トラブル
フィーナとヘルムートのダンスは二曲目に入っていた。曲調は穏やかなものである為、初心者でも特に不都合など無いはずである。
しかし、不測の事態に弱く慌てやすい特性持ちの女神であるフィーナはテンパる寸前であった。
普段の彼女なら神力でダンス技能を自らに付与する事など難なく実行していただろうが、今のフィーナはアワアワしている真っ最中である。
ダンス技能の付与どころか、神力を使ってでもどうにか切り抜けるという発想に思い至る事すら出来なかった。
ヘルムートに優しくリードされてはいるものの、付け焼き刃のフィーナでは彼の動きに合わせるのにも精一杯で既に頭が真っ白になってしまっている。
そんな状況で慌てやすい彼女がミスを起こさないはずも無く……
ーガクンー
「きゃっ!」
ハイヒールに不慣れなフィーナは踵に重心を移した時に足首を捻ってバランスを崩し
ードサッー
ヘルムートに抱きつく様にもたれ掛かってしまった。
「あ、ご……ごめんなさい!」
慌てて離れようとワタワタするも、捻挫でもしたのか捻った足首が痛くて一人では立つ事もままならず。
フィーナはヘルムートに抱きついたまま、そんな騒ぎを目ざとく見つけたのが
「ちょっと〜、何あのエルフ! あざといったらないわね〜!」
先程の紫BBAであった。鼻息をフンガフンガさせながら近付いてくるその姿は恐怖でしかない。横でそれを見ていたイレーネが
「なによ、またイチャモン? 悔しかったらアンタも同じ事してみたら? あぁん♡ つまずいちゃったー! うふん♡ って」
イレーネが変な事を言い始めた辺りから話がおかしな方向に進み始めた。
「わかったわよ! 私の方がより可愛く可憐に転んでみせるんだから!」
何を張り合っているのか紫BBAは半分意地の様になっていた。
まず、可愛く可憐に転ぶというのが意味不明だが何かのスイッチが入ってしまったらしい彼女を止める術はヘルムートにも無かった。
「行きますわよー! ヘルムートさまー! きちんと受け止めて下さいましてよー!」
ードダダダダダダ!ー
距離を開けた場所からヘルムートに向かって紫BBAが駆け出した。
(これ……何を見せられてるんでしょう……?)
困惑しながら状況を見守るフィーナが隣に居るヘルムートを見ると、彼も若干引いている様に見える。
「んなっ!」
ーズデーン!ー
勢いよく走っていたからか紫BBAは何かの拍子に盛大にすっ転んでしまった。
ヘルムートまでの距離は大分ある位置だったので、狙ったのでは無く紛れもなく事故だろう。
顔を地面に打ち付けた彼女はあまりの痛みに悶え苦しんでいる。
「あ〜ら? 短い足が絡まっちゃったのかしら? おほほほほ」
紫BBAに平然と追い打ちを放ち、高笑いでトドメを刺そうとしたイレーネに対し
「うるさいわね! 長いからもつれたのよ!」
鼻血ダラダラなのに紫BBA様も反論は欠かさない。大した精神力である。
「あの、大丈夫ですか?」
見かねたマリーが彼女の治療に入る。あっと言う間に引いていく痛みに紫BBAは驚いている様だった。
「フン、少しは気が利くじゃない。でも、次こそは成功させてやるんだから!」
懲りない彼女はもう一度やり直しを宣言するが、化粧が崩れ落ちてしまった彼女の顔面はグールの様で見るに耐えず
「いや……化粧崩れてるからさ。戻った方が良くない?」
さっきまで煽り倒していたイレーネですら引いている程の惨状であった。
「あ、あ、あ……いや〜ん!」
ーダダダダダッ!ー
指摘されて初めて自分の状況を理解した紫BBAは、両手で顔を覆うと慌てて会場から出て行ってしまった。
いつの間にかダンスを踊る雰囲気では無くなっていた会場ではヘルムートが散会を宣言しパーティーは終わりを告げたのだった。
パーティーが終わった後、フィーナは会場に面しているバルコニーで一人遠くに見える街の夜景を見ていた。
フィーナがこの異世界に下りて以降、既に結構な時間が過ぎ去っている。
ザック達が全滅する世界線はとりあえず回避出来たとは思うし、後はレアから頼まれているキングを始末するだけだ。
異世界内でのトラブルは本来、異世界管理担当の女神レアの仕事ではあるが、
フィーナも日頃から彼女には迷惑だけでは無くお世話にもなっている。
前回の異世界の例からも分かる様にスタンドアローンに近い活動を要求されるフィーナにとって、レアからのサポートは非常に助かる存在だ。
だからこそ、彼女からお願いがあればフィーナも応える必要がある。親しき仲にも礼儀あり、持ちつ持たれつの原則は天界においても適用されるのだ。
幸いな事に今回、フィーナは神力もほとんど使っていない。使っているのはサラマンダーを継続して呼び出す為の微々たる神力である。
神力の残量から考えればキングの一匹や二匹程度など物の数では無い。最悪自分でキングは何とか出来るのだが、可能であればこの世界の人々でこの世界の魔物相手には対処して貰いたい。
歴史の転換点などで、本来居ないはずの自分が歴史に深く関わってしまう事は、バタフライエフェクトを誘引するキッカケにもなりかねない。
それでなくても何かトラブルがあったら全て神頼みでは人の世は繁栄しない。自分達の力で生き抜く方法を模索して実行していくのが一番当人達の為になる。
(どう説明しましょうか……?)
キングを討伐したら天界へ帰るとして、ザック達にはどう説明するべきかとフィーナが考えていると
「こちらにおられたんですね。レティシア様」
ヘルムートの目に映るフィーナの姿は月明かりに照らされ、光の加減もあり非常に幻想的で儚げに見えていた。
手を伸ばすとフッと消えてしまいそうな……普段の彼女の言動からはそんな繊細さとは結びつかないかもしれない。
しかし、光源とシチュエーションによるブーストにより今のフィーナの可憐さ・繊細さ・儚さは鰻登りとなっていた。
「ヘルムートさん……」
どう会話すべきか決めあぐねているフィーナは口数が少なく、意図せずに物静かな雰囲気を漂わせる結果となっていた。
ヘルムートはフィーナの隣にやってくると彼女と同じ様に街の夜景を見ながら
「本日はダンスのお相手、ありがとうございました。私にとって大切な思い出になりました」
爽やかな笑顔でフィーナに語り掛けてきた。素直にお礼を言われてしまい、あんな辿々しいステップで良かったのかとフィーナが戸惑っていると
「本当の貴女を少しでも知る事が出来て嬉しかったのです。フィーナ樣」
ヘルムートから自分の本名を呼ばれたのは初めてかもしれない。
(そ、そんな……私なんかまだまだで……)
何だか恥ずかしくなってしまったフィーナは顔を背ける事しか出来なかった。そんな彼女にヘルムートは言葉を続ける。
「ルイゼ達を助けに地下牢へ下りた時、フィーナ樣近くにいらっしゃいましたか?」
よく分からないがヘルムートに自分が近くに居た事がバレていた様だ。
「今日のダンスで確信したのです。あの時も貴女の匂いを感じましたので……」
完全に姿は消していても匂いまでは気付いていなかった。確かに相当近付いた事はあったので気付かれていても不思議は無い。
(…………)
彼に隠れてやっていた事が全て見透かされていた感じがしたフィーナは、恥ずかしさのあまり言葉が何も思い浮かばなくなってしまっていた。
もちろん彼は全てを知っている訳では無いが、フィーナにはそう思えてしまうのも無理は無い話だった。




