聖騎士からの要請
クロエに連れられて来たのは左右に扉が一定の間隔で並んでいる石造りの長い廊下だった。
廊下は一定間隔で明かりが灯されており、窓は見当らないものの、十分な光量は確保されている様だ。クロエは迷い無く一つの扉の前に歩いていき
ーコンコンー
「こちらがグレースお姉様のお部屋ですわ。フィーナ様、ちょっと」
クロエはノックをするとフィーナに自分の所へ来る様手招きしてきた。
(……?)
クロエに手招きされるままフィーナは扉に近付いていく。クロエの意図が分からないフィーナの頭の中は疑問符で一杯だ。
そんなフィーナにクロエが何か話す様にと身振り手振りで合図をしている。何も分からないフィーナは促されるまま
「こ、こんにちは。フィーナです。突然ですが本日お伺いさせていただきました!」
言われた通りの行動を終えたフィーナがクロエをチラ見すると、彼女は満足そうな笑顔を浮かべている。
(……?)
やっぱりクロエの意図が分かっていないフィーナが首を傾げていると
ーガチャー
グレースの部屋の扉が室内から開けられた。扉が開いた瞬間を見逃さずクロエが室内に特攻していく。
「じゃーん! フィーナ様だと思われまして? クロエちゃんでしたー! お姉さまったら何度も驚かれてえええええーっ!」
勝ち誇っていたクロエの口調が一転絶叫へと変わった。一体何事かとフィーナが中に入ると、そこには扉を開けたであろうアルヴィンと躊躇無く彼に抱きついているクロエの姿が目に飛び込んできた。
あまりに突然の事にクロエとアルヴィンは見つめ合っている。どうやらこの部屋はグレースの執務室の様だ。
部屋の中央にはテーブルとソファーが置かれており床には絨毯が敷かれている。
その奥には重厚な机が置かれておりその奥でグレースが椅子に腰掛けてクロエを見ていた。
クロエの一連の行動がよほど面白かったのか、グレースは笑いながら
「アルヴィン、クロエを丁重にソファーまでエスコートしてやってくれ。私の大事な妹だ、よろしく頼む」
クロエに抱きつかれたままのアルヴィンはその体勢のままクロエと共にソファーまで移動し、固まったままのクロエを強引にソファーに着席させた。
とても丁重なエスコートとは言えない力技だったが、グレースは特に気にしていない様だ。
「アルヴィン、お茶の用意を頼む。四人分だ」
「わかりました、隊長!」
グレースの指示にアルヴィンは元気に部屋の外へと出て行った。一方のグレースはソファーの場所までやってくるとフィーナに向き直り
「お待ちしておりました。衛兵に止められたりはしませんでしたか?」
グレースが言っているのは城の入り口での出来事の事だろうとは思う。
フィーナがメイド服を着た金髪ポニテのグレイの絵と比較された上で通って良しとされた複雑な印象の場所……。
(…………)
あの絵の破壊力は並の感性では引き出せないだろう。誰が制作した絵なのかは分からないが……
「え? ええ、比較的すぐに通して頂けました」
フィーナが苦笑交じりに答えると
「……良かった。フィーナ殿の特徴をなるべくわかり易くと考え私が作ったのです。うまく伝わっていた様でなによりです」
どうやらあの壊滅的な前衛芸術を生み出した主はここに居たらしい。
(画伯……)
フィーナはありのままの感想を心の中で口にした。確かに文章で表すより図で示した方が解りやすいのは自明の理である。
百聞は一見にしかずという言葉もあるくらいだ。確かにその判断に間違いは無い。問題なのはその画力であって……いや、これ以上は何も思うまい。
フィーナは心の叫びを胸の奥にしまい込みソファーに腰を下ろした。クロエの隣に座ったフィーナは頬を赤く染めてぼーっとしたままのクロエの様子が気になった。
「……クロエ様?」
フィーナはクロエの眼の前で手を振って彼女の反応を見る。クロエは部屋の中の一点を見つめたままぼーっとしている。
「放っておいてやって下さい。クロエは姉妹ばかりの家庭の中で育ったので男性に免疫が無いのでしょう。」
軽く笑いながら言葉を続けるグレースの表情は慈愛に満ちている。
「それに、あの馬鹿は口さえ開かなければ中々に精悍ですから」
