6-4 鏡の向こう側に居る己の姿
最初の変異はその道の者ならば誰しもが感付けた。
だが大勢は大した事は無かろう、直ぐ元に戻るだろうと高を括っていた。
大いなる力が爆ぜた後では良く在る出来事であったからだ。
大きな変化の後に身近で起きるささやかな変わりようなど、気にする者など殆ど居なかったからだ。
大戦の戦勝気分に乗り、下は兵卒から上は軍将まで皆が高揚しているという場の勢いもあった。
だが一時の熱が冷め、幾ら日数を重ねても何も元に戻るどころか悪くなって行く一方と為ると、疑念を持つ者も増えてくる。
これはどうした事だ、何故元に戻って来ない?
徐々にではあるがソレは確実に悪化の一途を辿っていた。
冬の後には春が訪れ、雨の後には晴れ間が来、夜が明ければ朝日が昇る。
それらと同じく、世に満ちる力の復活は至極当たり前の理であると、固く信じられていたからだ。
古くなった酒樽から少しずつ漏れ出し、気付けば半ば以上が減ってしまった時のように。
或いは、まだ有ると思い込んで居た塩瓶の中身が、いつの間にか瓶底が見える様になっていた時のように。
人という者は切羽詰まって初めて、危機感を抱くように為るものなのである。
魔力の希薄化が始まって早二〇日。魔王城の陥落から、ほぼ同じ日数が経っていた。
小柄なエルフはテントの中で目を覚ました。
覚めて虚脱感と気怠さを感じながら「嗚呼、また」と毛布の中で溜息をついた。
朝になり目が覚める度に、昨日よりも更に希薄になった魔力に戸惑う。
一昨日よりも昨日、昨日よりも今日と、少しずつではあるが間違いなく確実に、我が身に纏う力の源が薄くなっていくのを体感出来た。
何故にと考えるのは自分一人ではない。
魔法魔術を己の一部として生きてきた者全てが感じる疑念であった。
そして今や疑念は不安となり不安は不穏な気配を纏い、ゆっくりと全軍に拡がっていた。
最初は楽観的な物言いをしていた者も、この頃はその軽口もすっかり影を潜めてしまった。
時折、無駄に威勢の良い台詞を口にする者も居る。
だが、己の力の源が枯渇してゆく様に虚勢を張っているだけで、周囲も当人もただ虚しくなるだけの物言いに過ぎなかった。
誰も彼もが落ち着かないで居る。
原因の見当が付かず、打開案や解決策もまるで思いつかなかったかだ。
そして日を追うにつれて様々な憶測が飛び交うようにもなった。
曰く、かつてない程の規模の魔力の消費であった為、散った精霊が容易く戻って来ないのだ。
曰く、魔族による、自分達を滅ぼそうと企んだ人族全てへの報復。
死なば諸共と捨て鉢になった果ての陰謀である。
曰く、魔王城は世界の魔力を集蓄する役目があった。
その溜め池を破壊したが故にツケを支払わされている。
曰く、大勢の人族や魔族が死に、その魂が天地に吸い上げられる際に魔力も持って行ったのだ。
曰く、大勢の命を殺めた事への、天神地神の戒めである。
等々。根拠の有無に拘わらず様々な者が様々な自説を唱えた。
自分達の長や王に今後の道筋を問う者は後を絶たず、本国から遠征軍との連絡はかつて無いほどに頻繁になった。
と同時に、魔力の希薄化はこの魔族領一帯だけの変異ではなく、自分達の本国やその周辺国もまた同様だと知ることにもなった。
最早、遠征先だけの話では無くなってしまっているのである。
困惑は焦燥となり、帰国の途に着く者たちの足を早めさせていた。
誰も彼もが訳が分らず不安であったのだ。
そしてそんな騒ぎの中で、それがいったいどうしたのかと居直る一団があった。
人族の中でも最大勢力、トールマン族の幹部である。
エルフやノームたちの動揺は決して小さなものでは無かったのだが、トールマン共は超然としていた。
魔力が在ろうと無かろうと、自分達の日常や国の政体には殆ど影響が無かったからだ。
確かに影響力皆無と言うには語弊があるが、それでも多少の軌道修正で事足りる程の誤差であったし、伝統や生活基盤が根底からひっくり返されるという事態も在り得なかった。
魔法魔術が使えない事が当然の種族であったからだ。
日常にしてもまた然り。
当然のように魔術の恩恵は隅々にまで浸透していたものの、それが失せたからといって困窮している者はほぼ居なかった。
代用品で事足りたからだ。
似たような状況はドワーフ族もまたそうであったのだが、最大のライバルと目されていたエルフの弱体化は少なからず彼らの先行きに影響を与えそうではあった。
だが切迫した危機感が無いという点ではトールマンと大同小異、似たもの同士と云って良かった。
「まったく愚鈍なヤツらだ。愚かと云うにも程がある」
昼食のスープを口にしながら年長のエルフは憤慨していた。
塩味ばかりで具の無いスープであったが白湯よりは幾分マシだった。
「魔法魔術無くして世界が成り立つとでも思って居るのか。水を飲まずとも生きながらえられると言うにも等しい」
「彼らはそれが無くとも生きて行けますから」
