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7 扉の外へ

 あんなにしっかりと閉まっていた扉が、にぶい音を立てて開き始めました。ブリジッドは勇気が出てきました。


「えい、えい」


 掛け声をかけながら、ブリジッドは薄闇の中で踏ん張りました。小さな両手を指いっぱいに広げて、氷のように冷えた扉を押しました。少しずつ、少しずつ、扉は開いてゆきました。


「もう少し、もうちょっと」


 ブリジッドは力を込めました。


「通れるかな」


 子供なら通り抜けられるほどの隙間がやっと開きました。ブリジッドは身体を横にして、スルリと通り抜けました。何故だか肩や背中は痛みません。ぶつけたり噛まれたりしたところの血は、完全に止まっておりました。



 廊下に出ると、ひんやりとした風が吹いて参りました。どちらを向いても暗闇なので、廊下の先は見えません。ブリジッドは、風が吹いてくる方へと行ってみることにいたしました。


 連れてこられた時には、何度も角を曲がり、階段を昇ったり降りたりいたしました。通ってきた道筋は全く分かりません。風が吹いてくるならば、外につながる窓か扉があるだろう、とブリジッドは思ったのです。


 廊下の両脇には、無愛想な石の壁が続いておりました。窓はありません。ドアも、ブリジッドが閉じ込められていた部屋の扉しか見当たりませんでした。



 ブリジッドは首を傾げました。


(変ね)


 連れてこられた時には、扉やくり抜き窓があったように思うのです。


(それに、私の歩く音もしない)


 硬い石の床ですのに、足音ひとつ立たなかったのです。来た時には、コオリオオカミたちの足音が聞こえました。先頭を行く恐ろしい魔物の男の子も、銀色のブーツを鳴らして歩いておりました。


(そもそもおかしいわ)


 ブリジッドは口を尖らせました。


(せっかくお月様のお船に乗れたのに、また魔物のお城に戻ってしまったなんて)


 そうなのです。せっかくお月様に乗って夜空の旅を楽しんでおりましたのに。急に場面が変わったのです。お船はどこに行ってしまったのでしょうか。



 ブリジッドは不満そうな顔をしながら、薄暗い廊下を歩いて行きました。廊下は、果てしがないように思われました。行っても行っても、何もない石壁に挟まれた細い廊下が続くだけ。


 音もしません。声も聞こえません。灯りもなければ、窓もありませんでした。人影は一切見えません。けだものたちの気配もございませんでした。あんなにたくさん群れていたコオリオオカミも、一頭たりとも姿を現しはしませんでした。


(いったいどこへ行ったのかな?)


 いないに越したことはないのです。それでも、ぜんぜん気配が感じられないことは、なんとなく不安になるのでした。



 ブリジッドは走ってみました。やっぱり足音はいたしません。魔物たちが駆けつけてくる気配もございませんでした。ブリジッドは、薄暗い廊下を先へ先へと走って参りました。いくら行っても景色は全く変わりません。


 風は廊下の奥から吹いて参ります。


(出口はないの?)


 ブリジッドは腹を立てました。


(何にもないじゃないの)


 ブリジッドはプンプン怒って吹雪を撒き散らしました。吹雪どころか、氷の欠片を四方に飛ばしました。


(あっ、アンリみたい)


 ブリジッドは思いました。アンリが怒ると、身体中から火の粉が飛び散りますからね。ブリジッドは可笑しくなってしまいました。



「ふふふふふ」


 ブリジッドは、廊下に吹雪を走らせながら笑い出してしまいました。あんなに酷いと思っていたのに。自分も魔法を辺りに飛ばして怒っているではありませんか。


「今ならアンリの気持ちがわかるな」


 ブリジッドは楽しくなって、スキップを始めました。魔法が辺りに飛び散るのは、わざとではないのです。気持ちが昂ると、自然に漏れてしまうのでした。


 そういえば、ブリジッドが強い吹雪を起こしたのは、ひどく泣いた時でした。そのあとも、怖かったり、痛かったりした時に、ブリジッドの吹雪は吹き荒れました。一晩のうちに何回も暴走したので、いつの間にか魔法の力を抑えられるようになっておりました。



 吹雪に乗って、ブリジッドは暗い廊下を走ります。魔物のお城の中だと言うのに、高い天井に舞い上がったり、くるりと宙返りをしたり、好き放題に愉しみました。


「うふふふふ」


 ブリジッドは石造りの壁を走りました。吹雪を纏っているので、壁に足をつけても落ちません。天井を走っても大丈夫です。銀色の巻毛が逆さまに流れて、灰色のフードがぶらんとぶら下がりました。


「楽しーい!」


 ブリジッドはまた逃げようとしていたことを忘れてしまいました。怪我の痛みも消えているのです。魔物たちの姿も一切見えないのですから。ブリジッドはまだほんの幼い女の子ですもの。楽しいことがあれば、他のことなんて忘れてしまうのでした。



 ブリジッドは壁も天井も軽やかに走ります。床を蹴って宙返りをいたします。それから、縦にも横にも回転しました。


「いやだ、目が回っちゃった」


 ブリジッドははしゃぎすぎました。ふうふう息をつきながら、石の廊下にペタンと座り込んでしまいました。


「あーあ。楽しかったけど、まっすぐなだけじゃあつまんないな」


 ブリジッドはしばらく肩で息をしておりましたが、やがて落ち着くと立ち上がりました。もう楽しくはありません。


(出口を探さなくちゃ)


