くとも直ぐに普通の話では無いと察したからだ。


 心が騒ぐ。

 しかも良くない騒ぎ方だ。


 言わないで、と思った。


 それと同時に聞かなきゃならないんじゃないか、とも思った。

 伯母さんの顔が泣きそうで、辛そうで、そしてとても真剣だったからだ。


 そしてわたしは其処そこで、父と母とがもう亡くなっていた事を知らされた。




 目が覚めるとまだおりの中だった。


 やれやれ、またあの時の夢を見てしまった。

 これで何度目だろう。

 大体イライラしたり面白くない事があったりすると見ることが多い。

 我ながらしつこい性格だと思う。

 今この現実こそが夢だったら良いのに。


 あの事故の原因は、反対車線を走っていたトラックがセンターラインを越えて渋滞の車列に飛び込んだ事なのだそうだ。

 過労と事前に飲んだ風邪薬とが重なった挙げ句の居眠り運転だとか聞かされたが、だからといって納得出来る筈もない。


 そして渋滞のせいで事故救助隊や救急車の到着が遅れ、わたしが助かったのは本当にギリギリの状態だったらしい。

 父と母は既に心肺停止だったそうだが、あと五分到着が早かったらどうだったろう。

 あるいは、事故現場に緊急蘇生術の心得のある人物が居たのなら・・・・


 詮ない話だ。

 そもそもグチャグチャになったクルマの中から、わたしたち家族三人を助け出すのも相当に苦労したと聞いた。

 そして一歩間違えば出火していたとも。

 そうなっていれば間違いなくわたしも助からなかった。

 素人には手に負えない状況だったのだ。


 当の運転手は両足骨折で済んだらしく、その家族が何度も病院に来て謝罪の面会を求めていた。

 だが伯母が全部突っぱねて居たらしい。

 運転手当人はまだ入院中で、その奥さんは土下座までして頼み込んでいたのだそうだ。

 だがそれを聞いても何も心が動かなかった。

 父と母が死んだと聞かされてもまるで現実感が無かったからだ。


 病院に担ぎ込まれて意識が戻るまで一〇日以上もかかり、その間に葬儀も事後の処理もあらかた済んでしまっていた。

 結局わたしが目に出来たのは両親の遺骨くらいのものだった。

 だから箱に収まったソレがそうなのだと言われてもピンと来なかった。


 父も母も自分の知らない遠い所に旅行に出かけて居て、その内にふらっと帰って来るのではないかと、そんな気がしてならなかったからだ。


 そして今も父や母と他愛の無い会話をする夢はよく見る。

 あの両足を折ったトラックの運転手、未だに謝罪とわたしを気遣う手紙は届くが交通刑務所からはとうに出所しているはず。

 その一方、わたしがこんな所でおりの中というのはなんという皮肉か。


 あの人はいま、どうやって生活しているのだろう。

  どんな夢見をしているのだろうか。


 もしかするとわたしと同じく、あの事故の日を何度もリフレインしているのかも知れなかった。

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