17 大人たちと合流する
お月様のお船にいるふたりはレマニの大人たちに気を取られて、魔物から目を離しました。途端にアンリの炎が作る壁を破って、氷の塊が船の中へと迫りました。当然中にはコオリオオカミの王様が入っております。
「危ない!」
大柄な赤毛の男が、炎の矢を放ちました。真っ赤なローブの広い袖口から、焦茶色のラシャが見えております。革手袋は防寒用でしょうか。
「父ちゃん!」
真っ赤なローブの大人は、アンリのお父さんでした。
「増えたか」
氷の塊を炎の矢が貫くと、魔物は素早く上に逃れました。ふたりの頭の上にある雪だらけの大枝に、ダン!と音を立てて銀色のブーツが着地しました。雪が落ちてブーツが枝に触れると、たちまちその木は氷で覆われてしまいました。
紫色が混ざった銀色の氷です。コオリオオカミの毛皮と同じ、魔物の魔法が生み出す氷の色でした。溶けると痛い氷が、今やアンリたちがいる一帯の木々を覆いつくしておりました。
アンリは気持ちを引き締めると、魔物に炎を吹きつけました。帯のような炎は、ぐるぐると回りながら赤々と雪の夜を照らし出しました。炎の熱で、魔物の姿がゆらめいて見えました。
「アンリ、どうやってここまで来たんだ?」
お父さんは魔物を攻撃しながら聞きました。
「お月様のお船に乗って来たんだ」
「月の船?その船は魔物の道具か?」
お父さんは心配そうに顔を曇らせました。
「違うよ!お空のお月様がお船になってくださったんだ」
「えっ」
お父さんは驚いて息を詰まらせました。
「一体どうやって」
「そんな魔法は、聞いたことない」
「みて!空に月がないじゃないの!」
レマニたちが騒ぎ出しました。大人たちの顔つきが険しくなってゆきました。
アンリのお父さんは、厳しくアンリを問いただしました。
「アンリ、本当に、どうやってその船に乗ったんだ?」
「月を映す湖を見つけたんだ」
「月を映す湖?」
お父さんは火のように赤い眉を寄せました。その間にも、魔物に向けて炎の矢を放っておりました。魔物は枝を飛び移りながら、森の木々を紫色に凍らせて回りました。
「なんだそれは」
「魔法の国へと連れて行ってくれる湖だよ。父ちゃんだって、旅の途中で聞いただろ?」
「覚えてないな」
「ぼく、ちゃんと聞いて覚えてるよ!」
アンリが得意そうに歯を見せて笑いました。ブリジッドは、吹雪で紫色の雪解け水を凍らせておりました。魔物の氷が溶け出すと、痛い水が大量にレマニたちに降り注ぐことでしょう。追い払うための炎だけでは、じゅうぶんだと思えなかったのです。
「私も覚えてる!」
ブリジッドがアンリの味方をしました。
「アンリ、月を映す湖を見つけたのね」
「うん、そうだよ!」
アンリのお父さんは、アンリにちらりと目をやりました。
「アンリ、吹雪の夜中に起き出したのか?」
「違うよ!」
アンリは自分が体験したことを、そのまますっかり伝えました。
「ぼく、ほら穴で寝ていたんだ。そしたら急に、吹雪の森を歩いてたんだよ」
アンリのお父さんには、それが夢なのか魔物の魔法なのかわかりませんでした。
「アンリ、まずは大人を呼びなさい」
お父さんは、アンリが魔物に攫われたのだと思いました。ブリジッドとふたりで逃げてこられたのは、運が良かったからだろう、と。
アンリはきょとんとしてお父さんを見下ろしました。お船は大人たちの頭よりも上に浮かんでおりましたので。
「あ、思いつかなかった」
「アンリ、ダメね!」
ブリジッドが笑いました。
「ブリジッドは呼んだって言うの?」
アンリは拗ねました。
「呼んだよ。お父さんもお母さんも、長老様のことだって呼んだんだから!」
それは本当のことでした。ブリジッドは、アンリのことも呼んだのです。今は黙っておきましたけれども。
「何人呼ぼうと無駄なことだ」
魔物は冷たさすら感じさせない声で言いました。
「父ちゃん、炎は効くんだよ!」
アンリがお船の中から叫びました。アンリのお父さんが炎の矢を立て続けに放ちました。アンリの炎も加わって、夜の森は熱と光で真夏のようです。魔物が凍らせた森の木々が溶け始めました。ブリジッドは、慌てて革の小袋を取り出しました。
「紫色のお水は痛いから気をつけて!」
ブリジッドは、吹雪で紫色の水を氷の粒に変えました。それと同時に、目玉がくれた銀色の粉をひとつまみ、レマニたちにふりかけました。革袋の中には、もうほとんど粉が残っておりません。
「みんなにちゃんと効くといいんだけど」
大人たちは大きいので、ブリジッドは銀色の粉が足りたのかどうか不安でした。ブリジッドの吹雪は、とても強く吹いておりました。魔物の氷から溶け出した水は、ほとんどが氷の粒に変えられて吹き飛ばされてしまいました。
けれども、ブリジッドの吹雪を逃れた水もございました。
「あっ、痛い」
「なんだ?爛れて来たぞ」
「火傷みたいにヒリヒリする」
魔物は辺り一面を氷の草木に変えていたのです。木々の下に生える羊歯や苔やキノコも、枝や幹に絡まる蔦も、みんな凍っておりました。熱で溶けた水は、足元からも流れて来ましたし、頭の上からも降って来ました。
「銀色の粉をつけて!」
ブリジッドが大人たちに教えます。
「この粉を?」
「不思議な魔法の気配がするな」
「それをつけると、みいんな治っちゃうんだから!」
ブリジッドの言葉は、大人たちを却って不安に致しました。
