学生生活の始まり
フィーナの魔法学院の生徒として過ごしていく生活も一週間が過ぎていた。プロムナード王立魔法学院は王都の中に建てられており名だたる貴族の屋敷からは十分に通学出来る距離圏にはある。
フィーナやタチアナ、その取り巻きなどは自分の屋敷からの通学が可能だが、パトリシアの様な身分の低い貴族の家庭やアリアの様な平民出身の生徒の場合は学院寮に入らなければならない。
その学院寮も、お世辞にも快適とは言えず学院寮に入るだけで通学組からは蔑まれるといったカースト制が形成されてしまうという悲しい現実が発生していた。
通学組もどちらかと言うと徒歩で通学するパターンが殆どでありフィーナの様に毎日馬車で送り迎えを行うというのは、少なくない額の学院への寄付が必要となっている。
馬車での送り迎え自体は一般的な貴族であれば金銭的負担は無いも同然のレベルではあるのだか、それらの馬車を無制限に受け入れてしまうと馬車が大渋滞を起こしてしまうし交通法規のほの字も無い異世界では交通事故などの誘発にも繋がってしまう。任意保険など存在しない異世界でもし交通事故を起こしてしまったらとんでもない事になる。
その為、学院への馬車通学は一部の選ばれた者達の特権となり、皆が羨むステータスの一部となっていたのである。また、馬車そのものにも違いがあり
ーガラガラガラガラガラガラガラガラー
「おい、あれ見ろよ。新型だぜ」
「ありゃ十六馬力のバケモンじゃねーか」
「余裕の音だな、馬力が違うぜ」
「あれ、サスにも手が入っててコーナーの安定性と乗り心地を両立してるらしいぜ」
この様な会話が主に男子生徒の間で繰り広げられる位には馬車ごとにも明確な性能差があり、文明レベルと世界観こそ違えど年頃の男子高校生に当たる者の会話は大して違いがない。
ーガラガラガラガラー
次にフィーナが乗る馬車が現れた。先の十六頭の馬を従える大馬力糞燃費の一時代のアメ車の様なさっきの馬車と違い、六頭の馬に繋がれた平均的な貴族用の馬車であり街乗りであれば馬力に余裕もある比較的一般的な馬車である。
「あいつってアレだろ? エルフの偉いさんの」
「ああ、王子様の婚約者らしいぜ。その割には普通だよな」
フィーナを乗せた馬車はあまり彼等の注目を集める程に目立った特徴は無いかの様に思われた。だが
「いや、違うぞお前ら。あんな形のリーフスプリングは見た事ねぇ。それに馬の何頭かも昨日と入れ替わってる。見た目より手が入ってるぞ」
どこの世界にもオタク気質な人間は居るもので、見た目より乗り心地と稼働率を優先しているフィーナの馬車の特徴を目ざとく見つけていた。
「それじゃフィーナちゃん、また夕方ね〜♪」
今日も貴族夫人であるレアに見送られてフィーナは入り口のロータリーから校舎へと向かう。
(ママ、いつまで見送りに来るつもりなんだろ……)
窓ガラスを開けて手を振る母親であるレアに苦笑しながら、フィーナは過保護な母親の事を考えていた。今回の異世界では、赤ん坊から育てられた状態のフィーナには既存の女神としての価値観や考え方は残っていない。年齢的には自立心と言おうか、そろそろ親の過保護から脱却したいと考え始める年頃ではある。
送り迎えでも母親毎日同伴はまず無い。大抵は執事や専属メイドの仕事である。フィーナに関してはレアの趣味と欲望が優先されて毎日の通学で母親同伴が続けられていた。
たまに、フィーナ専属メイド役であるノルンがレアに苦言を呈す事もあるにはあるのだが、どこ吹く風のレアは自分の欲望に忠実な毎日を続けているのであった。
教室では四大元素魔法を基盤とした時間割で授業が組み立てられている。国語数学理科社会の様に火水風土の魔法それぞれを専門分野に見立てそれぞれが独立して評価される仕組みとなっている。こうなると一芸特化の人材はどうしても評価が頭打ちになり、どの教科も満遍なく出来る人間の方が評価は高くなる。
ある程度万能に物事をこなせた上で一芸特化として専門的に技術を磨いていく人物が重用されるので先のダブりの先輩の様な、国語は満点だが他は全て赤点みたいな人材ではお話にならないのである。
そんな教育方針でありながらダブりの先輩が退学とならないのは彼が非凡な才能を有しているからであり、今の彼が最優先でしなければならな事はおもしれー女とか言ってイキり散らかす事ではなく苦手科目の赤点からの脱出である。また、魔法の専門科目は四大元素魔法だけでは無く四大元素魔法以外の魔法は別枠の科目として教科が設けられている。図画工作や音楽、道徳といった位置付けの科目である。
魔力をそのまま魔法として具現化させるマジックミサイルやマジックシールド等も別科目であり、これは魔法力学と合わせたカリキュラムで構成されている。
また、神様の力を行使する神聖魔法や悪魔の力を借りる闇魔法は一般教養みたいな形でざっくりと授業が行われている。こちらは普通に魔力を消費して万人が使用できる魔法では無い為、授業として成り立たないという事情がある。神に対する信仰、悪魔に対する忠誠。それらを根源とする魔法は学院の趣旨から外れるため別段詳しく教育したりはしていないのである。
基本的に貴族家の子弟には幼い頃から義務教育レベルの教育が施されているのが常であり、学院の教育が始まったばかりの今の段階で周囲から注目されたりする様な事はあまり無い。火球の的当ても常識的な威力で撃つのが普通であり威力を調整しないで吹き飛ばしてしまう様な輩は無配慮で浅はかな人物とみなされ教職員からの評価はダダ下がりになってしまう。命中率を見る実技で威力を高めても何の意味も無い。むしろ学校の施設を破損させたとして反省文対応が是であろう。




