ベーリング海
これほどの大艦隊の動員は太平洋戦争以来になる。米海軍は西太平洋をカバーする第七艦隊をはじめ、東太平洋の第三艦隊、大西洋の第二、第六艦隊・・・空母7隻、巡洋艦および駆逐艦が72隻、原子力潜水艦45隻、揚陸艦を除く戦闘艦艇の総数は米海軍の75パーセントに及び、これにおよそ700機の航空機が加わる。
真っ先に現場へ到着した第七艦隊は、イージス駆逐艦による包囲の輪を形成した。空母艦載機は目標の原潜が浮上した場合に備え、上空から絶えず監視している。
目標が水深の浅い、起伏の激しい海底に潜んでいることは、初めから分かっていた。ソナーによる探知が不可能でも、米軍は目標の原潜が発する秘密の識別信号を捉えていたのだ。
さらに後続の大艦隊の合流で、包囲網は一層強化され、完全なものとなる。
ロシアとの境界線付近のこの騒動は、当然の事ながらロシア側を大いに刺激することになる。ロシア海軍はこの恐るべき大艦隊に対抗しようと、地中海を除く方々の基地から艦隊を出港させるが、数の上では太刀打ちできないことは明らかだった。
しかし彼等には中国海軍という強力な味方がいる・・・その中国とは強固な同盟関係にはないものの、損得で動くこの友好国は米国に激しい対抗心をもち、こういう時に非常に頼りになる。
ロシアは中国を動かした・・・この海域の権益という分け前をはずむことで、中国は主力艦隊をベーリング海へ向かわせた。北方艦隊、東海艦隊、南海艦隊から成るその総数は、空母1、駆逐艦30、フリゲート艦25、潜水艦30・・・ロシア海軍は巡洋艦および駆逐艦15、潜水艦を18投入し、艦船の総数では米軍に匹敵する。
さすがに最強の米艦隊といえども、これは無視できない戦力である。本来の目的であるAI原潜2隻の捕獲には、ほとんどの艦船が欠かせないのだ。
中露の邪魔者をけん制する為に呼び寄せた援軍は・・・イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダから空母2、駆逐艦およびフリゲート艦46が加わった。
そして世界中からベーリング海へ向け、400隻近くの艦船が押し寄せた・・・。
「かが」を中心とする航空艦隊はアリューシャン列島付近をゆっくりと北上している。作戦海域から千キロ近く離れているが、ベーリング海の情報はラングレー大尉へ逐一報告が入っている。
「目標の原潜を中心に包囲が完了した模様です」
ラングレーの説明では、この段階で次のステップへ移ることになっている。それは目標とのコンタクトだった。
「どうやって奴らをおとなしく服従させるつもりだ?」
ケリーはラングレーに尋ねた。
「目標原潜の指令システムにアクセスします。これはシステム障害が起きた際の復旧手順で、復元システムを搭載した水中ドローンを船体へ接続させます」
「相手が抵抗もせず、黙って見ているとは思えないが」
「それができるのです・・・二隻の原潜が交信する信号に割り込み、仲間と誤認させるのです」
新たにアドバイザーとして加わったキーナン博士は、その説明を無言で聞いている。ケリーは彼の意見を聞きたいと思った。
「博士はどう思われます?」
「いい作戦です・・・唯一の気がかりは目標に動きが全く見られないことですが」
すかさずラングレーがこの若い博士の疑問に答えた。
「ここの海底はソナー探知が難しく、隠れるのに最適な場所なのです。動かずにじっとしているのが最善である、という判断でしょう」
キーナン博士は表情を変えずに頷いた。
「そう、まさに最善の手でしょうね・・・軍人であるあなた方がそう思うのも無理のないことです」
ラングレーはけげんな顔つきで尋ねた。
「どういう意味ですか?」
「あなた方は相手が発見されるのを恐れ、身動きできないと見ている・・・あなた方がそうお考えであることを、相手も知っているという事です」
ラングレーが何か言おうとした時、艦長が通信文を彼に手渡した。
「第三艦隊から君宛てだ」
ラングレーはそれを手にするなり、みるみると顔が青ざめていった・・・。