グレースがそんな話をしながらソファーまでやってくると、フィーナ達の向かいに座った。そこへ、紅茶を入れたアルヴィンが戻ってきた。
「グレース隊長、お持ちしました」
グレースは戻ってきたアルヴィンに
「ご苦労、お前もここに座れ」
と自身の隣に座らせる。グレースのアルヴィンの扱いは騎士見習いの部下に対するものでは無く、姉が手間の掛かる弟に対するそれであった。
アルヴィンを隣に座らせたグレースは彼が運んできた紅茶を手にし
「フィーナ殿。わざわざご足労頂きありがとうございます。貴女に来て頂いたのには理由がありまして……」
彼女がフィーナを王城に呼んだ理由を話し始めた。
話題はフィーナ達も王都にくる道中で通過した南の森についての話だった。
グレース達が南の森を調査した結果、一帯には相当数の遺体が放置されていたらしい。
また、森の中に古代の地下遺跡がありそこも調査したところ、そこにも数体の遺体が残されていた。
また、生活感の見られるスペースもあったらしく、もしかしたら死霊術師が拠点としていた場所だったのかもしれないとの事。
そして、それらの負の要素が周囲の森に悪影響を撒き散らしている為、少しの浄化では焼け石に水としかならず根本的な解決にはならないらしい。
「……そこで近い内に王女様や教皇様、大神官様方が現地に赴き大々的に南の森一帯の浄化を執り行おうと言う話が上がっているのです」
聖職者達による迷える魂達に対する鎮魂の儀……確かにそれくらいやらなければあの森の淀んだ空気は一掃されないだろう。
それに輪廻の輪から外れてしまった魂達を天界に還して貰えるのは天界としても非常に有り難い話ではある。
しかし、その話と自分に何の関係があるのだろう?
フィーナには自分がその話を聞かされている理由が分からなかった。
事件の当事者とは言え、民間人にわざわざ事の顛末を説明するのだろうか……フィーナがそんな事を考えていると
「そこで、フィーナ殿にも現地に赴いて頂きたいのです。セイクリッドアローを一度に複数撃てる貴女は相当に神に祝福されているに違いありません」
グレースは眼を輝かせてフィーナを見てくる。セイクリッドアローを複数撃てるのがそんなに希少な事だとは思っていなかったフィーナは自身の言動を少し後悔していた。
しかし、聖職者が多数参加する式典であるなら自分が目立つ事もないだろう。
それに多数の魂を天界に還すのは天界にとっても有益な話であり、それに貢献するのは女神としての義務とまでは言わないまでも、人任せにして褒められる話では無い。
「わかりました。なんとかお仕事に都合をつけて参加出来る様にします」
フィーナが参加の意志を示すと
「ありがとうございます! 鎮魂の儀式の日取りが決まりましたら追ってご連絡致します」
グレースはフィーナの判断を喜んでくれた。フィーナが参加する事がよほど嬉しかったらしいグレースはやや興奮気味に
「フィーナ殿にも来て頂ければもしかしたら本当に神が降臨なされるのかもしれません!」
この異世界の担当女神はレアであり、嬉しそうに神について語るグレースには少々の申し訳無さを感じざるを得ない。
「王女様や教皇様方もおいでになられるのですからきっと天にも祈りが届く事でしょう!」
グレースの言葉の中に不穏な言葉が混じっているのをフィーナは聞き逃さなかった。
「……はい? 神様が降臨って?」
フィーナの言葉にグレースが説明を忘れていたと言わんばかりに陳謝してきた。
彼女の話によるとこの世界ではあらゆる時代において神々の目撃例が記録として残されていると言うのだ。
特に著名な聖職者が大勢で救いを求めた時によく現れるらしい。
それも、ただの言い伝えレベルの話ではなく現在でも人より長命な種族の間では事実として語り継がれていると言うのだ。
「もしかしたら私もこの目で神を拝見する事が出来るのかもしれません! とても楽しみです!」
神に仕える聖騎士として神を実際に見るというのは相当な奇跡なのだろう。
(目の前にも居るんですけどね、神様……)
フィーナはやや複雑な気持ちでグレースを眺めるしかなかった。