被害者
フィーナはややフラフラしながら屋敷の廊下を歩いていた。
つい今し方アニタのお小言からようやく開放されたばかりである。
洗濯場に連れて行かれて正味三時間弱、正座させられたままだった。日中の玄関前での失態に始まり普段のフィーナの仕事内容に至るまで……これまで気になっていたであろう点を事細かに指摘されてしまった。
勤務態度や仕事の質などは特に問題は無かったのだが、性格的に慌てやすい点など実例付きで注意されてしまった。
不測の事態に弱い……慌てやすい性格なためミスが雪だるま式に大きくなっていく危険がある等、アニタには本気で心配されてしまっていた。
自分ではなるべく落ち着いて冷静に……を心掛けているのだが、性格的なものは中々に矯正は難しい。
(…………)
ガチのダメ出しにフィーナもやや本気でヘコみ気味である。
おまけに正座の足の痺れが尚も継続中である。キュアを使用すれば痺れも治まるのだろうが、こんな事で神力を消費したくは無い。
キッチンに立ち寄りアルフレッドの夕食をワゴンに載せ部屋へと急ぐ。
今日の食事も固パン・ポトフ・紅茶と、使用人の食事と大差無い献立である。
フィーナが追加でカットフルーツの簡単なデザートを追加するのも当たり前になってしまった。
「失礼します。お食事をお持ちしました」
フィーナはアルフレッドの部屋に入り、クロスを掛けたテーブルに料理を並べていく。
アルフレッドを椅子に座らせスタイを掛ければ食事の準備は完了である。
「フィーナさん? なんか元気ないみたいですけど……だいじょうぶですか?」
アニタのお小言の疲れが顔に出てしまったのかと自分の顔に手を当ててみるが……反射的にそうしてしまっただけで手を当てて分かるものでも無い。
「あ、なんだが耳が元気ないみたいで……」
アルフレッドはフィーナの長い耳を指差し、身振り手振りで教えてくれる。
フィーナは今までまるで自覚していなかったが、エルフ耳は意外と感情や体調に左右されるものらしい。
ちょっと触ってみたが……確かに、いつもより少し垂れ下がっている気がする。
「だ、大丈夫ですよ。ご心配おかけして申し訳ありません」
フィーナは笑って誤魔化そうとするものの、ダメ出しのヘコみに加えて日々の労働の積み重ねもある。
さすがに疲れているのかもしれない。女神と言えど疲れ知らずの超人では無い。
アルフレッドが食事を始めるとフィーナはワゴンの側に立ち、いつでも紅茶のおかわりを提供出来る位置に待機する。いつもの定位置である。
しかし、今日はおかわりの声も掛からず、アルフレッドの食事自体も短時間で終わってしまった。
「それでは食器をお下げします」
フィーナは食器を下げクロスも綺麗に折り畳むとワゴンに収納した。最後に座っているアルフレッドの後ろに回りスタイを取り外す。
「フィーナさん? きょうの夜は本は読まなくていいです。早く休んでください」
アルフレッドがこんな事を言い出した。フィーナがアルフレッドの世話をする様になってからというもの彼の勉強も兼ねて、様々な本を寝る前に読み聞かせるのが日課となっていたのだが……
「ご迷惑……でしたか?」
「いえ、なんだか疲れてるみたいでしたから……ぼく、フィーナさんに早く元気になってもらいたくて……」
フィーナの問いに答えるアルフレッドだが、後ろに立っているフィーナには彼がどんな表情をしているのかを知る事は出来ない。
「分かりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます」
フィーナはアルフレッドに一礼をし、部屋から出ようとした。その時
「ふ、フィーナさん! あの……突然いなくなったりしないですよね? ずっとここにいてくれますよね?」
意を決した様に出されたアルフレッドの声。もしかしたら昼間のクロエと交わした会話の中でアルフレッドなりに何かしら思う事があったのかもしれない。
「……はい。アルフレッド坊ちゃまが……」
