1 夢送りのお月様
レマニは小さな国でありました。大きく暗い森の奥、たどりつくのもむずかしい。冬には雪に閉ざされて、人々は肩を寄せ合い暮らしておりました。
レマニのお城は、森から続く山の中ほどにございました。灰色の石で造られた、とても小さなお城です。雪と氷で銀色に飾られた森を見下ろして、今日も静かに佇んでおりました。
灰色のお空には、ぼんやりとお月様が浮かんでおりました。小さな寝台に横たわり、デリク王子様がお空を見上げます。銀の巻毛がクルクルとナイトキャップからはみ出して、夜風に踊っておりました。
「夢送りのお月様だ」
デリクは琥珀色の透き通った瞳をキラキラと輝かせて呟きました。
「運んでおくれよ、お月様の小さなお舟」
水晶の下げ飾りがぶつかり合うような、清らかな声が響きます。
「素敵な夢へ、楽しい夢へ、手に汗握る冒険の夢へ」
魔法の歌が窓から旅立ち、雪の降るお空へと昇って参ります。
「運んでおくれよ、お月様の小さなお舟」
囁く歌は、眠る森の梢を越えてお月様を目指します。ちょうど上が平らに見える少し傾いたお月様です。レマニの国ではこの姿を、夢送りのお月様と呼んでおりました。
夢送りのお月様には、伝説がございます。昔、レマニがまだ旅する魔法使いの小さな家族だったころのことです。レマニたちは、長い旅の途中でこの森にやってきました。
その日は朝からずっと雪が降っておりました。
「吹雪いて来たなあ」
年嵩の魔法使いがローブのフードで口を隠しながら言いました。
「何処か避難できる場所はないだろうか」
中年の魔法使いが寒そうに呟きました。
「この森は山に続いているから、ほら穴があるかもしれないよ!」
真っ赤なフードを被った小さな男の子が叫びました。背中には金色の太陽がパッチワークで縫い付けてあります。男の子は炎と熱の魔法使いなのです。
「吹雪の森は危なくなあい?」
心配そうに聞くのは、同じ年頃の女の子です。灰色に銀糸で雪の結晶を刺繍したローブを着ていました。
「ブリジッドは弱虫だなあ」
「ひどいわアンリ」
「だって、ブリジッドは雪と氷の魔法使いだろ」
「そうよ」
ブリジッドはツンと顎を反らしました。弾みでフードが後ろにずれます。氷雪遣いの証である銀の巻毛が溢れでました。吹雪が巻毛と戯れて、まるでブリジッドに甘えているようでした。
アンリは思わず見惚れました。でもすぐに口を曲げて、意地悪を言い始めたのです。
「そんなに吹雪と仲が良い癖に、雪の森が怖いなんてさ」
「アンリだって、山火事は怖いでしょう?」
「僕、怖くないよ!」
強がって頭を振ると、アンリの真っ赤なフードも外れてしまいました。途端に、ふわふわと漂う繊細な金髪が、白銀の世界に漂いました。黄昏に燃える湖を思わせる琥珀色の瞳が、キュッと吊り上がっておりました。
ブリジッドは静かにフードを被り直しました。
「ウソおっしゃい」
「ウソじゃないよっ!」
雪野原に黄金色の火の粉が飛び散りました。アンリは怒っているのです。
「僕、もう、炎を纏えるんだよ!火傷だってしないんだ」
「ええっ、ほんとう?」
ブリジッドは凍った泉のように神秘的な、青緑色の澄んだ瞳を見開きました。銀の睫毛はくるんとカールして、雪で飾られておりました。キラキラと光る睫毛は、まるで宝石の粉をふんだんに塗したようでした。どんなに立派なお城のお姫様でも、ブリジッドを慕う雪の輝きには敵わないことでしょう。
「本当さっ!ブリジッドはまだ、雪も氷も纏えないのぉ?」
アンリは勝ち誇ってニヤニヤしました。
「出来ないわ。セシルだって、風を纏えないわよ」
「セシルは僕たちより小さいからね」
「なによ、いじわるッ」
泣き出したブリジッドに、赤毛の男の子が飛んできました。まっすぐな赤毛を、首の後ろで束ねた男の子です。マントは緑色で、一面に色とりどりの花が刺繍してありました。彼は、2人より少しお兄さんのようでした。
「こらっ、また喧嘩して!」
「聞いてよ、オーギュスト!」
ブリジッドは必死に訴えました。
「アンリが、もう炎を纏えるからって威張るのよ!」
「ああもう、泣くなよ、ブリジッド。アンリも泣かすなよなー」
「勝手に泣いたんだよ」
「うわぁぁん!」
ブリジッドは、強くなり始めた吹雪にも負けない声で泣き出しました。流石に大人も集まって来ます。
「何?どうしたの?」
「またアンリだろ。みんなより魔法が上手でも、優しく出来ないんじゃなぁ」
「アンリ、謝りなさい」
アンリはますます不機嫌そうな顔になりました。火の粉はひっきりなしに弾けております。周囲の雪が溶け出しました。
「おいっ、アンリ!」
体の大きな男の人が、アンリの襟首をいきなり掴みました。アンリは宙に浮いて、足をバタバタさせました。男の人も赤毛です。真っ赤なローブを着ていました。
「ぐえっ、何すんだよ、父ちゃん!」
「ブリジッドをいじめるんじゃない」
「いじめてない!」
「うわぁぁぁぁーん!」
「ほら、男らしく謝れ」
「何だよ!決めつけて!」
アンリはとうとう体から炎を燃え上がらせました。
「アンリッ!」
アンリのお父さんは、強い熱を出しました。アンリは眼をまん丸にして、足をバタバタさせるのをやめました。
「人より魔法が巧くても、仲良く出来ない魔法使いは禍いを呼ぶんだぞ」
「ワザヤイってなんだよ、父ちゃん?」
