4-10 皮肉めいた笑みを浮かべていて
何たること。
わたしの大事な弟子が二人とも死んでしまった。
ファンテナッハ、あなたは集中し過ぎると視野が狭くなると、槍術師範に口酸っぱく注意されていたではありませんか。
ススケー、感情的になるな、激しては相手に付け入る隙を与えると、いつも剣技の師匠に怒られていましたよね。
最後まで直りませんでしたか。
二人が四〇の生誕祭を迎えて弟子入りして以来、大切に大切に育てて来たのに。
やがてわたしの後継者に成ると、わたしを追い抜く逸材であると行く末を楽しみにしていたというのに。
それも叶わぬ願いとなってしまいました。
「さて、どうしてくれましょうかね」
勇者を狩れ、との命が下った。
老婆の仮面を被った魔女を護衛していた戦士も含め、総当たりの体で騎士や戦士が殺到した。
対する勇者は楯も無く、ただ剣一本があるのみ。
だが彼女は止まらない。
いや止めようがなかった。
対する騎士や戦士は片端から切り捨てられていった。
腕を落とされ、喉を突かれ、胴払いで投げ捨てられた者も居た。
薙ぎ、払い、突き、振り下ろしで兜ごと叩き割られ、素っ首が宙に舞った。
勇者の剣が振るわれるその都度に血しぶきが飛び、悲鳴や断末魔が戦士どもの怒号雄叫びを上回った。
その有様、正に鬼神と云ってよい。
無数の返り血を浴びながら勇者のその身には毛筋一つの傷さえなく、まるで無人の野を駆けるかの如く、猛り、爛々と殺気を漲らせ、仮面を被った魔女に迫るのだ。
遮る最後の一人を切り倒した瞬間、魔女のローブが翻った。
何かを放ったような仕草であったが何も見えない。
恐らく毒であろうと直感し反射的に息を止めた。
だが突然、勇者の全身に刻まれた付与呪文が悲鳴を上げた。
抗毒護符の効果を越えた毒か、それとも別種の薬物か。
突然の激痛にもんどり打って倒れた。
全身に数千の刃を突き立てられたような尋常ならざる痛みであった。
四肢が痙攣して立ち上がることすらままならない。
そしてその効果は勇者に対してのみならず、彼女の護衛として再度駆けつけた者でさえ襲い、身悶え悲鳴を上げて倒れてゆくのだ。
最早この魔女、見境すら無い。
「焼随香よ。痛いでしょう。抗毒護符や毒消しは役に立たないわ」
だって毒じゃあ無いのだもの。
無色無味無臭の芳香で、目鼻口耳肌あらゆる粘膜から浸透する。
極めて微量でも効果は絶大で全身の痛覚を直に刺激する。
犯している訳では無い、ただ限度を超えて活性化させているだけ。
過剰過敏に反応し、神経が直に焼けるが如き痛みに、際限なく悶絶する羽目になるのだ。
風が頬を撫で、衣服が肌に触れるだけでも激痛となった。
肌だけではなかった。
頭蓋、眼窩、鼻腔、舌根、歯茎、心の臓、胃の臓、肝の臓、腸管、肛門、性器、全身の筋肉、全ての骨、およそ痛みを感ずる部位の全てが激しい痛みにねじ切られた。
普通の者はまず耐えられなかった。
失神しても更なる痛みで再び目を覚まし再び失神する、その繰り返しだからだ。
確かに即死毒では無い。
だが、量が多ければショック死も在り得る危険極まりない煙薬であった。
そして戦場では、相手の動きを封じてしまえば事足りるのである。
「死ね」
言葉と共に投げられた小さな陶器の瓶を、アリアは空中で叩き割った。
痺れる腕を振るっての、殆ど反射的な動作だった。
だが割るべきではなかった。
左右どちらかに転がるかして避けるべきだったのだ。
もっとも、全身が痺れて逃げ切れるかどうかは疑問であったのだが。
割れた瓶の中から液体が飛び散り頭から浴びた。
新たな激痛が頭皮と顔面とを焼く。
いやそれは痛みなどと生優しいものではない。
皮と肉が引き裂かれ破裂四散するが如き衝撃である。
石槌で頭蓋を叩き割られてもこれ程の苦悶ではあるまい。
此の世為らざる悲鳴が上がった。
それが自分のものだと気付くのに数瞬が必要だった。
悲鳴が余りにも大きかった為に、声帯が破れて血を吐いた。
それでもまだ足りない。
それはサラマンデルの毒袋から絞り出した強薬、肉を溶かし骨さえ蝕む劇毒であった。
普通の者ならたったの一滴で即死。
