昔話
クラウス達がオーウェン家を訪ねてきたその翌日、フィーナはアルフレッドが終えた食器を運んでいた。
「ふんふ〜ん♪」
ワゴンを押しながらフィーナが鼻歌交じりに廊下を歩いているとメイド長のアニタに呼び止められた。
「アルフレッド様の朝食を終えたら、客人達に朝食の準備をして頂戴。使用人達と同じメニューで良いですから」
クラウス達とジェシカ奥との雇用契約を巡る話し合いは本日に持ち越しとなったらしく、話が纏まるままでは客人として泊まる事になったらしい。
報酬について一歩も引かないエルフィーネに対し、極力費用を抑えたいジェシカ奥との話し合いは今後も不調に終わるだろうとの事。
基本ケチなジェシカ奥だが、それより何より彼女は世間体を気にする。
あんなのでも歴史上の英雄であるエルフィーネにはあまり強くは出られないらしい。
「そういう訳だからお願いね。あなたと言い客人のあの娘といい……エルフというのはつくづく面白いわね」
独り言の様に呟くとアニタは去っていった。今日はこれからジェシカ奥と長男のアルス、クラウスの三人が連れ立って王都へ向かうのだそうだ。
クラウスの学歴が本当かわざわざ王都にどうか確かめに行くらしい。あのジェシカ奥と一緒の馬車旅とは御愁傷様でございます。
(え〜と……)
アニタからの指示通りフィーナがキッチンに戻ると、二人分の料理がすでに準備されていた。
固パンと野菜スープにチーズが一欠……この世界では一般的な朝食である。
飲み物は朝から酒という訳にもいかないのだろうが、よりにもよってただの水である。
(仕方ないですよね……)
これら朝食を載せたワゴンと共にフィーナは客間に向かう。
「おはようございます。朝食をお持ちしました」
ーコンコンー
フィーナは客間のドアをノックし声を掛け中に入る。部屋が違う事を除けば彼女にとってはいつものルーチンである。
しかし、客間の二人にとっては新鮮なものと目に映ったらしい。
「あ……おはようございます、フィーナさん」
と、驚いた表情のクラウスに
「貴女がそんな事してるの、なんか……意外」
こちらは鳩が豆鉄砲でも食らった様な顔をしたエルフィーネ。
慣れた手付きで料理を並べ終えたフィーナが二人に声を掛ける。
「どうぞ、ごゆっくり」
やや、他人行儀とも取れるがフィーナは仕事中である。ワゴンと共にそのまま、部屋を出ようとする。
「あ、ちょっと。私、ここで何してりゃいいの?」
とはエルフィーネ談。そういえば彼女については何も聞いていない。
クラウスは王都に向かう事になるだろうからジェシカ奥達の準備が出来次第声が掛かるだろう。
「客間で寛いでいれば良いのではないでしょうか?」
フィーナは思った事をそのまま口に出した。しかし、誰も居ない客間に一人残されるというのは至極退屈であろう事は想像に難くない。
かといってフィーナがエルフィーネの話し相手になる訳にもいかない。
彼女にはここで大人しくしていて貰えれば何も問題は無いのだが……フィーナはふとある事を思い付く。
「エルフィーネさん、後で貴女の昔話を聞かせて頂きたいのですが……よろしいですか?」
フィーナの提案が意外だったのかエルフィーネはキョトンとしている。
「昔話? どのあたりの?」
彼女はエルフ故に長い事生きているせいかフィーナの言う昔がどのくらい前の事か見当も付いていないらしい。
「エルフィーネさんが世界を救われた時のお話です。その辺りの話に興味を持っている子が居るんです」
フィーナが言う興味を持っている子とは当然アルフレッドの事である。
フィーナが朗読で本で語り継がれている内容を読み聞かせるより、実際の当事者に話を聞いた方がより面白いはずだ。
「まぁ、いいけど……?」
エルフィーネはチーズをかじりながら答える。
「それでは、後でお声掛けしますね」
と、フィーナは客間を後にした。次の行き先はアルフレッドの部屋である。人見知りな彼にエルフィーネを会わせるに当たり突然では不安がある。
彼に対しては事前に説明しておいた方が安心だろう。
「アルフレッド坊ちゃま、失礼します」
ーガチャー
フィーナが部屋に入ると椅子に座っていたアルフレッドが反応する。
最近、彼はフィーナを見掛けると嬉しそうな反応を見てくれる様になった。
毎日顔を合わせているせいか流石に慣れたのだろう。
「アルフレッド坊ちゃま。本日はこちらにお客様をお連れしてよろしいですか?」
お客と聞いて少し不安そうな表情を覗かせる。
しかし、客人が件の英雄譚の生き残りである事をフィーナが説明すると、興味津々とした表情へと変わっていく。
午前中から午後にかけてエルフィーネにお願いすれば大丈夫だろう。
その間ならフィーナも仕事の合間に二人の様子を見に来る事が出来る。
「それではこちらに本を置いておきますね」
フィーナ自身の収納空間からアルフレッドの本を取り出しテーブルに置く。
他に以前購入した神話に関する本も置いていく事にした。
フィーナにとっては特に深い意味など無く、ただのついでのつもりであった。
「それでは失礼します。何かありましたら例のベルを鳴らしてくださいね」
そういえばアルフレッドに渡したベルだが、あまり鳴らされた記憶が無い。
一〜二回位申し訳なさそうに呼ばれた事があった位である。
食事は毎回フィーナが運んでいるし、夕食後の読み聞かせも毎日の様にしているので使う必要が無いのかもしれないが、万が一という事もある。
アルフレッドに何かあればフィーナはすぐに駆けつけなければならない。
彼が前世の記憶を取り戻す事を防ぐのが彼女の本来の目的なのだから。
とりあえずエルフィーネの食事が済むまでは話が進まないので、自身の仕事を片付けておくべきだろう。
本日の使用人達の洗濯物を掻き集めて洗い場まで持っていく。この時点ですでに一時間が経過していた。
(そろそろ大丈夫ですかね……)
フィーナは二人の様子を確認するため客間へ向かう。
(あ……!)
