19 アンリが夢に戻る時
長老の言葉に、集まっていたみんなが息を呑みました。
「夢の中のアンリが?え?どうやって?だって、あたし、起きてるよ?」
ブリジッドは混乱して、意味もなく手を振り回しました。
「月の湖は魔法の国の入り口で、魔物の城は夢とうつつが混ざっている場所だからね」
「だから?」
「だから、夢のアンリは、夢を通って魔物の城まで行けたんだ」
「お城は夢とうつつが混ざってるから、起きてるあたしと会えたの?」
ブリジッドは少しずつわかって参りました。
「多分そうだろうな。だけど、そのままアンリも一緒にほら穴まで来てしまったから、困ったことが起きたんだ」
「何が困るの?」
ブリジッドは質問しました。周りのレマニたちも、長老の答えを待っております。皆、緊張の面持ちでした。アンリのお母さんは、不安そうにアンリの手を握っております。アンリは、まだ起きません。
長老はアンリの前髪をそっと撫で付けました。
「ほら穴の外には夢のアンリが魔法の船に乗っていて、ほら穴の中にはうつつのアンリが眠っている」
「そうね。アンリふたりになっちゃったねぇ」
ブリジッドはおかしそうに笑いました。でも、長老は難しい顔をしておりました。
「ブリジッド、面白いだけじゃ済まないんだ」
「えっ、そうなの?」
ブリジッドはぴたりとと笑うのをやめました。
「夢のアンリがこちら側に出て来ていると、うつつのアンリは起きられないんだよ」
「そしたら、夢に戻ればいいんじゃない?」
「その通りなんだけど、夢は急に場面が変わるだろう?」
長老の言葉に、ブリジッドは今日見た夢を思い出しました。
「そうだね」
「だから、魔物の城までは戻れたとしても、月を映す湖をもう一度見つけられるとは限らないんだ」
「ええーっ?それじゃ、どうしたらいいの?」
ブリジッドは思わず長老のローブを掴みました。長老のローブは魔法の布で織られていました。金と銀と虹の七色とが滲み合うように広がって、動くたびに違う色に見えるのでした。
「夢に閉じ込められた人のお話ではどうしたの?」
「夢の中に入れる魔法使いが助けたんだ」
「レマニには、そんな人いないね」
ブリジッドはがっかりしました。
「でも、夢のアンリは夢の中からうつつに出て来てるんだろ?」
アンリのお母さんがいいました。
「それだったら、うつつから夢に入って行くことだって出来るんじゃないのかねぇ?」
みんながアンリのお母さんの方へと、一斉に視線を向けました。
「な、なんだい?あたし、なんか変なこと言ったかい?」
アンリのお母さんは、落ち着かない様子でみんなの顔を見回しました。
「おばさん、あたし、夢から出て来たもの、持ってるんだ!」
ブリジッドが急に思いついて、大きな声を出しました。
「夢から出て来たもの?」
アンリのお母さんが不思議そうに聞き返しました。
「一体どういう意味かね?」
長老もブリジッドに尋ねました。ブリジッドは、ポケットをごそごそ探ると、小さな革袋を取り出しました。
「これだよ!」
革袋を高く掲げると、ブリジッドはニカッと笑いました。
「それは、魔物の粉か!」
捜索隊にいた小父さんが、いつの間にかほら穴に入ってきていたようです。他の人はまだ、外で魔物を追い払おうとしているのでしょうか。
「そうだよ。銀色のお目々が夢の中でくれたの」
ブリジッドは頷きました。
「粉は、起きてる時にも貰ったんだけどね。この袋は夢の中から持って来たんだ!」
「どうやったんだ?」
捜索隊の小父さんが厳しい目付きで聞きました。この人は、まだ魔物の粉を警戒しているようでした。
ブリジッドは首を捻りました。
「わかんない。夢でポケットにいれたんだけど、起きた時ポケットから出て来た」
「もしかしたら」
長老が考え込むようにゆっくりと言いました。皆の顔が長老に向き直りました。
「袋じゃなくて粉に秘密があるのかもしれない」
「粉に?」
「ブリジッド、起きた時にあった粉は袋に入っていたぶんだけかい?」
「あっ、そういえば」
ブリジッドはハッとして口に手を当てました。
「ローブにもついてた」
「袋も、粉が付いてたから夢から持って出てこられたんじゃないかな」
「そっかー」
「だとしたら、粉をつけていれば、自由に夢とうつつを行き来できるかもしれないぞ」
それを聞いて、ブリジッドはもう一つ気がつきました。
「お月様のお船も、粉がついていたから夢から出て来られたのかな?」
「おお、そうかもしれないな」
長老は目を見開きました。
「夢のアンリは今、月の船に乗っている。夢のアンリも銀の粉をつけているはずだ。それでうつつに出て来たのはわかった。だが、夢のアンリが船から降りられないのは何故だ?」
捜索隊の小父さんは、眉根を寄せたまま疑問を口にしました。
「こっちにもアンリがいるからじゃない?」
ブリジッドは、さも当然のように言いました。長老は静かに頷きました。
「案外、そういう単純な理由かもしれないな」
長老は立ち上がると、ほら穴の入り口へと向かいました。半分くらいのレマニが長老の後に従いました。もう半分は、ぼんやりしていたり、アンリを見守ったり、決めかねて囁き合ったり、と様々でした。
「ブリジッドは中にいなさい」
ほら穴の入り口に着くと、長老は片手でブリジッドを押し留めました。
