初・対面
今回はリリネルト視点です。
旦那様から直々にお仕事を仰せつかってからひと月。 リリネルト・カロナルは、もう何年もそうしてきたように壁際に控えながら、敬愛すべき主が美しいカーテシーをしているのを見守っている。
天から糸で吊られているように背筋を正し、ご尊顔を盗み見てなどいないことを表すために軽く俯きながら半ば目を伏せる。 両手は身体の前で重ね合わせ、利き手を下にして敵意がないと示す。 呼吸は静かに、気配を消して、決して貴き御仁たちの歓談の邪魔にならないよう気配を消して。
しかし主の一挙手一投足には気を配り、些細な動きにもすぐさま対応できるように。
初めに聞いたときは「どうやってやるんだ、そんな矛盾したことの列挙を同時にこなすなんて不可能だろう」と幼心に思ったものだが、やればなんとかなるものである。 不思議と。
「―――この交流が、両国にとって良きものとなることを心から願っております」
「はい。 もちろん我がフェルートも、そうなるよう努めてまいります」
自己紹介、顔合わせとを締めくくる挨拶を聞き届けて、リリネルトがいつでも扉を開けられる位置に移動しようとしたその時だった。
「あぁそうだ。 ひとつ伺いたいことがあるのだが」
「はい、何でしょう」
何事もなかったかのように元の通りに立ち直しながら、本当に今思い出したらしく声を上げた金髪紅眼のフェルートの王太子に注意を配る。 どんな要求にも応えられるように様々な可能性を検証しながら続く言葉を待った。
「先ほど頂いた紅茶だが、とても美味だった。 どの茶葉を利用しているのか聞いてもいいだろうか」
「あぁそれでしたら、なあ」
リリネルトの祖国、ユーデリア皇国皇位継承権第一位であるサイゼル・ロン・ユーデリアに視線を向けられ、その紅茶を淹れた張本人であるリリネルトは深々とお辞儀をしながら答える。 90度にお辞儀したまま声を出すのはなかなか苦しいが仕方がない。 侍女ごときが隣国の、それも王太子殿下の顔を許可もなく見るなんて有り得ない。
「コロア山脈で育てられている茶葉の、最高級品でございます」
「コロア? 私も飲んだことがあるがここまで美味ではなかったような・・・」
「殿下、恐れながら申し上げますと、こちらの侍女はこと紅茶を淹れることに関して非常に優れているのです。 どのような銘柄のものを淹れさせても他の者が淹れたものよりも格段に美味しいのですよ」
「そうなのですか、セシリア嬢」
「はい」
セシリアがリリネルトを褒めちぎっているようだが、顔を上げることが出来ない上にいたたまれない。 仕事を認められたのだから誇ればいいと思わないでもないが、如何せんその自慢している相手が隣国の王族である。
(お嬢様。 あとでお話いたしましょうね)
そろそろ腰が痛くなってきたが、姿勢は一切崩さないままセシリアからいかにリリネルトの淹れるお茶が美味しいかを聞いている王太子を待ち続けていると、フェルート王太子、アルベルト・リン・フェルートの意識がこちらに向いたのが分かる。 次は何だろうという戦々恐々とした思いをおくびにも出さずにいると、ふと目の前に立たれた気配がする。
「面をあげよ」
「は・・・」
「構わぬ。 面を上げよ」
「は」
一度の声掛けで顔を上げてはならない。 これも侍女としての作法の一つ。
二度目の声掛けがあってから、くれぐれも失礼が無いよういつにもまして身体中に神経を張り巡らせながら顔を上げる。 フェルート王国の伝統に則り腰まで伸ばされた赤味がかった金髪と、フェルート王家特有の紅い瞳。 ぴんと背筋を伸ばすとその素晴らしいスタイルもよく分かる。 リリネルトも165センチほどと女性にしては長身だが、アルベルトは更に高いようだ。 180センチはあるだろう。
しかし物理的な高所から凄みを感じるほどに整った顔立ちに睥睨されても、リリネルトは一切表情を動かさない。 それに、僅かに驚いたような反応でアルベルトが眉を上げた。
「セシリア嬢が、君は大陸中の飲み物という飲み物に造詣が深いと言う。 まことか?」
「はい。 趣味が高じてのものですが、ユーデリア皇城の誰よりも詳しいと自負しております」
リリネルトは一歩も臆さずその後もやり取りを続ける。 こんな紅茶が好きなんだがあるかとか、この銘柄に合う茶菓子は何かとか、とにかくそんなやりとりをひたすら続ける。
(本当に、一介の侍女ごときに何故王太子殿下がここまで関心をお示しになるのか)
もしや、リリネルトがアルベルトの美貌に少しも反応しなかったからだろうか。 理由は、ごく単純かつ明快かつ贅沢なものなのだが。
(私が、美形慣れしているだけでございます)
公爵家の一人娘の筆頭侍女ともなれば、王城にあがる機会どころか王族に謁見することだって多い。
何だったら遊び相手として呼ばれることもあった。 妖精の如き容姿のセシリアは言うに及ばず、セシリアの兄も、ロマンスグレーなセシリアの父も、“社交界の薔薇”たるセシリアの母も揃いも揃って目の潰れそうな美形であり、ロイヤルファミリーも当然というか、全員がユーデル家の面々に勝るとも劣らないほどに容姿端麗なのだ。