「こわーいことだよ」
「僕、怖くない!」
「大人でも怖いことが起きるんだぞ」
赤毛の人は、アンリとそっくりな琥珀色の瞳で、厳しく睨みつけてきました。アンリは泣きませんでした。
「ちぇっ!知らないよ!」
そう叫ぶと、アンリは炎を出しました。
「あちっ、こらっ、アンリ!」
思わず手を離したお父さんを振り切って、アンリは森の中に駆け込んでしまいました。
「おいっ、アンリ!」
アンリのお父さんは、顔色を変えて追いかけました。他の大人たちも続きます。
「うわぁぁぁーん!」
ブリジッドはますます大きな声で泣きました。そこへ、灰色ローブの女の人が駆けつけました。
「ブリジッド!何してるの?水を作る間、動かないでって言ったでしょ?」
ブリジッドのお母さんは、飲み水を作る係でした。お父さんは器の魔法使いでした。お母さんが雪から作った美味しい水を、お父さんが作る魔法の器に貯めるのです。
「だって、ヒック、ヒック、だって、アンリが、ヒック、いじわる言うの!」
泣きすぎてしゃっくりを出しながら、ブリジッドはお母さんに訴えました。
「よしよし、今日は何て言われたの?」
「ヒョウセツの魔法使いのくせに、吹雪の森を怖がるなんてへんだって言ったのー!」
「おや、そんなこと言われたのかい?」
「言われたのー!うわぁん!」
お母さんはブリジッドを抱きしめました。困ったように眉を下げると、お母さんは背中を撫でてくれます。ブリジッドは少し落ち着いて来ました。
「怖がるのはいいことだよ」
お母さんは優しく言いました。ブリジッドはお母さんにしがみつきます。
「力のある魔法使いは、怖さを知らないといつか自分の力で死んでしまうんだ」
ブリジッドはびっくりして泣き止みました。そして、息を呑んでお母さんを見上げました。
「どこまでも魔法の力が強くなってしまうからね。自分も、世界さえも、滅ぼしてしまうんだよ」
ブリジッドは、お母さんの腕の中からアンリが消えた森を見ました。
「アンリ、大丈夫?」
「大丈夫さ、みんないるからね!」
「でも」
ブリジッドは考え込むように口を閉ざしました。
逃げ出したアンリは、雪の森に道を作りました。炎と熱で雪を蒸発させてしまったのです。まだうんと小さいのに、アンリはとてつもない魔法の力を持っていました。
赤ん坊だった時には、みんなにとても褒められたのです。けれども、アンリが覚えているのは、怒られるようになってからでした。
「ほら!すごいでしょ!」
眼をキラキラさせながら燃え上がらせる豪炎は、子供たちを怯えさせました。
「危ない!やめなさい」
大人たちからは叱られました。
「なんだよ、みんな!」
アンリは出鱈目に走ります。身体からは熱い炎が燃え上がっておりました。吹雪に潜む氷狼という魔物も、近づくことが出来ないほどでありました。
そうして走っているうちに、アンリは森の中のほら穴を見つけました。入り口には雪が積もっておりましたが、少し進んでゆくと乾いた土になりました。
「ここならみんな、安心して眠れるな」
アンリは、ふと我に返りました。
「呼んで来るか」
炎と熱の風に乗って、アンリは驚くほどの速さで森の奥まで来ておりました。風を纏った大人の足でも追いつけないほどでした。
大人たちはアンリが溶かして出来た森の道を、急いで辿ってゆきました。
「アンリー!」
「アンリ、落ち着け!」
いくらアンリが強くても、やっぱり小さな子供なのです。大きな力を持って生まれてしまったからこそ、大人たちは守ってあげなければなりません。
優しそうなことを言って、悪いことをさせる大人だっているかも知れません。レマニたちの他に魔法使いはいません。大昔の始まりのレマニが、どこでどうやって魔法の力を手に入れたのかは、誰も知りませんでした。
様々な国の王様たちは、レマニたちの力を使ってやろうと狙っています。力の秘密も奪おうとしているのでした。だからレマニたちは、世界を旅しているのです。レマニたちは、魔法の力を暮らしの為にしか使いません。人を傷つけるのは嫌いでした。
アンリが今のまま大人になってしまったら、悪い大人に騙されるかもしれません。恐ろしいことをさせられるかもしれません。
「アンリー!」
アンリのお父さんが、炎に乗って走ります。アンリが作った森の道を進んで行きました。
「父ちゃん」
お父さんは森の中ほどで、すっかり炎を収めたアンリに行き合いました。けろっとして眩い金髪を風に靡かせております。
「アンリ、心配したじゃないか。ひとりでドンドン行くなんて」
アンリはうるさそうに顔を顰めると、お父さんの腕を引っ張りました。
「父ちゃん、僕ね、」
その時、ごおっと音を立てて吹雪がアンリの道を翔けて来ました。
「アンリッ!」
ブリジッドです。銀の巻毛をボサボサにして、真っ青な顔をしていました。
「ああ、良かった」
「ブリジッド?」
ブリジッドは大きな息を吐き出すと、キリリと銀色の眉を吊り上げました。
「アンリ、威張る子は死んじゃうんだよ!お母さんが言ってた!」
アンリはまた顔を顰めましたが、気を取り直して明るい声で言いました。
「ブリジッド、僕、大きなほら穴を見つけたんだ!みんなが眠れるくらい大きなほら穴なんだよ!」
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続きます