補習授業
酸素についての講義が終わった後は何故か冒険者としての働き方の話へと話題が移っていった。
発端としては洞窟最奥での要救助者への対応についての方法論だったのだが、現場に魔物が居た場合はどうするのか等様々なシチュエーションでの対処法について会話が始まっていたのだ。
「やはりゴブリンに油断は禁物ですよ。色々戦ったりしましたけど彼等は総じて狡賢いですからね」
フィーナは自身が悪魔の代行している事をすっかり忘れて冒険者時代の出来事をセシル達に話していた。
普通に考えれば魔物達の信仰の対象でもある悪魔がゴブリン退治の話をするのはおかしい話なのだが、フィーナがあまりに自然に話すのでセシル達もそういうものと変に納得してしまっていたのだ。
「待ち伏せや騙し討ち、人質取ったりはゴブリンの常套戦術ですからね。グループによっては迂回戦術まで使ってきますから、あなた方は特に注意が必要です」
ゴブリンにはメスの個体が極端に少なく、繁殖のために人間や他の亜人族を攫う事が往々にしてある。 特に冒険者をやっている女の子などはゴブリンに注意が必要なのである。
「前衛がセシルさんとミーシャさん、後衛がクリスさんとエイミさんであるのなら要となるのはエルナさんになります」
「え? わ、私?」
フィーナにいきなり話の矛先を向けられたエルナは戸惑った様子を見せた。
「前衛の相手は剣を交じ合わせている敵だけでは無く、その後ろにいる敵の後衛も脅威となります」
フィーナほ自身の経験を思い出しながら、似たような立場のエルナに講義を続ける。
「ゴブリンで言えば投石器持ちや短弓持ち、中にはソーサラーも居たりします。それらを迅速に索敵し始末する。それがあなたの役目です」
「先程の話とリンクしますが森林などの見通しの悪い地形では敵の迂回戦術にも注意が必要です。いつの間にか後ろに回られたりなんかしては目も当てられませんからね」
冒険者のスカウトのポジションはフィーナも長い事努めていた為かついつい長話になってしまう。流石に経験を積んだ今となってはただのエルフィーネからの受け売りというフワッとした程度の説得力では無い。
「それからクリスさん。後衛から敵を撃つとすればどんな魔法を使いますか?」
今度は魔術師であるクリスに話を振ってみた。
「え〜と、マジックアローとか、ファイアーボルトとか?」
クリスから返ってきた答えはこの世界でも初歩的な攻撃魔法である。
「それでは火の玉の様な自重で落下していく様な魔法は使えますか?」
フィーナの問いにクリスは無言で頷いて答える。
「それでは前衛の頭を飛び越す様に曲射で撃つ事は出来ますか?」
「でも、逃げられちゃったら当たらないんじゃ……」
クリスは思い付いたであろう疑問点を口にした。
「敵の注意を上方向に引ける利点があります。隙が出来ればエルナさんが狙いやすくなりますし、前衛への圧迫も減らせます。あくまで手段の一つです。覚えておいても損はありませんよ」
ここまでは別異世界の魔術師イレーネの受け売りであった。思えば彼女は攻撃魔法を撃つのが大好きだった。それだけにいかに有効に撃つか、敵に打撃を与えられるか研究熱心でもあった。最後に会った時は引退して一児の母となっていたが……元気にしているだろうか?
「次にエイミさん。前衛のミーシャさんが倒されてしまいました。あなたならどうしますか?」
今度は聖職者のエイミに対しての講義である。
「え? 助けに行きますけど……」
エイミは当然と言わんばかりに自分の責務に忠実な答えを口に出した。
「その前に。安全の確認です。焦る気持ちは分かりますが前衛が倒されてしまう状況です」
フィーナの指摘にエイミは『あ、そうだ……!』みたいな顔をしてみせた。
「 可能であれば安全な場所まで負傷者を運んでから治療を開始して下さい。では、エイミさん一人で運ぶ練習をしましょう」
フィーナはそう言うと応急時の一人用の移送方法実技訓練を始めるのだった。
移送法の訓練が終わる頃には日が暮れ始めてきてしまっていた。しかし、みっちり訓練と解説をしたお陰か、フル装備のセシルですらエイミ一人で安全圏まで迅速に退避出来るまでになっていた。
「どうしても避難が無理な場合は諦める……最悪、一人で離脱して近隣の村や街に助けを呼びに行く選択も考えておかなければなりません」
訓練を終えて息を切らしているエイミに対しフィーナは心情的に辛い選択肢がある事を伝えた。
「あなた一人になってしまったらゴブリンに限らず大抵の魔物には勝てません。時には一人で逃げなければならない決断を下す勇気が必要となる時もあります」
冒険者は新人の行方不明者が多い。どの異世界においてもである。ベテランであっても未帰還となる事案が珍しくない異世界で新人は生きて帰ってくるだけでも大戦果と言える。
「厳しい事を言えば、今回私達に捕まる前にエイミさんだけでも逃げる決断をすべきでした。立ち向かうだけが戦いではありません。生きて再起に掛けるのも戦いなのです」
フィーナは講義を締めるとセシル達を護送車に乗る様に促した。日がすっかり暮れた頃、台車に乗ってシトリーの資料を眺めていたフィーナにセシル達が声を掛けてきた。
「先生? 先生のお名前をお聞きしたいのですが……失念してしまいまして」
「私ですか? フィーナと申します」
何の躊躇もなく自然に答えたフィーナにセシルは
「あ、そうなのですね。失礼しました……」
それだけ言うと小窓を閉じてしまった。
(リリス様〜、あの……そろそろポテチ欲しいんですけど…… リリス様? もしも〜し?)
グリンブルスティからの念話にフィーナは今更気付かされてしまっていた。
(そうだ……! 私は悪魔のフリをしてたんだった……!)
今更ながらに気付いてしまった自身の不覚に後悔し頭を抱えながら平原の夜は更けていくのであった。




