1-3 まったく知らない別の言葉
「おいしっかりしろ。大丈夫か、公介くん」
女性の声で目を覚ますと、俺の顔を覗き込んでいる彩花さんの顔があった。
ピタピタと頬を叩く彼女の掌が冷たくて気持ちが良かった。
「あ、あれ?俺っていったい・・・・」
身体を起こそうとしたら酷い頭痛がして、ツブされたガマガエルみたいな声で呻く羽目になった。
「まてまて、起きようとするんじゃない。脳しんとう起こしてるかもしれん。しばらくそのままジッとしていろ。頭痛や吐き気はないか、気分は悪くないか」
めっちゃ頭イタイと言ったら救急車呼ぶか、などと言われたので逆に俺の方が慌てた。
「少し休んだら大丈夫だと思います。それより、俺はどうなったんでしょう」
「あのくそガキから思いっきりヘッドバット喰らったんだよ。至近距離だったからな、避けようがなかったろう」
彩花さんの説明を聞いて、ああそういやそうだったなと思い出すのと同時に「あの子はどうしているのか」と訊いた。
「ふん縛って転がしているよ。コッチが親切にしてやっているってぇのに、ふてぇガキだ。恩義ってもんを知らん」
「非道いことしてますね」
「非道くなんかない、自衛手段だ。きみが床にひっくり返って、それを介抱しようとしたわたしにまで頭突きカマしてくるんだぞ。油断も隙もあったもんじゃない」
動くなと言われて床に寝転がったままの俺に、彩花さんは傷薬を塗って湿布と包帯を巻いてくれた。
そんなものが何処にあったのかと思ったが、商品棚から失敬してきたと言われた。
そういやこのコンビニは医薬品の販売許可も持っていた。
販売実績が小さいのに妙に品数豊富だと、付近の皆様にはご好評をいただいている。
まさか自分がその恩恵に与るとは思っても居なかったが。
「大げさじゃないですか?大丈夫ですよ」
「おでこに二箇所キズが出来てる、念の為だ。何しろ場所が場所だからな。あの子の髪飾りか何かが喰い込んだのかもしれない」
そうは言うが、あの子は頭に何も着けていなかったような気がする。
しかし髪と同じ色のヘアピンか何かだったら気付けなかったかも知れなかった。
しばらく寝そべっていたが、別段気分が悪くなるようなことも無かったので起き出した。
「無理はするな」と言われたが、小さい女の子にヘッドバット喰らって寝込んだなんて格好悪すぎる。
大したコトはないと彩花さんをなだめて仕事に戻ることにした。
「あの子は何処に居るんです?」
「奥の食品倉庫だよ。アソコならいくら泣き叫ぼうが外には聞えない」
益々もって非道い扱いだな、と少しげんなりした。
様子を見に行こうとしたら「近付かない方が良い、噛み付かれるぞ」などと言われた。
「手負いの猛獣とかじゃないんですから」
ソレよりも、児童虐待とかで訴えられる可能性の方が高いのではなかろうか。
倉庫のドアを開けると、途端に少女の叫び声が聞こえて来た。
いや罵り声といった方がいい。
「うわ、ホントに非道いわ」
倉庫の中に入ると確かに彩花さんが言っていた通り、少女は縛られて床の上に転がされていた。
後ろ手に拘束されて両方の足までぐるぐる巻きにされていた。
縛っている紐はナイロン製の梱包ロープである。
しかも普通の縛り方じゃない。
コレが噂に聞く亀甲縛りというヤツか、と思った。
実物を見たのは初めてだった。
まるでみの虫みたいな有様である。
彩花さん、マニアックだな。
しかも暴れていたであろう相手に、こんな凝った縛り方だなんて相当手慣れていないと無理だ。
亀甲縛りに熟達している女子大生って何なんだろう。
少なくとも一般的なスキルではないことだけは確かだった。
「このわしにかような狼藉、余程に命が惜しくないと見える。早々にコレを解かぬか、この下賤な女めが!」
なんだか随分と時代がかった物言いの子供だ。
そして思わず「日本語喋れるんじゃん」と呟いた。
その声に梱包少女は首を上げて俺の姿を認めると、「おお」と気色を浮かべて笑んでみせた。
「よく来た、我が従僕よ。ささ、早くこの戒めを解いてくれ。そしてソコに居るやたらひょろ長い女にお灸を据えてやるのじゃ」
いつ俺はこの子の僕になったんだろう。
「せめて両足の紐くらい解いてやってもいいんじゃないですか?」