彼女が客間へ続く廊下を歩いていると屋敷の入り口から王都へと馬車が出発するのが見えた。
「いってらっしゃいませ!」
見送るメイド達の誰もが満面の笑みである。この笑顔は決してジェシカ奥が慕われているからではない。
稀にしか無い彼女の外出を喜んでいるだけなのであろう事は想像に難くない。
フィーナと違って彼女らは四六時中ジェシカ奥と顔を突き合わせるしかなく、いびられてもいるのだろうから心中察するに余りある。
「失礼します。お食事はお済みでしょうか?」
ノックと共に部屋に入ると、エルフィーネが一人で暇そうにしているのが目に飛び込んできた。
フィーナはそんな彼女を横目に食器をワゴンに手際よく片付けていく。
「エルフィーネさん、お時間よろしいですか?」
フィーナの問いにエルフィーネが頷く。
「それでは、私に付いて来て下さい」
と、エルフィーネを連れ立ってアルフレッドの部屋へと向かう。アルフレッドの部屋へと向かう廊下では、いつもと違う晴れ晴れとした顔のメイド達と何人もすれ違った。
誰も彼も明らかにいつもとは雰囲気が違う。
ーコンコンー
「アルフレッド坊ちゃま、失礼します。お客様をお連れしました」
扉をノックし部屋に入ると緊張した面持ちのアルフレッドが件の本を手に椅子に座っているのが見えた。
「こちらが元勇者御一行様のスカウト役、ハイエルフのエルフィーネ様です」
冒険譚に書かれている紹介文句そのままエルフィーネを紹介するフィーナ。
それを聞いたアルフレッドはすぐさま立ち上がり
「アルバート・オーウェンの三男、アルフレッド・オーウェンです。よろしくお願いします」
緊張した面持ちのまま、エルフィーネに深くお辞儀して挨拶する。
かなり緊張しているが、彼にしてみれば伝説の英雄が目の前に居るのだから無理もない。
そんな雰囲気を感じ取ったのかエルフィーネも
「ハイエルフのスカウト、エルフィーネだ。話を聞きたいという少年は君かな?」
と、明らかにキャラを作り始めた。彼女なりに少年の夢を壊さない様にしてくれているのかもしれない。
しかし、フィーナはエルフィーネの普段を知っているためやや不安が残る。
「それでは私はお茶をお持ちしますので……エルフィーネ様、よろしくお願い致します」
二人を椅子に座らせ、フィーナは二人の雰囲気を確認しながら部屋を後にする。
キッチンに向かう途中朗らかな顔のアニタと行き合った。特に何か指示される訳でも無く軽く会釈する程度で終わったが、アニタもいつもとはまるで表情が違う。
どれだけジェシカ奥はこの屋敷を抑圧しているのだろうか……。
(急いで戻りますか)
キッチンで食器を片付けお茶の用意をし、慌ただしくアルフレッドの部屋へと急ぐ。
ーガラガラガラガラー
フィーナが部屋に近付くとなにやら二人の話し声が聞こえてきた。
「そうねぇ、その本だとそんな感じに書かれてるかもしんないけど、実際はレッサーデーモンに囲まれてね」
「そ、それでどうなったの?」
「勇者が人の話聞かずに突っ込むもんだからまんまと敵の罠に……」
部屋の外まで聞こえてきたエルフィーネの声。どうやら本の内容と実際とではかなりの違いがある様だ。
アルフレッドの夢を壊す様な事にならなければ良いが……。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
フィーナが中に入るとアルフレッドが嬉しそうに話しかけてきた。
「フィーナさん! すごいよ! 本に書いてない事たくさんあるんだ!」
アルフレッドは正に興奮冷めやらぬといった感じだ。
知った事覚えた事をすぐに話したがるのを見るとやはり年相応の子だと思う。
「そうですか。エルフィーネさんにどんなお話を教えてもらえましたか?」
フィーナはアルフレッドに優しく問い掛ける。
アルフレッドの話は主に敵との戦闘に関する描写の内容だったが、エルフィーネの視点から見た話と本に書かれている内容とでは臨場感が違うのだそうだ。
エルフィーネがきちんとカッコいい英雄像を保ってくれている事に安心したフィーナは
「それではエルフィーネさん、引き続きよろしくお願いします。アルフレッド坊ちゃまもエルフィーネさんのお話をよくお聞きになって下さいね」
二人に声を掛け、自分の仕事に戻る事にするのだった。
いつも通りに洗い場で洗濯を済ませ、衣類を干し終わる頃には昼時になっていた。そろそろお昼ご飯かなとフィーナが考えていると
ーチリンチリンー
小さく申し訳なさそうに消え入りそうなベルの音が聞こえてきた。
これまで滅多に無かったアルフレッドからの呼び出しの合図である。
(坊ちゃまに何か……?)
