3-4 名を聞いておけば良かった
勇者はいま、魔王城の中に在った。
数多の戦場を駆け、数えきれぬほどの魔族を切り伏せ、無数の魔物を退けてきた。
様々な敵の策に翻弄され苦しめられてきた。
傷付き倒れた盟友たちの屍を乗り越え、辛酸を飲み下し、怒りに臓腑を焼かれ、それでも前へ前へと進み続けた。
何と言う長い道のりであったことか。
だがようやく此処まで来た。
魔王城に踏み込み、諸悪の権化である魔王を討ち滅ぼす。
それが自分に課せられた使命。
人族全ての願いだ。
其処には「深淵の壺」と呼ばれる魔族の至宝が在ると云う。
それを砕け、全ての悪行の源を絶ち世界に平和をもたらせと、教皇猊下より直々の御言葉を受けた。
そして此処まで辿り着いたのだ。
仲間はもう居ない。
自分だけだ。
大きく厚い扉を押し開く。
大きな広間と床の魔法陣が見えた。
何某かの魔法を使った直後であったのか、それとも何かの準備をしていたのか。
魔法陣からはゆっくりと魔力の残滓が消えてゆく最中だった。
そしてその中央に立つ一人の人物。
黒衣で身を固め、高い身分の者と思しき意匠の胸当てを着けていた。
そして額に見えるサークレット。
堂々とした風格があった。
「お前が魔王か」
「下賤に語る必要などあるまい。ましてや侵略者になど」
「先に国境を侵したのは魔族であろう。自業自得というものだ」
「その目で見た訳ではなかろうに。大方国王辺りから言い聞かされ、それを鵜呑みにしておるダケだであろう。或いは絵図を描いた教皇からか。いずれにしても恥というものを知らぬ。哀れと言えば良いのか、愚かと言えば良いのか」
此処で如何に文言を交そうと信念が揺らぐ筈もなく、剣先が鈍る訳でもない。
だが事ここに至るにあたり、勇者は一つ、魔王に問いたい疑念があったのだ。
「『深淵の壺』とは何なのだ」
「不躾よの。訊けば答えが返るとでも思っておる。相当におめでたいな」
「時間稼ぎをしたいのではないのか。部下が逃げる時間を欲しくはないのか」
「面白いことを言う」
「わたしは魔王の首さえ取れればいい」
「無駄な血は流さぬ、と。本気でそう考えて居るとすれば相当な傲慢よ。貴様が屠った者に家族が居ないとでも?道を塞ぐ者の屍が積み上がる度に、世界が清められるとでも思うて居るのか」
「わたしの手は既に血まみれだ。それを覆すつもりはない。だが進めば進む程に飢えて渇望する者の、声なき声が間近で聞えて来るのだ。『壺が欲しい』とな」
「欲するは大方エルフであろう。お前もそうか?だがトールマンには過ぎたものだぞ」
「わたしは壊せと命じられた。それに、欲望に塗れた者のために両手を汚してきた訳ではない」
「思うがままに出来ぬなら無くしてしまえとは、実にヤツらしい。いや、トールマンであるが故の性急さであろうか」
「誰の下命か熟知している物言いだな」
「幼子ですら判る」
「貴様の背後に在るのが壺か」
「如何にも」
「・・・・」
「どうした、嘘は言うておらぬぞ。だが一概に信用も出来まい。そもそも貴様とわしとで、信ずるに足る答えを得ることなど叶わぬのよ。さて、座興はこの辺でよかろう」
「壺とは何か」
そこで黒衣の男は、にっと笑った。
破顔したその顔に邪気はなく、心底面白そうな表情だけがあり、それはまるで少年のようにも見えたのだ。
「壊せばその意味を知ることが出来る、かもしれんな」
そして腰の剣をゆっくりと抜いた。
黒衣の男との闘いは熾烈を極めた。
魔族共通の高い詠唱能力。
無詠唱かと思える程の速度と、幾重にも敷かれた魔法陣を同時に操る高い練度。
そして圧倒的なまでの魔力量と高度に洗練された操作能力。
たとい剣戟の最中であったとしても集中力が衰える事は無く、むしろ吐息の狭間を狙い澄ました牽制魔法に幾度肝を冷やしたことか。
本命の一撃ではなかったとしても、油断すれば容易く胸を貫かれ首を落とされていただろう。
そして強い。
ただ純粋に強い。
勇者として数多の騎士戦士と渡り合ったが、これ程の手練れはそう何人も居なかった。
剣一本だけで闘ったとしても、この男と対等に渡り合える者が、果たしてトールマンの中に居るかどうか。
ドワーフの戦士とて最高峰と数えられる者でようやく相手が出来る、それ程の高みに在った。
そして何処か突き放したような物言いとは裏腹に、壺への執着は尋常ならざるものがあった。
だからこそ勝てた。
最後は壺を庇い、勇者である己が一刀に倒れ地に伏した。
勝利は勝利である。
だが公平とは云えぬな。
肩で息をしながら独り語つ。
勇者はその全身にエルフの符術士より施された付与魔法呪文により、身体能力を大幅にかさ上げされていた。
武具や武装もドワーフの最高峰の鍛冶職人より供与された、最高級品のものを使っていた。
勿論、護符による各種耐性強化も抜かりはない。
剣術にしても、数少ないトールマンの魔法剣士より剣技を複製し、呪文として身体に刻み込んでいる。「使う」という意思だけで、思うがままにその剣技を繰り出せるという仕組みだ。
自身は肉体に刻まれた無数の手札の中から、必要なものを選んで組み立てるだけでよい。
体術や魔法にしてもまた同様。長い時間を使って修得した熟練者の技を、魔法の力を使ってこの身体に写しとっている。
勇者の血族であるという「お墨付き」だけで、これら全てを受け取る権利を有している。
故に、自分は特別だった。
自分自身で積み上げたものは基礎となる剣技体術、筋力体力と魔法魔術の知識くらいのものだった。
皆は賞賛するが、その声が大きく為るほどに罪悪感もまた大きく為った。
これが自分の勤めだと、トールマンの国の象徴として、ただの政治のカードの一枚だと割り切ろうとしても、ギリギリと締め上げられ、身を削るような後ろめたさが消えることは無かった。
わたしなど所詮作られた勇者。
目の前に倒れているこの男は、いったいどれ程の研鑽を積んだのだろう。
全身全霊を賭して己の矜持を貫いたこの者の、足元にすら遠く及ばない。
「貴公の名を聞いておけば良かったな」
この男が魔王ではないことには直ぐに気付いた。
あの尊大さは、自分が仕える者への忠誠の裏返しなのだ。
そしてこれ程の者が守ろうとしたこの「壺」が、紛うこと無く本物であるということを示してもいる。
「貴公にも貴公の務めが在るように、わたしにもわたしの役目がある。悪いが壺は破壊させてもらうぞ」
勇者は足元の男に一言詫びると、自身が構築できる最大級の貫通魔法の詠唱を始めた。




