11 アンリはお月様のお船に乗る
アンリは、歌う大岩に話しかけることができませんでした。大岩がアンリの味方だなんて、とても思えなかったからです。森はいつしか山になり、吹雪はどんどん強くなりました。灰色の冷たい雪が、エメラルドグリーンの灯りに照らされます。道と言えるものはありません。
「ブリジッド、どこにいるんだ」
アンリは心配そうに呟きました。
「寒いな」
アンリは、こんなに寒かったことがありませんでした。だって炎を自在に操れるのですから。
「誰もいない」
アンリの目に涙が滲んで参りました。見回しても、雪しかありません。大人たちも子供たちも、姿は一切ありませんでした。大岩は、繰り返し繰り返し同じ歌を歌っておりました。コオリオオカミの主に花嫁が来た、と。
「歌では城と言ってるけど、何も見えないな」
風の狐もいつのまにかいなくなっておりました。ビュオオオという風の音が、雪夜の山にこだましました。
「吹雪のほかにはなんにも聞こえないや」
シャリシャリという氷の鳥が出す囀り声も、すっかりやんでおりました。胸まで埋める雪の中、アンリは途方に暮れて立ち尽くしてしまいました。
はっと目を覚ますと、アンリはほら穴の中におりました。ほんのりと暖かな空気が漂っております。隣ではお母さんが寝ていました。アンリはほっとして、涙が溢れてしまいました。
「ブリジッドは?」
アンリは、ローブの袖でグイッと涙を払いました。それから慌てて起き上がると、ほら穴の中を見渡しました。
「どうしたんだろう」
なんだか様子が変なのです。大人の数が足りません。
アンリのお父さんたちがブリジッドの捜索に出かけたのは、アンリが眠ってしまったあとでした。ですからアンリは知りません。なにか大変なことが起きたのではないか、と思ってしまいました。
(ブリジッドが暴走して、今度は大人たちまでいなくなっちゃったなんて)
アンリは小さな炎でほら穴の中を照らしてみました。子供はみんな眠っておりました。大人は半分くらいしかおりません。長老の姿も消えておりました。
アンリはお母さんを起こさないように、そっと起き上がりました。それから、ほら穴の出口へと向かいました。
「アンリ?」
ほら穴の出口には、長老が立っておりました。吹雪は収まって、今は静かな雪がちらちらと舞い落ちるだけでした。
「長老さま、みんなどこへいったの?」
アンリの声は、不安で震えておりました。長老は手を伸ばして、優しくアンリに微笑みかけました。
「こっちにおいで、アンリ」
アンリは長老の腕に寄りかかりました。長老の手が、アンリの肩をトントンとたたいてくれました。干からびた指ですが、アンリはふんわりとした気持ちになりました。不安は消えておりません。けれども、アンリはいま、ひとりぼっちではないのでした。
「大人たちは、ブリジッドを探しに行ったよ」
「ブリジッド、みつかる?」
「見つかるさ。風の魔法使いが吹雪の通った道を辿ることが出来るからね」
「風の魔法使いは、寒くないの?」
アンリは、風の魔法使いたちが雪と氷の魔法使いたちと違って、寒さに弱いことは知っておりました。ほんのりと暖かな風は作れますが、吹雪の中や氷で出来たトンネルを通るには温度が足りません。
「アンリのお父さんが一緒だから、大丈夫だ」
「ほんと?それなら大丈夫だね!」
アンリはほっと安心いたしました。お父さんは、とても強い炎を出せました。雪を溶かして道を作ることが、簡単にできることでしょう。みんなが寒くなったらば、熱を起こしてあげられます。その熱を使って、風の魔法使いたちが上手にみんなを包むに違いありません。
「さ、アンリ、もう安心しておやすみ」
「長老さまは?」
「私はここで、みんなを出迎えないといけないからね」
「寒くない?」
「だいじょうぶさ。ありがとう。明日にはみんな、無事で帰ってくるからね」
「うん、わかった」
アンリはにこっと琥珀色の瞳を細めました。それから、吹雪のやんだ夜空を見上げたのでした。
森の木々には、相変わらず真っ白な綿帽子が載っておりました。ゆっくりと落ちてくる雪片は、お月様の光で銀の踊りを見せておりました。
「お月様がお顔をお見せになったねぇ」
アンリは、枝の間から覗く半分の月に気がつきました。上が平らで、お船のような形です。
「お船みたいだねぇ」
「そうだね、アンリ」
「お月様のお船に乗ったら、お空を旅することができるかな」
「さてね。出来るかもしれないねぇ」
「お月様、僕をブリジッドのところへ、つれていってくださいませんか」
アンリは真面目にお願いをいたしました。
「アンリ、大人に任せて寝なさいよ」
長老が穏やかに諭しました。
「でも」
アンリの瞳がかげりました。
「子供は夜、しっかり眠るのが仕事なんだ」
「そうなの?」
「そうだよ、アンリ」
「しっかり眠るのもお手伝いなの?」
アンリは明るい声になりました。
「お手伝いさ。アンリがしっかり眠って、明日の朝元気に起きたなら、大人はみんなもっと元気になれるんだ」
「そっか。僕、しっかり眠る」
アンリはキリリと表情を引き締めました。
「おやすみ、アンリ」
「おやすみなさい、長老さま」