途中まで言い掛けてフィーナは言葉を止めた。少し考えた後で出た言葉は
「アルフレッド坊ちゃまが私の事を不要と思われるまで……お側に居させて頂きます」
正直な所、こればかりは保証も約束も出来る事では無い。天界からの一時的な呼び出しなどなら一時的に離脱する等対処は可能だろう。
しかし自分の存在が歴史に悪影響を及ぼす事が明らかな場合……歴史の大きな改変に繋がる場合など……。
また、単純だが自分が命を絶たれてしまう可能性も決してゼロでは無いのだ。
フィーナの言葉もただの気休めとなってしまうかもしれないが……
「わかった、……約束だよ?」
アルフレッドも納得してくれたらしい。フィーナの思惑はどうあれ嘘では無いという事は分かってくれたのだろう。
フィーナはアルフレッドの部屋を後にするとキッチンにて食器を片付け、洗濯物をカゴに放り込み一日の労働の垢をお風呂で洗い流し、ちょうど良い湯加減を堪能した後、無駄無く使用人用の寝室に辿り着いたフィーナは迷うことなくベッドに潜り込んだ。
もちろんメイド服そのままでは無く簡素なネグリジェに着替えてからであるが。
眠る必要が無い女神とは言え、暖かい布団で横になるというのは何物にも代え難い至福の時間である。
寝る必要が無いとは分かっていても、暖かい布団の誘惑に抗い続けるのは難しい。
フィーナの意識は徐々に微睡みの中へと沈んでいくのだった。
どのくらい時間が経っただろう……?なにか少し前に物音の様なものが聞こえた気がした。
それに圧迫感のようなものも感じる。フィーナが目を開けると目と鼻の先の距離に前髪パッツンの男の顔。
暗い為表情はよく分からないが、締まりの無い顔はしていただろう。
有るはずのない場所に居るはずのないモノを見たフィーナの行動は素早かった。
ーグググググッー
自由の効く両手で男の顎を全力で押しのけつつ、片足も使い男の腹部も同じ様に自身から距離を離す様に全力で押し続ける。
男は顎に当てられたフィーナの手をどけようとするが、自重を支えられている格好になってしまった為それも難しい。
こうなると自分の力で自分を支えなければならないが腹をフィーナの足で押されている為、不安定なベッドの上で膝立ちすら維持できなくなり始めている。
ほぼ密着だった状態から十分に間隔が取れたフィーナは
ードスッー
男の腹をもう片方の足で蹴り飛ばした。
「うふん!」
男はドスンと大きな音と共にベッドから勢いよく転げ落ち、それ以上動かなかった。
大きな音と振動に目を覚ました他のメイドが灯りを付けると
「アルス様……!」
灯りを付けたメイドが声を上げる。この屋敷の長男アルスが使用人の部屋に乱入してきた様だ。
もちろん間違って入ったなどでは無く、明確な意図を持って入ってきたのだろう。
もし、もう少し対処が遅かったらろくな抵抗も出来なくなりベッドの上で組み伏せられていたかもしれない。
灯りを付けたメイドは大慌てで部屋の外へ出て行ってしまった。おそらく誰かしら呼びに行ったのだろう。
フィーナは床で伸びているアルスに近寄り状態を見る。特に怪我も無く気を失っているだけだ。
(…………)
フィーナの行動は正当防衛であり何ら咎められる理由は無い。
しかしこの世界は刑法が発達した近代世界では無く貴族の支配する中世である。
貴族に手を出したとなればタダでは……フィーナが先行きに不安なものを感じていると
「フィーナせんぱ〜い、じしんですかぁ〜……ニャ。ムニャムニャ……」
ミレットが起きたかと思ったらすぐまた寝てしまった。彼女のマイペースさが時々羨ましく感じる。
今後、自分がどうなるかは分からないが……自制の効かない子供に育ってしまったアルスはある意味被害者なのだろうとは思う。
あれこれ考えても過ぎてしまった歴史はもう取り返しが付かない。しかも女神であるフィーナが関わってしまった以上、生半可な改変では歴史を変える事は出来ない。
(今は……何も出来ませんね……)
どうする事も出来ず、流れに身を任せる以外無いだろうと覚悟を決めるフィーナだった。