(例えばそう、そこのユーデリアの皇太子殿下とか)
サイゼル・ロン・ユーデリア皇太子殿下は、ユーデリア史上最高の天才だと言われており、賢王と名高い現国王に続く名君になるだろうと期待されている神童であるだけでなく、見目も非常に麗しい。 ユーデリア皇族の証たる燃えるような深紅の髪に海の碧をした瞳という、非常に美しい色彩を持っている。 更には王宮魔導士と並べるほどの膨大な魔力を持っており、すらりと鍛えられた体躯から繰り出される魔法はドランゴンにさえ傷を付けるという。 そう。 才気溢れた、目がつぶれるほどの美男子である。
(継承権とか全く関係なしに、その美しさに心奪われたご婦人が誘拐を企てることも日常茶飯事だったというのですから驚きですよね。 美形というのも困りものということでしょうか)
サイゼル・ロン・ユーデリア皇太子殿下も含み、ロイヤルでノーブルな世界に身を置くリリネルトの周囲には美形が多い。 むしろ美形しかいない。 よって“目が潰れそうなほどの美形” 耐性が異常に高いリリネルトなのであった。
え、こんなことを考えていて大丈夫なのかって? 無論、大丈夫だ。 並列思考は侍女の必須能力である。 主のご要望を丁寧に承りながらそれを実現するための段取りを同時に考えられることは、有能な侍女になるための第一歩だ。 何年も侍女をやっていると自然とできるようになる。
(まあそれを高貴な御仁と会話している現実から眼を逸らすために使っているのはいけないことなのでしょうが)
とまあそんなことを考えながら矢継ぎ早な質問のすべてに答えて、どのくらい経っただろうか。 そろそろ次の公務の時間が心配になってくる頃ようやく、アルベルトの側近が口を挟んできた。
「殿下、そろそろお時間です」
「む、もうか」
「もう、と仰いましても、15分ほどお話しされておいででしたよ」
「そうか。 楽しいひと時であった。 名は? 何と申す」
「申し遅れました。 リリネルト・カロナルと申します」
「貴族院には来るのか?」
「我が主の筆頭侍女として参ります」
「なるほど。 次に会うのが楽しみだ」
「勿体なきお言葉、身に余る光栄で御座います」
満足げに微笑む気配を深々と頭を下げた故に上向く背中で感じながらリリネルトは少々疲労を覚えていた。 他国の要人と長々と会話するのは流石のリリネルトでも疲れる。
(短時間で、随分と気に入って頂けたようですね)
相手が誰であろうと自分の仕事を褒めてもらえて悪い気はしないし、なんなら嬉しい。 けれど、それが隣国からやって来た要人ともなると話は別なのだ。 大事なことは二度三度と言う主義だ。
やっぱりというか眉目秀麗なアルベルトの側近と連れだって出ていくサイゼルを、あくまで顔合わせの体でここにいたセシリアと見送りながらリリネルトは内心でため息を嚙み殺した。
「・・・随分と、あなたを気に入って下さったようね!」
「お嬢様・・・」
声は荒げない。 表情にも出さない。 ただじっと見つめる。 リリネルトの侍女想いの主を、銀月に似た瞳で一心不乱に、じぃと見つめる。
「・・・あなたの素晴らしさを、アルベルト殿下にも知って頂きたかったのよ」
「・・・」
見つめる。 視線は逸らさない。 絶対に負けない自信がある。 ともすれば不敬とも咎められかねない行為であったが全く気にせず、見慣れた瑠璃色を焼き付けるように視線を絡めとり続けた。
「・・・今後とも、殿下のもとに堂々とあなたを連れだって行ける口実が欲しかったの!」
「お嬢様は、まったく・・・」
先に根負けしたのは、勿論セシリアだ。 先程までの完璧な淑女の仮面が脱げかけている。 いじけた仕草でリリネルトから視線を逸らすセシリアは言うまでもなく愛くるしいが、ここは一応王城である。 隣国の要人を招き入れ、自国の王太子と有力貴族のご令嬢を置いておけるくらいに機密性が高く安全な部屋ではあるのだが、そう言うことでは無いのが貴族というものだ。
(お屋敷に帰ってから、いえお稽古の予定もありますし馬車の中にいたしましょう。 注意しなくては)
微かに無表情が崩れたリリネルトにその考えを察したのか、セシリアも淑女の仮面を被り直して言った。
「あなたの素晴らしさを、アルベルト殿下にも知って頂きたかったのは紛れもない本心です。 しかし、ユーデル公爵家の令嬢であろうとわたくしとて年頃の娘ですから、王太子殿下に何度もお目にかかるとなれば重圧を感じてしまいます。 同伴することで、重圧によって主が失礼をすることを防ぐのも、侍女の立派な役目でしょう?」
「・・・承りました。 お嬢様」
「えぇ、頼んだわよリリネルト」
完璧な立ち居振る舞い、隙のない微笑み。 大国ユーデリア筆頭公爵家令嬢の名に恥じない貴族らしい弁を揮う頭の回転と切り替えの早さ。
(本当に、立派にお育ちになって・・・)
姉、妹と慕い合っていた幼き日と現在のセシリアが重なる。 感傷に浸りそうになるが職務中と切り替えて、リリネルトは主を無事お屋敷まで送り届けるべく応接室のドアを開けた。
まだ主要人物がリリネルトのご主人様とその旦那様しかまともに出てきてない・・・(焦)
あと、あともう少しお待ちを!