2-8 たかが八〇年、されど八〇年
深夜の路地を女児を連れた母親が歩いていた。
実際は違うのだが端から見える様はまさにそれだ。
黒髪の少女が知れば足を踏みならして怒鳴るのであろうが、幸いにも辺りに迂闊な感想を口にする者は居なかった。
「最初にあの店へ踏み入ったときにも妙な感覚があったが、やはりアソコが町の中核であるのだな」
「そうですね。実際には僅かにズレていますが竜脈との結節点でもありますし、術式を起動させるには申し分のない場所です」
「自分が一番大切にしている者をあの場所に集わせるなどと。昼間はあのような事を申しておったがその実、法陣は実用に足るものに仕上がって居るのではないのか」
「滅相もございません。ただの老婆心にございます」
「不測の事態に備えて、あの二人を町に馴染ませているだけ、と」
「町と言うよりも法術との相性をすり合わせているだけです。上手くいけば、いざという時に二人には専用の守護結界が働くようになります」
「召喚門が開くのは百年後であろうに。おぬしは何某かの予兆を感じておるのではないのか」
「・・・・」
「わしが此の地へ落ちてきた時にも然程驚いてはおらなんだ。おぬしの目には何が見えておる?」
「不確かなことを口にして、魔王さまのお心を乱す訳にはまいりません」
「どの口が云うか。白状せい、魔王の命ぞ」
「いえ。この世界と我らの地は非常によく似ているな、と思っているだけで」
「何を言うておる。似ても似つかぬわ」
「此の地にも魔族という言葉が在ります。エルフもドワーフもノームも、魔女や魔王はおろか竜や竜族という概念すらあります。勿論それらはすべて物語の世界の住人ではありますが」
「それがどうした」
「何故おなじ単語や、同じ種族の名称があるのでしょう。そしてその外見も性情も我らの世界とほぼ一致します。相容れない筈の異世界だというのに。
言葉は異なり文化や寿命も違うのに、同じ物を食し同じ感情を宿し同じものを愛で、同じように考えます。妙だとは思いませんか」
「・・・・何が言いたい」
「以前は此の地と我らの土地は往来があったのではないか、と」
深夜の住宅地は静かすぎて耳が痛かった。
町全体に籠もる、うわんとうねるような漠然とした響きが聞えるだけだ。
「八〇年にわたりこの地のあちこちを巡り歩き、様々なこと知りました。異界との行き来が在ると言う話は各地に残って居ります。民話に、或いは伝承に。創作物に至っては枚挙に暇がありません」
魔女はそこで一息入れた。
「そしてひょっとすると、遠い昔の体験が物語として残って居るのではないか、そう考えるようになりました」
「偶然の一致をつなぎ合わせたおぬしの妄想であろ」
魔王の反応はにべもない。
「仮にそうであったとして、何故に我らの伝承にその事が語られておらぬ。何故いま、転移陣を使わねば行き来が叶わぬ。何故この地には魔法や魔術がない」
そして、ふんと軽く鼻を鳴らして先を続けるのだ。
「トールマンは愚かだが、自分の役に立つものに対しては目聡いぞ。この地の科学とやらを見ればよく分る。魔法を一度でも手にすれば、それを手放そうとはせぬはずじゃ」
「単純に使えなくなったのではありませんか。そしてトールマンの寿命は短いです。ほんの百年足らずで当時を知る者は居なくなります。風化して忘れ去られたのでしょう」
「根拠が無かろう。裏付けの無い話は戯れでしかないわ」
「そうですね。では、この話は此処までで」
「待て、ついでじゃ。最後まで聞いてやろう」
「魔法が使えなくなったのは、我らの土地との門戸が閉ざされたから。川の上流が堰き止められれば川下は干上がります」
「端から無かっただけかも知れぬ」
「それもまた確証が在りません」
そこで一旦言葉を切り、再び唇より言葉を紡ぎ出していった。
まるで許しを得ることを待ちわびていたかのように。
「この世界と我らの世界は、隣り合った兄弟のようなものなのかも。ちょうど水面に映った己の姿の様に。身をすり寄せる程に近くに在る似過ぎているモノ同士なら、交わることが在るかも知れません」
「・・・・」
魔王は未だ口を開かない。
遮る兆しすらない。
「実は数年前から、わたしの描いた法陣に魔力が蓄積されつつあります」
最初はコンデンサーの電力が変換されたものかと思っていましたが、どうにも計算が合いません。
何処か与り知らぬ場所から洩れ込んで来ていると考えた方が妥当です。
もっとも、あまりに微弱で法陣を起動させるには到底足りないのですが。
充分な魔力量を溜め込む前に、わたしの転移陣構築が先に完了します
しかし・・・・
「我々の世界とこの世界とが再び繋がろうとしている、その前兆だとしたらどうでしょう。一度塞がった堰がまた開こうとしているのではないのか、と」
不確かと前置きをしたにも拘わらず、その口調は淀みなかった。
「そもそも、わたしがこの世界を見つけたのはただの偶然だったのでしょうか。
再び繋がる気配が芽生えたからこそ、此の地に転移することが出来た。
そう考えた方が無理がありません」
「そして、わしがこの地にこのタイミングで落ちてきたことで、その懸念がより強くなった。自分の思いつきが現実になるのではないかと思うようになった。そういうことか」
「左様で」
「仮につながったとしたらどうなる」
「まずこの転移魔法陣の構築が無駄になりますね。
船でしか行き来出来ない島が地続きになるようなものです。
そして此の地で魔法が再び使えるようになるかも知れません。
ですが、我らが同族と共に招かれざる者も等しくやって来る、それだけの話です。
後は説明するまでもないでしょう」
「下らん。そのような仮定に仮定を重ねた夢物語、本気にしている様では七人衆の名が泣くぞ。時間の無駄じゃ、忘れてしまえ」
「万が一にも失敗などしたくはないのです。
わたくしの手中の珠も砕きたくはないのです。
地続きと成ったときの対処も用意せねば成りません。
下賤な我らの地のトールマンやエルフの為政者共に、この地を踏み荒らされたく無いのです」
仮面を被らぬ魔女の言葉は、決して大きな声では無い。
だが魔王は押し黙ったままだった。
「たかが八〇年、されど八〇年。魔王は、陛下はご自身の生きた年月とほぼ同じ時間を不意にすることに、何の感慨もございませんか?」
「・・・・転移陣構築の障害に為らなければよい。好きにせよ」
「御意」
簡潔な魔女の返答でこの会話は終わった。
だが帰宅するまで、魔王は終始無言のままであった。




