20 魔物の城で扉は上がる
「ダメだ、ブリジッド!ほら穴の中へ戻れ!」
アンリは叫びました。顔色は、蒼を通り越して白くなっておりました。すっかり血の気が引いております。
「なんでよ?あたしだって、上手く魔法が使えるようになったんだから!」
ブリジッドは負けん気を起こしました。もう泣き虫だったブリジッドは、影も形もありません。そこにいるのは、小さいながらも誇り高いレマニの魔法使いでした。銀糸で象られた雪の結晶が、波打つ灰色のローブの上で本物の吹雪のように舞い踊っていました。
魔物は早速、ブリジッドを攫おうと寄って参りました。けれどもブリジッドはすんなり躱して、お月様のお船に乗り込みました。
「ちょっと!何してんの、ブリジッド。せっかく帰ってこられたのに」
「あら、あたしには銀の粉があるんだもの。自由に入ったり、好きな時に出てきたりできるんだ。いいでしょう?」
ブリジッドはすっかり得意になっているようでした。
「それに、紫色の髪をした魔物だって、もう怖くなんかないの」
「調子に乗ると危ないよ?」
「調子になんか乗ってない。アンリ酷い!」
ブリジッドがキッと涙目になると、アンリは狼狽えて謝りました。
「ごめん、言い方が悪かったよ。油断しちゃダメってこと」
「アンリこそ、ぼんやりしないでよ?」
「気をつけるよ」
「なによ、素直になっちゃって。調子くるうなぁ」
「ブリジッドこそ、酷いこと言うね」
2人が言い合いを始めると、ブリジッドのお母さんが凄い目で睨んできました。アンリのお父さんは苦笑いです。
「こらこら、ふたりとも。仲良くしなさい」
「酷いことなんか、言ってないよ」
「ぼんやりしてないでとか、素直になっちゃって、とか、ずいぶん馬鹿にしてるじゃないか」
アンリの剣幕に、ブリジッドは驚きました。
「そんなに嫌だった?」
「そういうの、やめてね?」
「ごめんなさい。気をつける」
ブリジッドはしゅんとしました。いじめようとしたわけではなかったのです。ちょっと気持ちが上ずっていたのでした。
アンリの炎とブリジッドの吹雪に囚われて、魔物はなす術もありません。大人たちの魔法も効いておりました。いくらコオリオオカミの王だとしても、たった1人でたくさんのレマニたちを相手にするのは苦しいのでしょう。
「さあ、アンリ!ぐずぐずしてないで、出発しよう!」
ブリジッドが意気揚々と舳先に立ちました。まるで行くべき道が全て分かっている人のようでした。
「なんだよ、ブリジッド。急に戻ってきて、威張んなよな。何か考えはあるんだろうな?」
「あるよ!とにかく、こいつを運びましょうよ。アンリもそう考えていたんでしょう?」
ブリジッドは、アンリの琥珀色に煌めく瞳に問いかけました。
「まあな、そうだけどな」
アンリは気に食わない様子で頷きました。自分が先に思いついた作戦なのに、これではなんだか、ブリジッドが考えたみたいではありませんか。
「ほらほら、行こう!」
ブリジッドは張り切っておりました。
「じゃあ、ひとまずは魔物の城に戻るか」
「そうね。森を通って行きましょう」
「そうだね」
アンリは仕方ないな、というようにため息を吐きました。
「お前たちだけじゃあ不安だ」
滑り出したお月様のお船を、アンリのお父さんが追いかけました。ブリジッドのお母さんも走ります。他の大人たちも追いかけました。
「みんな、気をつけるんだぞ」
長老は一同を見送りました。眠っているアンリの様子を見ていてやりたかったからです。
レマニたちの魔法に縛られながらも、魔物は激しく抵抗いたしました。
「大人たちがついてきてくれて良かったね」
アンリが言いました。なんと言ってもお父さんが着いてきてくれたのですから、安心感が違います。
「このままアンリの夢までみんなでいけるかなぁ?」
ブリジッドは期待を込めて大人たちを見ました。みんなそれぞれの魔法を使って、お月様のお船に遅れずついて参ります。
「捜索隊の人たちには、銀の粉をかけたよな?」
アンリは確かめるように言いました。
「うん」
ブリジッドは力強く首を縦に振りました。
「他の人は解らないけど、銀の粉がかかった人たちは、きっと夢の中まで一緒に行かれるに違いないよ」
アンリは請け合いました。
「そうだよね!あたしもそう思う!」
ブリジッドも元気いっぱいに同意しました。
魔物はまだお船に乗っておりません。けれども、ブリジッドを捉えようとしておりますので、黙っていても追いかけて参ります。ふたりはそれを利用しました。
お船はずんずん進んで行きました。小降りになった雪の中を、森の木々を縫って走ります。道々木々や岩に積もった雪が、アンリやお父さんの炎で溶けました。魔物の氷で紫色の水になると、ブリジッドやお母さんたち氷雪の魔法使いが再び凍らせました。
「魔物め!あっちへお行き!」
恐ろしい魔物を前にして、ブリジッドのお母さんも流石にアンリを睨みつけるのはやめました。むしろ、魔物と戦う姿を頼もしいとさえ思ったのでした。
「ふん、炎の悪ガキが、やるじゃないか」
ブリジッドのお母さんが忌々しそうに言いました。
「俺の息子は天才だからな!」
アンリのお父さんが、炎の竜巻で魔物を追い立てながら自慢しました。
「長老さま、ほら穴のアンリはどうでしょうか」
風の魔法使いたちは、ほら穴に残った長老と連絡を取り合っております。
