出撃
指揮官機は97式艦上攻撃機が選ばれた。先頭のパイロット、中央に岡村大尉、そして三座目に安原一佐が乗ることになった。
97式艦上攻撃機はまぎれもなく太平洋戦争初期の歴史の一ページを飾った有名な艦載機だ。真珠湾攻撃の際、隊長の淵田中佐が搭乗した指揮官機であり、雷撃と水平爆撃で最も敵に損害を与えた主力の多用途攻撃機であり、TBD雷撃機など当時のライバルを圧倒する高性能の機体であった。
安原は前の席の岡村に尋ねた。
「パラシュートは?」
「あるわけがない。安全な任務と言ったのは貴様だ。行くのか?行かないのか?」
「いや、大丈夫だ。行こう」
エンジンはうなりを上げ、滑走スピードはぐんぐん上がる。
安原は観念したように首を振った。もう後戻りはできない・・・パイロットを信じるしかないのだ。
機体がフワッと浮いたかと思うと、機首を上げて上昇していく。
とりあえず、無事発艦した。
船の群れが遠ざかり、みるみる小さくなっていく。風防を開けたままの飛行は、飛んでいることを肌で実感できる、安原にとって初めて味わう感覚だった。あとに続く、零戦、天山、彗星が見事な編隊を組んでいる。
「素晴らしい!」
安原は思わず呟いた。岡村は後ろを振り向いた。
「まさか飛ぶのは初めてか?」
「いや、ヘリや大型機にはいくらでも乗ったが、この感覚は初めてだ・・・少々窮屈だが」
岡村は安原のように景色を楽しむ気にもならない。日頃の癖で、敵機をつい警戒してしまう。
「安原・・・大佐か一佐か知らないが、目的があって来たんだろう?そろそろ方位と高度を指示してくれないと操縦士が困る」
「航法は心得ている・・・左へ三度、高度は・・・」
既にJ-WACSがコントロールを失った空域に達している。
安原は機内の有線通話でパイロットに尋ねた。
「発動機や計器類、操縦性に問題はないか?」
「全く異常ありません」
答えはすぐに返ってきた。ケリーの言葉通り、この航空機がオーロラ・シールドに耐えることが証明された。
レーダー員が推定したシールド領域が、安原が手にする海図に記されている。幅二十キロ程度の帯の上を飛んでいるわけだが、この空域を飛ぶことが、編隊にとってむしろ安全ということになる。敵機もミサイルも飛べないのだ。
「船が見える・・・十時の方向に一隻だ」
岡村が示す方向を、安原は双眼鏡で覗いた。確かに船だが、航跡がなく停止しているように見えた。
「あれは民間の貨物船だ。シールドの影響で航行不能になっている」
安原は国籍を確かめようと身を乗り出したが、爆音とともに編隊が分かれていくのに気付いた。零戦と彗星が降下し、この貨物船に向っている。彗星四機はさらに機首を下げ、急降下の態勢に入った。
「何をする気だ・・・敵じゃないぞ」
慌てる安原を、岡村は気にも留めないように言った。
「特別攻撃は禁じている。通常爆撃なら問題あるまい」
「馬鹿な・・・やめさせろ!あれは民間の船だ」
彗星はぐんぐんとスピードを上げた。この二人乗りの高速爆撃機には五百キロ爆弾が積まれている。
だが爆弾は投下されなかった。彗星四機はまるで一本の糸に繋がっているように、きれいな弧を描きながら、ばら積み貨物船の真上で急上昇した。
別の角度から緩降下で接近した零戦六機は、低空飛行で貨物船の上を通り過ぎた。
八百キロ爆弾を抱えた天山三機は急降下に加わらず、上空を旋回しただけだった。天山は97式艦攻の後継機であり、その攻撃法も同じく水平爆撃と雷撃だった。
「通常攻撃の訓練だ」
