1-10 妖しく微笑んで見せた
げっそりと憔悴しきった顔つきの少女が、リビングのテーブルの前に座って居た。
少女がバクハツさせてひっくり返した床はもう綺麗に掃除も済み、割れたティーカップや皿やお菓子類も片付け終わって、俺や彩花さんは珈琲を煎れ直して飲んでいる最中であった。
フローリングの床に焼き付いた円陣はそのままだ。鰓子さん曰く「小粋なお部屋のアクセント」などと言っている。
まぁこの家は鰓子さんの持ち家らしいし、家主が良いと言うのならそれで良いのだろうけれど、この黒髪の少女がまた悪用したりはしないのだろうか?
彼女曰く「封印したから大丈夫」らしいのだけれども。
「もう懲りたわよねぇ、魔王ちゃん。あんな苦しみは二度と味わいたくないものね」
なでなでと頭を撫でられても、ジロリと睨み付けるだけで払い除ける様子すらなかった。
目の下に出来た隈と、こけた頬が彼女の衰弱っぷりを物語っている。
たまに弱々しく溜息をついていて疲労困憊といった有様だった。
二時間以上もトイレの中で悶絶すればさもありなん。
一時間を越えた辺りからは呻き声すら聞えて来なかったのだ。
正直、俺も彩花さんも魔法だの異世界だのという話は未だに半信半疑だった。
鰓子さんの妄想か思い込みの産物だと、そう考える方が余程に常識的だろう。
でも異国の言葉を話すこの黒髪の少女が大人に変身したり、そしてまた再び子供に戻ったりする様を目の当たりにしたのだ。
少なくとも自分達が知らない何かがあるのだろう。
その程度には目の前の事を受け容れることにしたのだ。
「とはいえ、納得するというのとは別なのだがな」
俺に聞かせる為か、あるいは自分自身に向けてなのか。
隣から小さく呟く声が聞えた。
彩花さんは相変わらず淡々としている。
そして相変わらず飄々としているのは鰓子さんだ。
「そうね。まぁ今日の今日で頭の先から尻尾のギリギリまで、余さず残さずよく分りましたって言い切る方がおかしな話だし、ゆっくり根気よく説明するとしましょう。
それはさておき彩花ちゃん。この子が家族の一員になること、了解してもらえるかしら」
「此処は伯母さんの家です。伯母さんが良しとするのなら、わたしは何も云うことはありません」
「そんな風に言わないでよ。あたしたちは家族なのよ」
「確かに空き部屋はありますし、まぁいいんじゃないですか」
「淡泊ねぇ」
「反対じゃ」
地の底から響くような不吉な声が聞えてきた。
「何故にわしが貴様達の家族ごっこに付き合わねばならぬ。愚弄するのも大概にせい」
「そんなコト言わないの。あたしが提案して彩花ちゃんからも同意を得ました。故に魔王ちゃんは三千本桜家の家族です。もう決定事項です。天地が割れようとも覆りません」
「勝手に決めるな。当人の意思を無視するでない!そもそもわしは」
「まぁまぁ落ち着いて魔王ちゃん」
「落ち着けるか。わしは此の地に戯れで赴いた訳では無い。そもそも無礼千万であろう。ちゃんづけなどと見下すにも程がある。きさまのような性根のねじ曲がった魔女と同居するなど、生涯掛けての屈辱ものよ」
「そう言わずに。新規ご加入様には洩れなく特典があります」
「寄るな、きさまの口添えなぞ不要じゃ。行かず後家のイカサマ師、穢らわしい仮面の魔女め」
放言の直後、鰓子さんは笑顔のまま無言になった。
少女はいきなりガシリと頭を鷲掴みにされ、叫ぶ間も無くグイと引き寄せられた。
鼻先に吐息が吹き掛かるほどの至近距離だ。
「誰が行かず後家じゃ。いいから黙って聞けや、魔王さま」
恐ろしくドスの効いた声が響いた。
少女の動きが完全に止まった。
目が見開かれていた。
ただですら悪い顔色が一瞬で蒼白になっていた。
硬直して瞬きすらしていない。
いや、よく見ると半開きの唇が細かく震えている。
まるで、地面の奥底から這い出てきた邪悪な何某かと相対しているかのようであった。
俺の座って居る席からは見えないけれど、いったいどんな顔が見えているのだろう。
「大人しく聞いて下さいますよね?」
うって変わった猫なで声に、少女はただコクコクと頷いていた。
そして「魔女」は、引きつったままの少女に顔を寄せ、そっと耳打ちをするのである。
かくかくしかじか
まるまるうまうま
「な、なに?」
直ぐさまに硬直は溶けて、表情に生気が戻った。
「・・・・しかし・・・・いや、うむ、確かにそれはそうであるが・・・・」
少女は少し口籠もった後に「真か」と聞き返した。
「家族に嘘は言いません」
魔女を自称する家主は「悪くないでしょう」と言葉を重ね、魔王と呼ばれる少女は腕を組みしばらく思案をし、視線を彷徨わせ、「うむむ」と呻いた後に「まぁ良かろう」と同意した。
「取敢えず橋頭堡を確保する必要はある故にな」
何やら不穏な単語が聞えたが、「では決まりね」と鰓子さんが嬉しそうに手を叩いたので考えないことにした。
肩書きは勿論、この場で実権を握っているのは間違い無く彼女だ。
そしておそらく実力の方も。
この年齢不詳のコンビニ店長ならば、大抵の事は上手くやりくりしてしまうのではなかろうかと、そんな気がしたのである。
昼食も食べていかないかと誘われたが、辞退して帰宅することにした。
夜勤明けでいい加減眠かったということもあるが、これ以上長居したら更に余分なとばっちりを受けるのではないかと、そんなボンヤリとした予感があったからだ。
「じゃあ公介くん、これからもよろしくね。困った事があったら何でも相談に乗るわ。そして彩花ちゃんの事は特に、ね」
鰓子さんに玄関まで見送られ、別れ際、耳元で囁かれた。
そして返事に詰まる俺に、彼女は綺麗な唇をきゅっと三日月型に曲げて妖しく微笑んで見せたのである。
「伯母さん、彼に妙なこと吹き込んだんじゃないでしょうね」
「ただ挨拶しただけよ」
「そうですか」
「そうよ」
「・・・・」
「信用ないのね」
「何も言ってないです」
「せっかく無理を言って公介くんに夜勤シフト入ってもらったのに、とんだお邪魔が入ったものだわ。でも今晩からは安心よね」
「どういう意味ですか」
「深い意味はないわ」
「・・・・」
「防犯カメラの死角も教えておくわね。店内から倉庫への入り口近辺でしょう。それからお店の裏手にある廃棄物集積場の北側。それから事務室脇の給湯場。二人分くらい隠れるのに訳ないわ」
「どういう意味ですか」
「ただの防犯上の注意点よ」
「そうですか」
「そうよ」
背の高い女子大生は、小さく溜息をつくだけだった。