フィーナは急ぎアルフレッドの部屋へと向かう。早歩きと言うよりは駆けると言った方が適切な程だった。
ーガチャー
「アルフレッド坊ちゃま! いかがなさいまし……」
ノックもそこそこにフィーナが勢いよくアルフレッドの部屋の扉を開ける。
「ふ、フィーナさぁーん!」
ドアが開くと同時にアルフレッドがこちらに駆け寄って来た。
とりあえずは元気そうな彼の姿に一安心出来たフィーナだが……何があったのか彼に聞いてみる事にする。
「アルフレッド坊ちゃま、どうかなされましたか?」
アルフレッドの背丈に合うようにフィーナはしゃがんで彼に問いかけてみる……しかし
ートコトコトコー
アルフレッドは顔を真っ赤にしてフィーナの背中側に隠れてしまった。
彼の視線の先にはエルフィーネが座っている。
二人の間に何があったのだろうか……?とりあえず話を聞いてみるしかない。
「エルフィーネさん、一体何が……?」
フィーナの問いにエルフィーネはやや答えづらそうに
「いや〜、その本の魔王との決戦前夜の話でね……」
フィーナもその辺りの話は記憶にある。確か最後の決戦に向け、宿屋で大盛りあがりだったという話のはずたが……
「若い男女が狭い部屋の中なんだから……その夜の事位分かるでしょ?」
エルフィーネがまるで昨日の事の様に語り始める。若い少年少女達が危険な戦いに赴く前夜。
流石に真面目一辺倒なフィーナでも何が起きたのかは容易に見当がつく。
「戦士と魔術師、賢者と神官でそれぞれ致してたのよ。もちろん個別のテントでよ?」
そう話すエルフィーネだがそこまで細かい描写は求めてない。
さっきまでその事をアルフレッドにオブラートに包みながら話したそうなのだが、アルフレッドはピンとこなかったらしい。
試しにアルフレッドに好きな人の事を思い浮かべる様に聞いてみたところ……
「そしたら、貴女の名前が出てきたってワケ。ま、エルフと人間の色恋沙汰なんて珍しく無いし、年齢差なんてある様で無い様なモンだし」
エルフィーネはペラペラと持論を語り始めていた。その話にフィーナの顔も次第に赤くなっていく。
「その辺りの話してたらその子真っ赤になっちゃってね〜」
今に至る話を終えたエルフィーネはお茶をすする。
「な……な、な……!」
フィーナはすっかり忘れていた。このエルフが頭ピンクだという事を。
「な……小さな子に何話してるんですか! 不潔ですよ、不潔!」
こちらも顔を真っ赤にしてフィーナがエルフィーネを怒鳴り散らす。いつもの穏やかな口調など何処へやらである。
「あれ? もしかしてまんざらでも無い? いや〜若い若い♪」
激おこなフィーナを見て悪戯っぽく笑いエルフィーネは更に誂ってきた。
このままでは自分のいない間に何を教え込まれるか分かったものではない。
「もうすぐ昼食のお時間です! エルフィーネさんは客間へいらして下さい!」
怒りを抑えながら事務的に話すフィーナに対し
「え〜、ここでいいじゃない。まだまだ少年に話したりないしぃ〜」
と、エルフィーネは不満顔だ。まだまだフィーナを誂い足りない様子である。
とても年長者とは思えないくらい非常に大人気ない。
「きゃ・く・ま・でお昼になります、英雄様? 直ちにお願いします」
有無を言わせぬフィーナの迫力にエルフィーネも従わざるを得ない。
「アルフレッド坊ちゃま、もう大丈夫ですよ。すぐに昼食をお持ち致します」
一方、アルフレッドを落ち着かせ、フィーナは彼に席に着いている様促す。
「それでは失礼致します」
とアルフレッドに一礼すると、英雄様を引き摺る様にしてフィーナは部屋を後にするのだった。