岡村は、後ろで唖然とする安原に平然と言った。航空隊は元のきれいな編隊に戻っていた。岡村は隣の零戦と合図でやり取りしている。
「漂流船だと、かえってやり辛かったようだ。だが安心しろ、操縦性に問題ない・・・ここまでやらないと、試したことにならないだろう?」
安原は大きくため息をついて頷いた。
「それはご苦労・・・だが貨物船の船員たちは歓迎しなかっただろう・・・今度やるときは前もって言ってくれないか」
さらに進むと、岡村は漂流物を見つけた。
「何だと思う?」
岡村はその方向を示した。安原は双眼鏡でそれを確認した。
「旅客機の水平尾翼だ・・・墜落したようだが、こいつは大ごとだぞ」
安原は「かが」へ向けて無電機で発信した。
≪旅客機ノ破片ヲ発見。生存者見当タラズ。位置ハ・・・≫
知らせたところで、どうすることも出来ないことに安原は気付いた。艦艇が向かっても、あの貨物船のように漂流するだけだ。
一機の零戦が岡村機を追い越し、翼を振って何かの合図をしている。
「松本飛曹長の機だ・・・何か発見したようだ。奴の視力は航空隊随一だ」
しかし、誰も何一つ見つけることができない・・・編隊はしばらく松本機が先導して飛び続けた。
「あれじゃないのか?」
岡村が示す方向を、安原は双眼鏡で目を凝らして見つめた。確かに・・・海面のある部分が違和感のある光を放っている。
近づくにつれ、ライトグレーの浮遊物がみるみる大きくなった。
「船だ・・・いや、本当に・・・よく発見できたな」
安原は驚嘆するばかりだった。あの距離から目視で気付くとは到底信じられない。
「言っただろう?奴の目から逃れられる者はいない。あれが探している奴か?」
それは二百メートルを優に超える大型艦だ。米海軍のズムウォルト級ステルス艦にも似ているが、それよりも艦橋部分が小さく、窓も見当たらない。突起物は少ないが、司令塔の前方から突き出した円形のアンテナが見える。
≪目標ヲ発見。放射線照射機装備ノ大型艦・・・国籍不明≫
安原は直ちに打電した。
「どうする?このまま眺めているだけか?」
岡村は苛立たしそうに尋ねた。編隊はその上空で旋回している。パイロットたちはこの異様な形の巨大艦船を興味深そうに眺めている。
「奴ら、撃ってくることはないのか?」
再び岡村は尋ねた。
「A・S・Sは最強の防御システムだが、それが有効な間は対空兵器が使えない。放射線の照射を止めても、効力が消えるまで数十分かかる・・・」
「数十分?そいつが過ぎたらどうなる?」
「対空ミサイルにレーダー射撃で撃墜されるだろう」
「その前にやっつけるか、逃げるしかないということか?」
その時、「かが」からの返信で安原は仰天した。
≪A・S・S照射機ヲ無力化シ、離脱セヨ≫
恐らくは原子力船である、その船体を破壊しないように、元凶のA・S・Sだけ破壊しろというのだ。
何れにせよ、この正体不明艦船への攻撃命令に他ならなかった。既に自衛隊機が失われ、敵対行為への正当な実力行使ということだった。
「無茶を言ってきた・・・難しい注文だが、お国の為にやってくれるか?あの丸いアンテナだけ破壊しろと言ってきた」
その時、停止状態の艦船に動きがあった。相手側も、正体不明の航空機の出現に驚いたようだ。対空砲火ではなく、船体上部の数か所から、鯨が潮を吹くように、海水の噴煙が舞い上がっている・・・
安原は愕然とした。それはバラストタンクの空気を吹きだしているに違いなかった。水上艦艇がそのような動作をすることはあり得ない・・・。
「あれは潜水艦だ!くそ、潜航するつもりだ」
岡村大尉は全機に対し、攻撃開始の合図を送った・・・。