4-6 完全無欠な者など居ない
混乱が始まったのは、勇者の率いる隊が、魔王城の出城として築かれた最大規模の敵陣へ向けて前進した直後であった。
先鋒隊の後詰めとして進軍していた筈の騎士パージガルが、一隊を率いて謀反を起こしたというのである。
後詰めの更に後方に在る輸送部隊を壊滅させ、先鋒群の兵糧集積場を目指しているとの続報も在った。
動揺を見透かしたかのように複数の敵陣の門が開かれ、一気呵成に先鋒隊へ襲いかかって来た。
後方の謀反と呼応しているのは明らかだった。
浮き足だった先鋒隊が分断され、突き崩されて行く。
勇者を含め防戦一方となった。
反撃を試みるのだが押し返す糸口も見つからず、そのまま退却の憂き目を見ることになった。
勇者は殿を申し出たのだが、先鋒群の指揮官より謀反を起こしたパージガル隊の討伐を命じられた。
騎士に混じって魔女装束の者が居たのだという。
その実、反乱鎮圧の部隊は即刻編成され差し向けられたのだが、幻惑攪乱され返り討ちにあっていた。
後衛に控えていた魔法使いすら、ことごとく殲滅させれたことも先鋒群幕閣を慌てさせていた。
兵糧を断たれ、先鋒群が此処で後退となれば軍団全体の足が止まる。
そして冬が到来する前に、魔王城を陥落させることが極めて困難となるだろう。
「直ぐに参ります。今暫し持ちこたえて下さいとお伝え下さい」
伝令に即答した勇者アリアの脳裏に浮かんだのは、先日苦渋を飲まされたあの仮面の魔女の姿であった。
想像以上に上手くいっている。
老婆の仮面を被った魔女は、馬上より己の手足となったトールマンの騎士戦士どもを眺め見ながら小さく頷いた。
最初よりも随分と減ったが、それでもまだ七割程度は残って居る。
三割の喪失は壊滅と断じてよい被害だが、なに、自分の懐が痛んだ訳ではない。
侵略者どもを互いに喰わせ合っているだけの話なのだ。
自身の懐刀である二人は見た目にも浮かれ高揚しているが、別に此処までの戦果を期待して居たわけではなかった。
精々惑わしたこの連中と同等の数を減らしてやる事が出来れば上々と、その程度に考えて居た。
後方攪乱の部隊を全滅させてしまったのは、わたしの不手際。
その埋め合わせのつもりなのだが、二人は随分と自分を買いかぶっている。
確かにこのまま兵糧集積場を焼き払うことが出来れば、敵はかなりの痛手だろう。
越冬の準備が整わぬまま持久戦を挑む筈もなく、遠からず撤収することになる。
だからこそ連中がこのまま黙って見ている筈が無いのだ。
次は恐らく全力で潰しに来る。
喉元にあてがわれた剣先を豪腕で叩き折る為に。
二度とこのような小細工は許さぬと、一人残らず殲滅し見せしめとするに違いない。
さてどうするか。
引くにしても、手足としたこの連中が全滅する程度の相手が欲しい。
中途半端に生き残ってもらっても後始末に困る。
トールマンの術者に、施した術式を読み取られるのは面白くない。
エルフならなお不愉快。
ノームは放っておいても良かろう。
連中は多種族の術になど興味はなかろうし。
捕らえられれば間違いなく連中は打ち首であろうが、多少なりとも知恵の回る者が居れば厄介だ。
いっその事、自害の暗示でも仕込んでおくか。
「しかし何というトールマンの弱兵っぷりにございましょう」
併走する愛弟子に声を掛けられて我に返った。
「魔力を蓄えることも不得手なら、操ることもまた同じく。抗する術も稚拙なうえ魔法の何たるかも理解しておりません」
「ファンテナッハの言う通りです。勇者に帯同していたエルフも口ほどにありませんでしたが、トールマンの術士など初等学士かと見紛う程の拙さ」
「魔法剣士にしてもまた然り。ススケーに一合も合わせられませなんだ。あの程度の手合いがエラさまを討伐などと。無礼を通り越して道化か何かかと、思わず吹き出しそうになりました」
「お気を付けなさい二人とも。相手を呑んで掛かる意気は買いますが、決して侮ってはなりません。油断は如何な手練れとて足元をすくいます。あなた方の剣技槍術の師範も同じ事を言っていませんでしたか」