「まだ寝ているよ。夢のアンリは?」
「まだうつつにおります」
「城は見えたかね?」
「いえ、まだ」
植物の魔法使いは、他の魔物や森に潜む猛獣や強盗たちに気を配りました。ですからアンリたちは、紫色の髪をした血色の瞳を持つコオリオオカミの王様にだけ、気をつけていればよかったのです。森の中にいる限り、植物の魔法を使うレマニに適うものはいないのでした。
お月様のお船は銀色の軌跡を描いて、夜の森を駆け抜けました。お船は斜面に差し掛かりました。アンリの夢にいた、歌う大岩はありません。ブリジッドがコオリオオカミの群れに運ばれて行った、冷たく寒い山道があるだけでした。
「貴様は不要だ」
魔物は冷たく言い放ち、アンリに薄紫の氷をぶつけようとしました。一旦ブリジッドから目を離し、邪魔者たちの排除に専念することにしたのです。
「くっ!」
アンリは琥珀色の目を細めて応戦致しました。1人だけに向けられた魔物の氷は、今までとは比べ物になりません。礫に針に、槍や刃のような氷も放たれました。
「アンリ、もうすぐお城だよ!」
船頭を買って出たブリジッドが知らせました。もっとも、お月様は、船頭なんか居なくったって頼んだ場所へと連れて行ってくださるのですが。
「ブリジッド!ぼくが入ってきた窓は分かる?」
「分かるよ!任せて」
「頼んだよ!」
アンリは、魔物を捕まえてお船に乗せようとしていました。お船の行方は、すっかりブリジッドに任せております。ブリジッドは勇敢な姿で舳先立って、銀の巻毛を靡かせておりました。大人たちの協力で、魔物はもう少しで船の中に閉じ込められそうでした。
アンリとお父さんの炎が、魔物の氷を舐めておりました。火の粉がバチバチと鋭い音を立てております。
「浅はかな人間どもめが」
魔物は余裕を見せておりました。そこがアンリたちの付け目でした。自分の城に向かっているので、魔物は勝利を確信していたのです。初めからブリジッドとアンリを馬鹿にしていた魔物でした。ですから、魔物は油断して隙を見せたのです。
アンリは、うっかり窓のことを口にしてしまいました。魔物が充分に警戒していたならば、聞き逃しはしなかったことでしょう。そして、アンリが入って来た階段のくり抜き窓の方へは、決して近づかないようにした筈です。
ですが、魔物はすっかりブリジッドとアンリを下に見ていましたから、ふたりの会話なんか聞いておりませんでした。こうして小さなレマニは、魔物に勘付かれることもなく、罠の方へとコオリオオカミの主を連れてゆくことに成功したのでした。
魔物は、ブリジッドたちの策略を疑いもせずに追って来たのです。
「お城だ」
お月様のお船と銀の粉は、レマニたちを再び魔物の城へと連れて参りました。普通の魔法では見つけられない場所なのです。ですが、夢とうつつを繋ぐふたつの魔法が、一行を隠された場所へと導いたのでした。
「見て!アンリ。石の引き上げ扉がなおってる!」
ブリジッドの言う通り、砕けて崩れ落ちた石の扉が元に戻っておりました。
「ほんとだ。どうしよう」
「壁に沿ってぐるっと回れば、窓から入れるかもしれないよ?」
「けどブリジッド。そしたらまた、向きを変えられなくなるんじゃない?」
「あっ、そうか。そうかもしれない」
ついてきた大人たちは、強い魔法で扉を開けようとしました。けれども、炎も氷も風も植物も、巨大な石の扉を開けることは出来ませんでした。
お月様のお船は平気で進んで参りました。止まる気配がありません。
「ああっ、ぶつかっちゃうよう!」
「わああああ!」
ブリジッドが小さな両の掌で、青緑色の眼を覆いました。アンリは思わず腕で頭を守りました。
「あれ?」
ぶつかると思った時には、ちっとも痛くなりませんでした。ブリジッドとアンリは恐る恐る薄めを開けてみました。
「ええっ?なんで?」
「うわあ、扉が上がってくぞ?」
ふたりの小さなレマニは、ゴゴゴゴゴォっと上がってゆく扉から目が離せませんでした。
魔物は、ふたりを相手にしていませんでした。ですから、魔物としては、ただ家に帰って来ただけなのです。魔物はブリジッドを捕まえられれば他に言うこともございません。それで、不用心にもレマニたちの目の前で、自分のお城に入る扉を開いてしまったのでした。
「気を引き締めろよ」
アンリのお父さんがいいました。ブリジッドは、自分の魔法と魔物の魔法が混ざって生まれた、真っ白い女たちを思い出しておりました。
「分かってる!」
ブリジッドが言いました。
「まっすぐ階段を昇ろう」
アンリが提案しました。
「いいわよ、そうしましょう」
ブリジッドはすんなりと同意しました。
「気をつけるんだよ!」
ブリジッドのお母さんが叫びました。風使いは長老と相談をしている様子です。アンリはクスリとしました。
「大人たち、心配しすぎじゃない?」
「そうだよね」
ふたりは顔を見合わせてケラケラと笑い出しました。
「お前たち、真面目にやりなさい、危ないから!」
アンリのお父さんが嗜めました。ふたりは忽ちしゅんとしてしまいました。お月様のいなくなったお空では、真っ暗な夜を彩る星たちだけが噂話に花を咲かせておりました。
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