「魔物の粉なんじゃないか?」
「全部治るなんて、気味が悪いぞ」
「ブリジッド、この粉はどこから持って来たんだい?」
ブリジッドは銀色の眉を吊り上げました。
「魔物のお城で貰ったけど、悪い魔法じゃないよ!」
「すぐにはわからない魔法もあるんだ」
「もう使わないほうがいい」
「傷は、ほら穴に戻ってから治せばいい。植物魔法使いの薬があるからな」
ブリジッドはむくれて黙り込みました。でもアンリは、心配そうに金色の眉を下げておりました。
「ブリジッド、魔物のお城で手に入れたものは、危ないかもしれないよ」
「アンリまで!」
ブリジッドは泣き出しました。ブリジッドにとって、銀色の目玉は愉快で気まぐれな奴でした。ブリジッドを傷つけるどころか、傷を治してくれた恩のある魔物です。
「良さそうにみえても、魔物は魔物だし」
「そりゃ、人間じゃないけど」
「人間にだって、優しそうな顔して毒を渡して来た奴がいただろ」
レマニたちは旅暮らしなので、町の人々から馬鹿にされることがあります。子供たちならなおさらでした。レマニの知らない毒草の汁を渡されたことがあったのです。
「あげるよ!」
にこにこ笑って差し出された飲み物を、セシルが喜んで受け取りました。一口呑むと口が腫れあがり、ペッと吐き出すこともできませんでした。泣き叫ぶセシルを大笑いで囃し立てる町の子供を、町の大人たちは咎めもしませんでした。
オーギュストはセシルを抱き抱えて、レマニたちのところへ走りました。あらゆる薬を試して、セシルはやっと助かりました。長老が町の長に抗議をしたのですが、子供の悪戯だと言って取り合ってもらえませんでした。
「銀色の粉は毒じゃないよ」
「様子を見たほうがいい」
「魔物は魔物だ」
「用心するに越したことはないよ」
「毒じゃないもん」
ブリジッドはなおも言い張りました。大人たちも考えを曲げませんでした。アンリには判断できません。
アンリが身体についた銀の粉をはたき落とすか迷っているうちに、お月様のお船はほら穴へと近づいておりました。このままでは、魔物をみんなのところまで連れて行ってしまいます。
「そうだ!お月様!」
アンリは閃きました。
「僕たちをほら穴まで送ってくだすった後で、魔物たちを魔物のお城に連れて行ってくださいませんか?」
「アンリ、どうせまた魔物はお城から出てくると思うけど?」
ブリジッドが不服そうに言いました。アンリも残念そうに答えます。
「そうだねえ。お月様は運んでくださるだけだから、閉じ込めておくのは無理そうだねえ」
「どうにかできないかなあ」
「長老様に聞いてみようよ」
ふたりが相談していると、大人たちも頷きました。
「それがいい」
「今はとにかく逃げることだけ考えるんだ」
魔物の眼はじっとブリジッドに注がれておりました。
「ほら穴に逃げ込んだら、みんなの魔法で入り口を塞ごう」
大人たちは、時間を稼いで魔物を追い払う方法を考えるつもりなのでした。レマニは世界中を旅する家族です。長老くらい長く生きていれば、とてもたくさんのことを知っているものです。世界中の知恵を集めているに違いありません。
小さな魔物を振り切ることができないまま、一行はとうとうほら穴に辿り着きました。
「アンリ!ブリジッド、こっちへ!」
アンリのお父さんが叫びました。ブリジッドは吹雪に乗ってお月様のお船から飛び降りました。
「お月様、ありがとう!」
アンリはなぜかお船に残っておりました。
「アンリ!早く!」
ブリジッドはほら穴に逃げ込みました。追いかけてくる魔物は、大人たちが押し留めております。コオリオオカミの主は、船に取り残されたアンリには目もくれませんでした。ブリジッドだけにしか興味がありませんでしたから。
「お月様、降ろしてください」
アンリは言いました。
「アンリ、炎に乗って降りればいいだろ?」
「なぜなのかはかわからないけど、できないんだ」
「なんだって?」
アンリのお父さんが青褪めました。
ブリジッドはほら穴に入ると、長老に駆け寄りました。ブリジッドのお母さんは、飛びつくように娘を抱きしめました。
「長老様!コオリオオカミの王様を追い払う方法はありませんか?」
ブリジッドはお母さんの腕の中から、長老に聞きました。とても真剣な表情です。長老は、ブリジッドが見せる大人びた姿に驚きました。
「ずいぶん怖い思いをしたんだね」
長老は優しい声でいいました。それまでブリジッドは、魔物の平板な声とアンリの緊張した声しか聞いておりませんでした。急に染み渡る優しさに、ブリジッドの緊張がプツンと切れてしまいました。
「うわぁぁん!長老さま!魔物を追い払ってくださいよぉぉ!」
ブリジッドが子供らしく泣きじゃくると、お母さんはほら穴の奥を睨みつけました。
「お母さん?」
ブリジッドは涙の隙間から、そっとお母さんの顔を見上げました。
「あいつ、ブリジッドをこんな目に合わせておいて、自分はぐっすり寝ているなんて」
「あいつ?魔物は起きてるよ?」
お母さんの目つきは益々険しくなりました。
「魔物なんかどうでもいいよ。アンリの奴のことを言ってるんだ」
「えっ、アンリ?」
ブリジッドは訳がわかりませんでした。
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続きます