「は、申し訳ございません」
「自重致します」
「素直なのはあなた達の美点だわ。それに、必ずしも相手が自分の得手で相対してくるとは限りません。むしろ不得手を以て挑んでくると、常にそう考えておきなさい」
はい、と二人の簡潔な返事を聞きながら惑わしの魔女を自称する者は、手綱を操りながら幾つもの先行きを思惑し始めるのだ。
勇者アリアは、謀反の鎮圧に向った部隊がまたしても返り討たれたとの報を聞いた。
それは兵站街道を反乱部隊が通った後を追って、急行している最中のことであった。
中継ぎの陣で馬を休め水をやり簡単な食事を取っているときに、伝令の者が密かに囁いてくれたのだ。
「勇者さまにも伝えよとの命を受けているのでお教えしますが、内密に願います」
反乱部隊を指揮しているのは確かに騎士パージガル。
だが仮面を着けた魔女装束の三人が部隊全体を支えている。
幻惑と金縛りを織り交ぜて鎮圧部隊を翻弄。
剣と槍を持った魔女は恐るべき手練れで、中庸の者では容易く討ち取られ、場数を踏んだ魔法剣士すら赤子扱い。
単独で相対しては生き残ることすら困難。
そして最も恐るべきは丸腰の魔女で、仮面越しに目が合えばその場で魂を抜き取られるのだという。
中軍より転移術で駆けつけたエルフの魔法使いすら歯が立たず、相対した途端突然恐慌をきたし、金切り声を上げて悶絶昏倒。
未だ目が覚めぬ、と結んだ。
更に、新たに魔女の配下に加わった騎士も居ると伝令は語った。
「騎士?鎮圧部隊の指揮をしていたのは確か、騎士アルトフ殿ではなかったか。よもや惑わされたのは彼の御仁ではあるまいな」
「残念ながら。アルトフ殿もまた魔女の術中に堕ち、我らに剣を向けております」
なんたる事か、と思った。
あの実直で詩吟を愛する豪快な巨漢が、忌まわしき魔女の手管に絡め取られるなどと。
口外無用と念を押して、男は再び馬に乗って中継ぎの陣を発ち、直ぐに見えなくなった。
討伐の為の部隊が次々と返り討ちに遭い、指揮をしていた騎士すらも籠絡され魔族の傘下に入った、などと。
確かに、そのような噂話が流布されれば先鋒群は無論、全軍の士気にも拘わる。
謀反と聞いた時に拭いきれぬ不穏があった。
そしてやはりな、と思うのだ。
ならば尚更急がなければならない。
あの幻妖の魔女を討ち取れる者は、恐らくこの陣中には自分以外に居まい。
熟達したエルフの魔法使いですら相手にならないのだ。
幻惑を無効化できる術式を直に身体に刻んだ者だけが、あの女に抗することが出来る。
口止めされてはいたものの、自分に近しい者にだけは聞いた話をそのまま伝えた。
共に闘う者として知っておいてもらわねばならぬと、そう信じたからだ。
「タータはこの陣で待っていてもよい」
話し終えてからそう付け加えた。
エルフの術者は貴重だが彼は手負いだ。
無理をさせて傷が開けば、また熱が出る。
先々の事を思えば、此処で治療に専念させるというのは悪くない考えに思えた。
「此処まで連れて来ておいて冷たいこと言わないで下さいよ。最後までお供させて下さい。あの仮面の魔女が相手なら尚更です。戦士サナドゥの仇も取らなければなりませんし、この右腕と右目のお礼もしなければなりません」
幻惑され同士討ちの際に隻腕隻眼となった彼であったが、魔法術士の技に支障はないと無理を言って同行して来たのだ。
「ずっと対抗する術を考えて居ました。確かにあの幻術は容易く破れるものではありません。真っ向から相手取ることが出来るのは、アリアあなただけでしょう」
そこでエルフの魔法使いは小さく溜息をついた
「正直あれほど高度な技は見た事が無いです。流石七人衆と、魔法魔術の筆頭に数えられるだけの事はあります。使える術は数多く、切り札も揃えているでしょう。尋常一様な相手ではありません。ですが完全無欠の者などは居ないのです」
小柄で少年のような面立ちだが、既に齢二百を越えたエルフの魔法使いである。
そして彼は、片頬だけで不敵に微笑んだ。