軍艦のひしめく、ベーリング海包囲作戦の中心に、タイコンデロガ級巡洋艦の一隻が目標の捜索任務についていた。
巡洋艦の緊急連絡は、米海軍第三艦隊司令官へ発せられた。司令官は怒りをあらわにしている。
「いないとはどういうことだ?」
「原潜などどこにもいません・・・受信した信号はフェイクです」
「馬鹿を言うな!我々にしか傍受できない特殊信号だ!そいつを追いかけるのにどれだけ労力をかけたと思っている!」
「ですから・・・これは罠です!発信元の魚雷のような代物が転がっていますが・・・こいつを引き揚げますか?」
それは最も恐ろしい瞬間だった・・・騙したつもりが騙されていたのだ。もはや目標の捕獲どころではなくなった。何かが起ころうとしている・・・。
巡洋艦の艦長は、呆然とあたりを見渡した。目の前には海上を埋め尽くすほどの艦船が群がっている・・・この大艦隊は何のために集められたのか・・・。
「オーロラ・シールド反応!」
全艦隊に緊張が走った。上空を飛び回っていた無数の航空機が、凍り付いたようにコントロールを失った。米軍機だけではない・・・世界中から集まったあらゆる軍用機が電源を失った。
バタバタと落下していく航空機は、まさしく氷結している。海面に激突するたびに、水しぶきまで氷の粒に変わった。海面が凍結を始めたのだ・・・。
混乱状態の交信内容は、「かが」にも傍受された。しかし、まもなくそれは途絶えた。
「交信不能・・・全ての通信が途絶えました」
通信員に続いてレーダー員が報告した。
「レーダー使用不能!」
A・S・S特有の障害に「かが」は襲われたが、致命的な電源の喪失はない。ということはシールド圏外にいることになる。しかし前方に広がる光景は、別の異変が生じていることを示していた。
青い水平線は白色の陸地に変わり、その境目の空は、靄がかかったように視界を遮られている。高倍率双眼鏡を覗く見張り員は、信じられぬ思いで報告した。
「10キロ先より海氷が形成されています」
通常なら、1,500キロ先のセントローレンス島あたりまで北上すれば海氷は見られるだろう。それも船舶が航行できるレベルだ。
その異様な光景に、誰もがくぎ付けになった。波の輝きは消え、水平線の彼方まで、時間が止まったかのように、凍てつく大地が広がっている・・・。
キーナン博士は、当直の見張り員に何やら尋ねている。海自隊員は気を取り戻したように答えた。
「現在、摂氏5度・・・10分間で3度下がっています。気象レーダーの記録はこちらに・・・」
北上する「かが」の艦隊は、停止せざるを得なくなった。接近するにつれ、その海氷の密度から船舶の航行が不可能だと判明した。
「現在、マイナス18度・・・」
報告を受けるキーナンは、集められるだけのデータから分析を始めている。艦長はケリー少佐とラングレー大尉に意見を求めた。
「君たち米海軍との連絡は絶たれている。見ての通り、これ以上は進めない・・・あり得ないことが起きていると思うが、だれか説明できる者は?」
「作戦は失敗したという事です・・・オーロラ・シールドは、AI原潜の仕業でしょう。凍り付いた海のことですか?・・・理由など全く想像もつきません」
力なく答えるラングレーは、ショックから立ち直れないでいる。想像もつかないという点ではケリーも同じだった。
「全ての艦船はシールド圏内にいます。この状況だと身動きが取れないでしょう。どんな目に遭っているか分かりませんが・・・確かめに行くしかないでしょう」
「確かめるってまさか・・・」
安原は不安な目でケリーの顔をうかがった。
「そうです・・・シールド圏内を行動できるのは、『かが』の航空隊しかありません」
問題は、天候を含む現地上空の状況が分からないことだ。極端に低温の場合、氷結が視界を遮り、飛行を困難にしてしまう。
「恐らく、飛行可能でしょう・・・これは異常な大気流動で、瞬間的な寒波が襲ったものと思います。しかし現在の温度は上昇に転じています」
キーナン博士の見解により、航空隊による調査飛行が決まった。
しかし、彼の言葉が意味する、恐ろしい事実にはまだ誰も気付かなかった・・・。