アンリは長老に挨拶をすると、もう一度お月様を見上げました。
(ブリジッドも、あのお月様を見ているのかな)
アンリは、雪の積もった大木の陰に座るブリジッドの姿を想像致しました。ブリジッドは凍えることがありません。吹雪を起こせる魔法使いなのですから。けれども、ブリジッドは怖がりでした。
(ひとりぼっちで泣いてないかな)
お父さんもお母さんもいない夜の森で過ごすのは、寂しいにきまっております。それに、困るのは寒さだけではありません。魔物も獲物を探しておりますし、獣もうろうろしております。
(ブリジッドは、できないって決めつけるからなぁ)
ブリジッドの吹雪なら、森に住む狼や熊など敵ではありません。ただ、ブリジッドには自信がないのです。たしかにお昼間には、まだコツが掴めておりませんでした。ですから、自分には無理だと思い込んでいたのです。
(だけど、氷の羽を生やしたり、手のひらから雪の竜巻を出したり、大人でも難しい魔法を使うことが出来るんだ)
コツさえ掴めば、ブリジッドは素晴らしい魔法使いになれることでしょう。
(いざって時には、きっと出来るだろうけど)
アンリはブリジッドの魔法を信じておりました。でも、やっぱり心配でした。
(すぐ泣くからなぁ)
アンリは、またお母さんの隣に戻って参りました。また同じ場所に横たわると、きゅっと眼を瞑りました。
(お月様、どうかブリジッドをみんなのところにつれて来てください)
お船の形をしたお月様を思い出しながら、アンリは眠りにつきました。
アンリは、いつの間にか湖の畔に立っておりました。真っ赤なローブを身につけて、すっかり凍った湖を眺めておりました。湖の氷は、鏡のようでした。さっき見た夢の小川と違って、雪は積もっておりませんでした。
向こう岸が遠くに見えました。とても大きな湖でした。ここには、炎のお魚はいませんでした。氷の鳥たちも訪れません。風の狐も来ませんでした。
こちら側の岸辺を見回すと、水辺の灌木は雪に埋もれておりました。背中を丸めた白猫のような姿になっていたのです。
(ミミズみたいな雪のロープはいなくてよかった)
あれは、面白いけれども気持ち悪い動きをするのですもの。
湖の上を見渡せば、真ん中あたりに何かがあるのが分かりました。
(なんだろう?)
アンリは炎に乗って、早速調べに行きました。前の夢とは違って、今回のアンリはちゃんと魔法を使うことができました。魔法がないと、やっぱりなにかと不便です。アンリは改めて、自分が魔法のあるレマニに生まれて良かったなあと思いました。
(お月様?)
氷の上には、少し滲んだお月様がおられました。眼を瞑る前に見た、あのお船の形をしたお月様です。
(あっ、ここは、月を映す湖だ!)
旅の途中で聞いた、御伽噺に出てくる魔法の湖を見つけたようです。その湖に辿り着いた人は、湖に映る月を通って、魔法の国へと旅立つことができるのだそうです。
(歌のお城に行かれるかもしれない)
前の夢で大岩が歌っていた魔物のお城は、いくら探しても見つかりませんでした。お城というからには、大きくて高いところにあるのでしょう。遠くからでも見えるはずなのです。
(見えないってことは、魔法で隠してあるんだ)
魔物のお城ですから、人間にはわからない魔法がかかっているのではないでしょうか。
(レマニの魔法じゃ、たどり着けないかもしれないぞ)
ブリジッドを探しに行った大人たちでも、お城に入ることは無理かもしれません。
「お月様」
アンリは心を決めました。ほんとうにお城が見つかるのか、半分くらいは自信がありません。それでも、行ってみる価値はありそうでした。
魔物のお城には、たくさんの魔物がいるでしょう。アンリひとりで太刀打ちできるかどうかは、予想がつきませんでした。ですが、いまここにはアンリしかおりません。大人たちを呼びに行く方法も分からないのです。
「どうか僕を乗せてください」
アンリは、雪空のお月様にお願いしました。それから湖に映る影に目を向けました。
「お月様、どうかお月様のお船で、ブリジッドのいるところまで僕を送っていってください」
お月様の影が、動かない氷の湖の上でゆらりゆらりと波打ちました。アンリの真剣な心に応えてくれたのでしょうか。
「乗せて下さるんですね?」
アンリは急いで、凍った湖の上にたゆたうお月様のお船に足を載せました。途端に、アンリの足元から銀の蝶々たちが舞いたちました。蝶々たちが羽をひらひら動かす度に、銀の粉が散りました。
蝶々たちは、お空から流れ落ちてくる銀の滝みたいでしした。ほんとうは湖からお空へと昇ってゆくのですが、ひらひらと舞う様子は、雪と一緒に降ってくるようにも見えたのでした。
「ありがとう、お月様」
アンリが心からのお礼を伝えると、湖のお月様はシャリンと鈴のような音を立てました。アンリの心は、すっかり聖く洗われたように感じられました。そのまま、お船は蝶々の滝を昇って参ります。
途中で一回大きくぐらりと傾いたので、アンリはお船の底に尻餅をつきました。
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続きます