後から入って来た彩花さんにそう声を掛けた。
だが仏頂面のまま「ダメだ」首を横に振られただけだった。
「最初は両手だけだったんだが、このくそガキは足癖も悪くてな。ジタバタ暴れ続けてそこら辺の商品棚を片端から蹴飛ばしまくってたんだ」
ああ、それでこの惨状なのか。
なるほどと得心がいった。
現在倉庫の中はまるで、直下型地震が直撃した後のような有様だったからだ。
搬入後に整然と並べられていた商品は、それこそこれでもかというくらいに倉庫の床一面にぶちまけられていた。
この子は相当ハデに暴れまくったらしい。
そしてこの狼藉が倉庫内でまだ良かったとも思った。
この調子で店内をヤラれたら売り上げに差し障る。
保冷棚のガラス戸などを割られた日には、店長さんに何と言って弁明すればよいことか。
しかしだからといって、この子をこのままにしておくのも気が引けた。
朝になって警察に引き取ってもらうにしても、まさかこのまま手渡しという訳にもいかない。
ヘタすれば、いやヘタをしなくても俺や彩花さんがお叱りを受ける羽目になってしまう。
だからしゃがみ込んで彼女を説得することにしたのだ。
「ねえきみ。頼むから大人しくしてくれないかな。そうすれば縄を解いてあげられるからさ」
「何を訳の分らぬ事を言うておる。お主は大人しくわしの言うコトだけを聞いておればよいのじゃ。今すぐこれを解け。さもなくばお主もソコの女と同罪じゃぞ」
「同罪じゃぞって、暴れたのはきみじゃないか」
「このわしが直々に聖痕を授けようとしたというに、その栄誉を振り払うだけでも不敬であろう。かてて加えて我が身を拘束した挙げ句、地べたに転がすなどと素っ首刎ねれても文句は言えぬわ。グダグダ講釈など垂れとる場合か。即刻この戒めを解け。今すぐじゃ!」
吠えて飛び散った唾が顔にかかった。
やれやれ、と顔を手で拭いながら立ち上がると彩花さんがハンカチを差し出してくれた。
「どうしましょう」
「いや、どうするも何もない。暴れるならこのままだ。それよりも公介くんはこの子が話している言葉が判るのかい?」
「え、何言っているんですか。この子はさっきから日本語で話しているじゃあないですか」
「何を言っているのかというのはコチラの台詞だ。この子が話しているのは相も変わらず意味不明の外国語だ。しかもきみはこの子と同じ発音で、同じ意味不明の言葉を話していたじゃないか」
「え、日本語ですよ」
「日本語ではないよ。わたしにはきみたち二人が何を言っているのかサッパリ判らなかった」
「そんなバナナ」
「バナナぢゃない。ひょっとして自分で話していて気付いていないのか?」
「そこな二人、何を訳の分らぬ言葉で話しておる。我が従僕、わしにも言葉を訳さぬか。いやそれよりも早くこの縄を解けと言うておろうっ」
少女の叫び声が一段と高くなり、芋虫のように地面でのたうち始めた。
幼気な少女がしてよい姿ではなかったが、それ以上に俺は混乱していた。
「ほ、ほらほら。日本語、日本語ですよ。彩花さん分るでしょう」
「違うよ、まったく知らない別の言葉だ。何故きみがそんなバイリンガルなのか知らないし、最初にどうして分らないふりをしていたのかも疑問に思う。だが、人それぞれに事情はあるだろうからな」
知らないふりじゃなくて、ホントに分らなかったんですよ。
それにいまこの子は日本語で話している・・・・そのはず。
「ネイティブな人達は、ごく自然に無意識で喋っている訳だしね。日本人だって日本語を日本語と意識するのは、外国語の授業の時くらいのものだ。まぁ、この子の説得は公介くんに任せるとしよう」
そう言って彩花さんは一人で勝手に納得すると、「それよりも倉庫の片付けを手伝ってくれ」と俺を促した。
生返事のままそれに従って、彼女と一緒に床に散らばった商品を片付け始めた。
だが、どうあっても解せぬ気持ちは整理することが出来ずにいた。
この子から頭突きを喰らって、未知の翻訳能力にでも目覚めたのだろうか。
いやいやそんなわきゃないだろう、そんなご都合主義な話が在ってたまるか。
まったくラノベの主人公じゃあるまいし。
俺たちが黙々と片付けに精を出している最中にも、件の少女は床の上でのたうちまわり叫び続けていた。