 ブリジッドは、吟遊詩人の歌を思い出しました。吟遊詩人は、レマニのように旅をしております。けれども、レマニとは違って多くの場合は1人でした。竪琴やらリュートやら、語り歌の合いの手に便利な楽器を抱えて、独り気ままに世界を巡っているのです。



 吟遊詩人の歌物語には、さまざまな不思議が語られました。妖精の国や、魔法の森、歌う果物に空の上のお城など。


(秘密の通路や隠された小部屋は、冒険物語によく出てくる)


 ブリジッドは良いことを思いつきました。


(壁に見えるところにも、床にしか見えない場所にも、秘密の通路があるかもしれない)


 思い立つが早いか、ブリジッドは小さな手で壁を叩き、可愛い足で床を踏みつけました。けれども石はびくともしません。


(もっと強く押さないとダメかなあ)


 ブリジッドは、思い切り氷の塊を壁にぶつけました。氷柱の槍をを天井に投げつけました。逆巻く吹雪を床にぶつけました。



「えーい!」


 ブリジッドは掛け声をかけてみました。


(アンリは掛け声なんかかけないけど)


 ブリジッドは、アンリの魔法を思い出しました。アンリの炎は生きているみたいなのです。大きく手を振ったり、わざとらしく叫んだりは致しません。とっても自然に火も熱も使うのです。


(アンリならどうするだろう?)


 ブリジッドは考えました。


(アンリがほら穴を見つけた時、どうやったのかな)


 アンリはブリジッドが連れ去られた夜、みんなが安全に過ごせるほら穴を見つけたのでした。その時アンリは、どうしたでしょう?


(雪の道を溶かして、森の中を進んで行ったっけ)



 一面の雪ですと、どこに何があるのかわかりません。深い雪に覆われて、全てが見えなくなっておりますから。


(私も秘密の扉を吹き飛ばすことができるんじゃないかな?)


 ブリジッドは、ふと良いことを思いつきました。アンリが雪を溶かしてほら穴までの道を見つけたように、ブリジッドだって隠し扉を吹き飛ばして出口を見つけることが出来るかもしれないではありませんか。


 ブリジッドは何もない石の廊下に吹雪を吹き荒れさせました。もうブリジッドは、自分の吹雪に吹き飛ばされたりはいたしません。ブリジッドはそのままで、吹雪だけが廊下の奥へと走ってゆきます。


 果てのないトンネルのような廊下は、音のない吹雪を吸い込んでしまいました。



「なによ、イジワル!」


 ブリジッドはとうとう癇癪をおこしました。雪と氷の塊が竜巻となって石の廊下を削ります。ゴツゴツという鈍い音がし始めました。ブリジッドの氷がぶつかっているのです。


 ブリジッドは床や壁を壊しながら歩きます。廊下は曲がり角すら見せません。ですが、石にはヒビが入りました。あちこちから灰色の欠片が飛んできました。


「穴を開けちゃえばいいんだ!」


 床や壁のひび割れを見て、ブリジッドはニカッと笑いました。そして、アンリが雪を溶かした時のように、激しい魔法を壁にぶつけてみました。


「壊れろー!」


 氷と雪の塊と、氷に削られた石が礫となって魔物のお城をえぐってゆきました。



 突然、景色が変わりました。


「あれれ?」


 ブリジッドは拍子抜けして、ぼんやりと立ち尽くしてしまいました。魔法はすっかり収まっております。


 目の前に見えるのは、壁一面に棚のある倉庫のような広い部屋でした。人も魔物もおりません。けれどもどうやら、魔物のお城からは出ることができていないようでした。


(何のお部屋だろう)


 ブリジッドは好奇心に駆られて棚に近づきました。棚にはたくさんの瓶や箱や包みが並んでおります。どれにも小さなタグがついておりました。タグには文字が書いてあります。中に入っているものの名前でしょうか。


 ブリジッドは少しだけ文字が読めました。ごく稀にレマニが村や町に立ち寄る時に、市場を訪ねることもあります。そんな時に少しずつ、売り物の名前や値段を見て覚えていたのです。



 レマニたちに文字は必要ありません。魔法は自然に使えるようになりますし、生活に必要なことは大人たちから学びます。ですからブリジッドは文字を知っていても、使う機会は今までほとんどありませんでした。


「これは市場でみたことある文字だ」


 ブリジッドは、瓶についている小さな紙切れをジッと見つめました。それから伸び上がって棚に手を伸ばすと、慎重に瓶を手に取りました。茶色い素焼きの小瓶です。


「薬草屋さんにあったような気がする」


 ブリジッドは額に皺を寄せて考えました。一生懸命に思い出そうと致します。


「あっ、そうだ、これは、血止め」


 文字をひとつひとつ指先でたどるうちに、ブリジッドはついに言葉を突き止めました。



「痛い」


 小瓶の中味が血止めだと分かった途端に、ブリジッドの肩と背中から血が滲み出しました。


「あっ、あれはイタミドメ」


 ブリジッドは反対側の棚にある箱に目を留めました。箱には痛み止めという文字が書いてありました。ブリジッドは血止めの瓶をポケットに急いでしまいました。それから一目散に箱に走りよると、しっかりと両手で抱えたのでした。


お読みくださりありがとうございます

続きます

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― 新着の感想 ―
[良い点] ブリジッドは楽しくなって、スキップを始めました。魔法が辺りに飛び散るのは、わざとではないのです。気持ちが昂ると、自然に漏れてしまうのでした。 ⬆ ココだけじゃないんですけど ことば使いだけ…
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