その揮発を嗅いだだけでも肺を灼かれて悶絶死する。
魔女にとっての奥の手であった。
だが勇者は勇者として造られたからこそ勇者なのである。
勇者の体内に蓄えられた魔力を総動員して、抗毒魔法が全力で解毒を行ない、回復魔法が肉体を急速に修復する。解毒と回復に伴う猛烈な痛みが全身を貫く。
激痛と強引な代謝機能の加速は施術者の体力を根こそぎ削ぎ落とすが、構っている場合ではなかった。
たとえ二度と立てなくなっても構うものか。
この魔女に、一太刀浴びせるまで保ってくれればそれで良い。
ヤツはもう目と鼻の先に居るのだ。
だが付与魔法の回復にはまだしばし時間が掛かる。
痙攣を続ける手足の感覚はまだ戻って来ない。
苦悶苦痛よりも一瞬刹那が惜しかった。
「これを渡して置きます」
最後の休憩の時にタータより手渡された物があった。
小さな袋に入っていて、中には幾つもの丸い粒が入っていた。
指で摘まめる程度のもので、小さな木の実に見える。
だが取り出してよく見ると表面に呪文が刻まれていた。
「昨晩ようやく完成しました。あなたの肌に刻まれた付与回復魔法の補助丸薬です」
そんな事を言っていた。
「噛みつぶせば即時効果を発揮しますが、回復痛により全身に耐え難い激痛が走ります。恐らく体力も相当削られるでしょう。耐えきれずにしばし痺れて動けなくなってしまうかも知れません」
「戦いの最中には使えないな」
「そうですね。ですからコレは、わたしが居なくなった時の為の備えとして持っていて下さい」
「ならば、今回コレの出番は無さそうだ。きみは裏方に徹するのだろう?」
「万が一、ですよ。何しろ相手はあの魔女です。油断は禁物と仰ったのはあなたではありませんか」
そう言ってエルフの魔法使いは、いつものように困ったような顔で微笑んで見せた。
勇者アリアは咄嗟に懐をまさぐる。
悶絶を装い、いや装うまでも無く正に死の苦しみに身を捩っている最中なのだが、手探りで渡された件の丸薬を取り出すとそれを噛みつぶした。
激痛だと?構うものか。
死ななければそれで良い。
途端、全身に落雷が突き抜けた。
顔や頭蓋が溶け落ちる激痛すら生ぬるい。
それは単純なる衝撃だった。
再び「ぎゃあ」と鳴いた。先程よりも更に獣じみた悲鳴であった。
脳髄が破裂したのではないかと思った。
四肢を裂き千切られるかのような。
内腑を鷲掴みにされて引きずり出されるかのような。
生きたまま全身の皮膚を引き剥がされるかのような。
正に言語を絶した苦役。
もはや人の意思で表現することすら難しい。
勇者は断末魔の苦しみに、ただひたすら地面で足掻き身悶え続けていた。
足掻き終えた後の姿は、未だ肉の焼ける臭いを放っていた。
もはや、ただの骸にしか見えない。
悶絶痙攣した後は四肢が動かなかった。
少し前まで全ての腱が引きつるように震えていたがそれも止み、衝撃が去った後の耐えがたい痛みだけが在った。
それに伴い手足の感覚が戻って来る感触があった。
確かにこの丸薬は特別製だ。
即効性は回復魔法の比では無い。
ぎりぎりと骨を切り刻まれるような激痛が続く。
だが耐えてじっとうずくまったまま動かなかった。
息も止めた。指先も動かさなかった。
全身からは未だ毒液に肉が焼ける臭煙が上がっている。
顔と頭が燃えるように痛い。
ヤツには死んだように見えるだろうか。
姑息であろうと知った事ではなかった。
痛みと置き換わるように足の痺れが遠のいていった。
指先の感覚が戻り、剣の柄を握る握力が感ぜられた。
靴が地面を踏む気配が近付いてくる。
靴底に鋲の滑り止めが為された軍靴ではない、ただの革靴だ。
鎧や剣の鞘が互いに当たる音は無く、厚手の布が擦れる音がする。歩幅も小さく体重も軽い。戦装束に身を包んだ騎士や戦士のものでは決してなかった。
恐らく女性。それも旅人を思わせる足取りだった。
間違いない。歩み寄って来るのはあの魔女だ。わたしの死を確かめに来たのだ。
行ける、と断じ全身にバネを溜めた。
頭の芯が冴え渡る。
激痛など知ったことか。
この一太刀に全てを。
足音が止まる。
今!