「食い物と寝床さえあれば何処ででも増えてゆく。本当に全く以て下等な連中だ、虫と変わらぬ」
「声が大きいですよ。此処は彼らの陣中です。それに彼らと協力しなければ魔王の討伐など叶いませんでした」
「そもそも討伐する必要があったのか。魔族は本当にトールマンの国に攻め込んでいたのか」
「今更の話でしょう。もう済んでしまったのです」
「だからと言って、事の次第を詳らかにする事に意味が無いとは云えまい」
「それはそうですけれど、今此処で議論する事では無いでしょう。本国に戻ってからでも事足ります」
小柄なエルフは年長者の些か口さがない物言いに、ハラハラしながら天幕の外に耳を澄ませた。
こんな会話を立ち聞きでもされたら騒動のタネに為りかねない。
しかしひとしきり憤慨して幾分ガスが抜けたのだろうか。
年長のエルフは大きく吐息を着くと話題を変えた。
「ハルクック、どう思う。行方不明になったユテマルスの事だ」
「確か、新たに勇者のパーティに指名されて直ぐのことでしたよね」
「同じく勇者付きの戦士として指名されたドワーフと共に、魔王城の地下に潜って以降姿を見た者が居ない」
「そうだったんですか。でも勇者は健在だと言うのに、パーティの介添え役だけが不明というのも妙な話ですよね。魔王討滅後の事でしょう?」
「何だ、知らないのか。勇者も行方不明だ。重傷を負って療養中というのは作り話だよ。恐らく発表は全軍が本国に帰還した後だろう」
「えっ!」
「相打ちとなって行方知れずよりも、魔王を倒し凱旋後に傷が悪化して病没の方がまだ体裁が良い。遺体を聖遺骸として祀ることも出来るからな。魔族の地、魔王城の地下で今も眠っているという談では片手落ちだろう」
「それは、全ての臣民を騙すという事なのでは」
「嘘偽りを云わない為政者が居ると思うか?大事なのは次代の勇者に箔を付けることが出来るということだ。『天神地神の元へと旅だった魔王討滅の勇者へ。いま此処に誓う、新たな勇者の誕生』といった辺りか。誓うモノは目の前に在った方が印象は強かろう。偶像は煌びやかなほど良い」
「・・・・」
「まぁトールマンたちのお遊びだ。我らエルフの関知する所ではない。それよりもわたしはユテマルスが居なくなったという魔王城の地下に潜ってみた」
「行方知れずの者が出て以降、立ち入り禁止だったのでは?」
「トールマンの作ったルールだ。何故我らがご丁寧に遵守せねばならん。我らに命を下せるのは女王陛下のみ。我らに聞いて欲しければ、まず陛下へ奏上してもらわねばな」
本国で招集された時に聞かされた話では、トールマンの軍規に従いその指揮下に入れとの御言葉ではなかったか。
小柄なエルフは小さく溜息を着くだけだった。
「それで、地下で何か見つけましたか」
「いや、何も無かった。何かが在ったであろうと思しき広間、それだけだった」
「では何も分らなかったと」
「そうでもない。お前も魔族の壺の話は伝え聞いて居よう。魔族の力の源と噂されていたモノだ。そして勇者の介添え役になった者は女王陛下より直々の命を賜る。恐らくユテマルスはそれを実行しようとして居なくなってしまったのではあるまいか」
「何だとお考えで」
「転移陣の類いではないかと考えて居る。わたしの専門ではないが、おまえやユテマルスはその筋に通じているだろう。それに初代の介添え役であったタータもまた転移陣の造詣が深かった。陛下は恐らく何某かの目星を付けていらっしゃるのではなかろうか」
「な、成る程」
「これは、わたしが転記した地下の広間にあったそれと思しき魔法陣だ。欠損部分が多くて読み取れない箇所が多かったが、概要くらいは判別が付くのではないかと思ってな」
そう言ってローブの内から取り出され机の上に拡げられた羊皮紙には、確かに歪な形の魔法陣と思しき図形が描かれていた。
「どう思う?」
「ぱっと見た所では判別が付きません。ですが魔力の呼び込み口は在っても対作動端、排出口が見当たらないですね。転移陣の可能性は確かにあります」
「そうか。読み取れそうか?」
「元の文法も分りませんし、内容も高度で読解できるかどうか」
「行き先くらいはどうだ」
「それは転移陣術式の最終終着点です。逆に言えば、先行きの座標が分れば後追いで文法の構築が可能ですから」
「むう・・・・」
「ユテマルスの事が心配なのですね、フォクサン」
「学院時代からの腐れ縁でな。無駄に優秀で、自尊心ばかりが肥大した鼻持ち為らん後輩だったよ。ヤツが失敗したときに上目線で嘲笑ってやるのがわたしの夢だ」
「歪んでますよ」
「正当な報酬と言って欲しいな。ヤツには何度煮え湯を飲まされたことか」
苦笑しながらもハルクックは思うのだ。
このエルフ至上主義の年長者にプライド過剰と評される御仁は、果たしてどの様な人物だったのかと。
そしてふと、鏡の向こう側に居る己の姿を嫌悪しているだけなのではないかと思い至った。