「なんで?」
「ブリジッドを狙っている魔物が、まだ外にいる」
「そんなの、へっちゃら!」
「アンリを起こしたいんだ。ブリジッドまで護りながらだと難しいと思うんだよ」
「長老様でも?」
「夢の中にいる人がうつつに出て来てしまうなんて、初めてだからな」
普通とは違う事態に、ブリジッドは初めて気がつきました。
「長老さまでも初めてのこと」
ブリジッドは怖そうに呟きました。
長老がほら穴の外に出ると、アンリのお父さんがお船の周りに火を絶やさないようにしておりました。そのおかげでコオリオオカミの姿は見えません。小さな魔物は氷の塊に入って、ほら穴に滑り込もうと狙っておりました。
入り口を塞ぐのは、植物に風に氷です。どれもレマニの魔法で出来ておりますので、長老は通り抜けられるのでした。
「アンリ!」
長老は外に出るなり、大きな声でアンリを呼びました。お月様のお船に乗った男の子が、赤いローブをはためかせて叫び返しました。
「長老さま!」
「銀の粉はついているかー?」
「銀の粉?あ、ついてまーす!」
「やはりな」
長老は硬い顔で頷くと、アンリに簡単な指示を出しました。
「アンリ。夢の中にお戻り」
「え?夢の中に?」
アンリは狐につままれたような顔をいたしました。
「今のアンリは、夢の中のアンリなんだよ」
「ええ?」
アンリはますます分からなくなりました。
「銀の粉がついているものは、夢の中から出て来られるんだ」
「ぼくは、夢の中から出て来たって言うの?」
アンリの声は不安そうに震えました。
「そうだ。月の船と一緒に、夢を通って、夢とうつつの間にある城に入って、そのままうつつに出て来たんだよ」
「だったらなんで、お船から降りられないの?」
アンリは不満そうに言いました。小さな魔物は大人たちの魔法で押し留められておりましたので、アンリは船を降りる事に専念しておりました。
「ほら穴の中には、寝ているアンリがいるからな。夢のアンリはほら穴に入れないし、うつつのアンリは起きられないんだ」
長老の言葉を聞くと、アンリは腕を組んで考え込みました。小さな背中では、真っ赤なフードが小雪の舞う夜の森にハタハタと踊っていました。
お月様のいない空を見上げて、アンリは琥珀色の眼を見開きました。
「お月様は、夢の中にお入りになったままなの?」
「夢の中に呼ばれて行ったままなんだろう」
「ぼくがお願いしたから?」
アンリは金色の眉を寄せて、長老の目をじっと見ました。
「そうだな。本気でお願いしたから、お応えくだすったんだと思うよ」
長老は、アンリを慰めるように優しい声で言いました。
「ぼくが夢に戻ったら、ほら穴の中で寝ているぼくは起きるの?」
長老の優しさに気持ちを落ち着けたアンリは、眉を戻して聞きました。
「そうだね。きっと起きる」
「じゃあ、どうやって夢の中に戻ったらいいの?」
「来た道を戻ってみたらどうだ?」
「そっかあ」
アンリは納得してにこりと笑いました。それから、心配そうにコオリオオカミの王様を見やりました。視線に気づいた長老は、穏やかな声でいいました。
「心配いらないよ。大人たちが追い払うから」
「長老さま!ぼく、いいこと思いついた!」
アンリはバッと船縁から身を乗り出しました。長老はびっくりして、雪と歳ですっかり白くなった眉を上げました。
「急にどうしたんだい?」
真っ赤なローブの背中では、パッチワークの太陽が燦然と輝いておりました。灰色の森の中、金色の柔らかな髪と背中の太陽は明るく力強く見えました。
「へへっ!」
アンリは小さな白い歯を剥き出して笑いました。
「カクゴしろ!マモノの王!」
アンリはお月様のお船の中で仁王立ちになりました。
「アンリ?」
魔物と向き合っていたアンリのお父さんが、お船の方を向きました。
「父ちゃん、みてなよ!」
アンリは自信に満ちた顔つきで、魔物に人差し指を突きつけました。
魔物はブリジッドを狙って、ほら穴に入ろうとしておりました。アンリの挑戦など、聞いてもおりません。無視されても怯まずに、アンリは魔法を繰り出しました。アンリの人差し指からは、細い炎の筋が吹き出したのです。
「何をするつもりだ?」
アンリのお父さんが聞きました。
「見てれば分かるよ!」
アンリの思いつきを、魔物に知られるわけにはいきません。アンリに注意が向いていない今が、ひと泡吹かせる絶好の機会なのです。魔物はアンリのすることを気にも留めていませんから。
アンリの炎は、細い紐を巻くようにぐるぐると捻りを効かせて魔物の王に迫りました。熱がゆらりとと立ち上りました。そよとも動かない魔物の髪が、熱が見せる陽炎で紫色にうごめきました。
炎の紐は素早く魔物の周りを巻いて行きました。
「鬱陶しい」
魔物は氷の塊の中から、怒りも悲しみもない口調で告げました。氷が炎にぶつかって、ジュウジュウと水煙が上がりました。
「それ!」
水煙も巻き上げて、炎のロープは魔物の入った氷をお月様のお船の方へと運び始めました。
「アンリ!」
その時、ブリジッドが大人を振り切って森の中へと走り出して参りました。
「手伝うよ!」
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