伏した姿勢から瞬時に跳ね起きれば、魔女は完全に間合いに入っていた。
「化け物め」と聞えたのは空耳だったのかどうか。
逆袈裟懸けですくい上げる一閃。
無我であった。
自分の身体に染みついた一振だった。
文句なしの不意打ちだった。
魔女はもう己の策の成功と、勇者の絶命を確信していたからだ。
老婆の仮面が下半分を割られて飛散する。
だが足りなかった。
魔女の首には届かなかった。
あと一歩、いや僅か半歩であった。
伏せたままであったので目測を誤ったのか。
身体が充分に回復し切れてなかったのか。
それとも仮面に当たった剣先が僅かに軌道を逸らしてしまったのか。
いずれにしろ魔女は無傷。
振り上げた勢いが激しすぎて勇者は自分の剣に振り回され、たたらを踏み、その僅かな間隙を突いて魔女は足元の影の中に消えて行くのである。
「待てっ、この邪悪なペテン師め!」
再度振った剣は空しく虚空を切るのみ。
影の中に消える直前、割れた仮面から覗いた口元は皮肉めいた笑みを浮かべていて、それが勇者が見た、仮面の魔女の最後の姿であった。
「このような結果になって申し訳ない」
「いえ、よくぞ撃退して下さいました、勇者アリア。その、お察しします」
戦闘終了の頃合いに、集積場より検分に来た武官が目を伏せ軽く頭を垂れた。
二人の足元には、息を引き取った隻眼隻腕のエルフが横たわっていた。
これで共に長年闘って来た仲間全てを失い、アリアは一人になった。
累々と積み上がった死体の山は都度に荷馬車に積み込まれ、そのまま後方に護送されて適地にて埋葬される予定である。
倒した槍使いと剣使いは首を切り落とされて、二つ一緒に麻袋へ詰め込まれた。
胴体はといえばそのまま崖下に放り込まれて終いである。
「二人の首はどうなるのですか」
「捕虜を使った首実検で魔女衆の一人か否か改めた後に捨てられます。まぁ、状況から見て噂に聞く七人ではないでしょうが念の為ですよ。仮にそうだとしたらお手柄ですね、勇者」
「弔わないのですか。敵ながら天晴れな戦士でした。雑兵と同じく扱うのはどうかと」
「魔族ですよ?」
実に不可解といった面持ちの武官にしばし押し黙り「そうですね」とだけ答えた。
そして足元の彼をよろしくと深く頭を下げた。
新しく給与された下着や衣服、装備品を身に着けて、勇者用にと真新しい長剣を手渡された。
ドワーフの名工が打ち、エルフによる幾つもの破魔呪文と抗魔術の付与呪文が施された逸品である。
中継ぎの陣に預けて置いた自分の愛馬も届いた。
国王より三頭拝領した内の最後の一頭だ。
もう失いたくはなかった。
自分に沿い援護する戦士と魔法使いの選出は済んでいて、先鋒群のテントにて到着を待っているのだという。
この戦が終わるまで生き延びてくれるだろうか。
あとどれだけの者たちが死んで行くのだろう。
疲労が身体の芯まで蓄積していて消える気配もない。
軽く目を瞑っただけでも立ったままで眠ってしまいそうだった。




