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下町侵略日記  作者: 九木十郎
第一話 いらっしゃいませ魔王さま
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1-9 体験したことがない急降下

「茶番はもう沢山じゃ。わしを肴に言いたい放題。大概にせい、この唐変木とうへんぼく魔女め」


「なんだ、日本語喋れるんじゃないか」


 あ、本当だ。


 彩花さんの呟きに思わず呆気にとられた。


 確かにそうだ。この子はいま日本語で話している。


 でも二の句を告げることが出来なかったのはそのせいではなかった。

 さっきまで俺はこの子の国の言葉で話していた。

 そのことにいま初めて気が付いたからだ。

 耳慣れた当たり前の言葉をこの子の口から聞いて、ようやく違いに気付けたのである。


 日本語のつもりだったのに日本語じゃあない。

 意味はすんなりと理解出来るし、口にする言葉に何の違和感もなかった。

 話す相手に合わせて同じ言葉をただ喋っていた。

 話が通じるから何の疑問も持たなかった。


 そうだよ、俺はなんで今日初めて聞いた言葉を知っているのだろう。


 なんで当たり前のように話せたのだろう。


「話せるのなら最初から話せば良かったのに。恥ずかしかったのかい?」


 彩花さんの言葉で我に返った。

 そしてその気遣いは逆に少女の逆鱗に触れたようだ。

 吊り上がっていたまなじりが更に急角度に変化していったのである。


「たわけっ。誰が好んで蛮族の言葉なぞ憶えるものか。コレは仕方がなくじゃ。この暴力魔女の仕業よ。鉄の拷問具でわしの顔面を殴打し、この地の言葉と慣習を無理矢理脳髄に『いんすとーる』したのじゃ」


「やった者はやり返されるのですよ、魔王さま」


「どの口がうか。そもそも何故かような小者どもに子細丁寧に説明する必要がある。百聞は一見にしかず。力を直に見せつければそれで済む話よ」


「あ、ダメですよ。魔王さま」


「やかましいっ」


 やおら椅子から立ち上がった少女が、だんと床を踏み鳴らした。

 その途端、何の前触れもなく足元が爆ぜ、テーブルや椅子が蹴散らかされて、俺と彩花さんは床に放り出される羽目に為った。

 何が起こったのかと思った。


 身体を起こして見てみれば、黒髪の少女の足元を中心に複雑怪奇な文字を書き込んだ円陣が出来上って居た。

 放射状に拡がっていて、フローリングの床にまるで今しがた焼き付けたかのような、少し焦げた臭いすら漂っているのだ。


「見よ、愚昧ぐまいな者ども。我が本来の姿を」


 少女の姿が目の前で変わっていった。

 まるで映画のCGでも見ているかのような、生々しくも非現実的な「変身」であった。


 背が伸びていく。


 幼女の面影の残る顔立ちが見る見る大人の女性の面立ちへと変貌してゆく。

 胸のヴォリュームが増し、四肢が伸び、腰のくびれはそのままに豊かなピップと緩やかな曲線を描いた太股が張りだして行く。


 衣服が耐えきれず、文字通り布を裂くような音が聞え、見るも無惨な姿へと変わっていった。

 だがそれが彼女の有り様をおとしめることはない。

 引き千切れながら、むしろエロティカルな容姿を誇示する野性味を帯びた端切れとして、その見事なまでの肢体に貼り付いてゆくのだ。


 文字通りあっという間だった。

 どうじゃ、と彼女は言った。

 切れ長の目が公介を、そして彩花を睥睨へいげいしていた。


 額の角も大きく伸びていた。


 耳の上からも生えた角は、まるで羊のそれのように大きくカーブして顔の両脇を飾り立てていた。


 今やしがない女子大生と高校生男子の目の前に居るのは、四本の角と妖しい色合いの瞳と、現実から隔絶する若い豊満な肉体とを併せ持つ、妖艶な黒髪の美女であった。


「イリュージョン?」


 それが彩花さんの第一声だった。

 俺はただぽかんと呆けて口を開けるのが精一杯だった。

 何しろ中学生くらいの女の子が、ほんの一〇秒かそこらでグラマラスな大人の女性に「変身」してしまったからである。


「特撮?それともCG、いやいや立体映像って言うべきか。最近はリアリティがすごいな」


「残念ながら現実なのよ、彩花ちゃん」


 鰓子えらこさんはやれやれといった感じの溜息をついていた。

 呆れて致し方なしといった雰囲気だ。

 そして「ご満足ですか魔王さま」と投げやりな台詞が聞えた。


「気が済んだのでしたら元のお子ちゃまの姿に戻って下さい。折角彩花ちゃんが小学生の頃のお洋服を引っ張り出して来たというのに台無しにしてしまって。仕方のない魔王さま」


「わしは粗相そそうをした幼子おさなごか!無礼であろう。コレが本来の姿じゃ。誰が二度とあんなちんちくりんな姿になぞ成る、なる、ものか・・・・」


「?」


 何だか様子がおかしくなった。

 威勢が良かったのはほんの束の間だった。


 四本の角を生やし、引き裂かれた布を纏ったエロティックな人物は、急に腹を押さえて顔を引きつらせ始めた。

 唇を歪め歯を食いしばり、眉間に深い溝が刻まれた。

 両足がカタカタと震えているのが見て取れた。


 顔が見る間に青ざめてゆき、額にジワリと脂汗が滲み出てくるのである。


 ぎりりと歯ぎしりの音が聞えてくるのである。


 その綺麗な顔が急速に歪みつつあった。


「お腹が痛いのでしょう?魔王さまが生まれてこのかた、体験したことが無いほどの急降下ぶりなのではありませんか?拒絶反応ですよ。変身による急激な老廃物の代謝を、内臓が処理しきれないでいるのです。この世界には魔法も魔力も存在しないというのに、無理にかき集めようとするからです」


 そう言うと鰓子さんはリビングの戸棚から小瓶を取り出して、ふたを開けると二、三粒の丸薬を掌に出してそれを角の生えた彼女に手渡した。


「直ぐに飲んで下さい。少しはマシになります。それからトイレは廊下に出て左手の、二つ目のドアを開けたところです。出し切ったら子供に戻りましょう。その姿のままだと一日中トイレに籠もりっきりなってしまいますよ。ああそうそう、トイレの使い方をお教えせねばなりませんでしたね」


 エロティックな女性は薬を受け取ると、一緒に渡されたコップの水と共に飲み干した。

 そして店長さんに付き添われたまま両手で腹を押さえ腰を屈め、内股でよたりよたりとリビングから出て行った。

 複雑に歪んで悲壮な横顔だった。

 切羽詰まって走り出したい、だが走れない。

 そんなギリギリの苦悶がにじみ出ていた。


 ドアを開けるときに顎先あごさきから床へ、脂汗が滴り落ちるのが見て取れた。

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