救いの手
下りの傾斜が付いた洞窟の通路は見通しが悪かった。地形のせいで先の状況がさっぱり分からないのである。
それでも下るしか無いとフィーナが足元に気を付けながら洞窟を下りていくと
(あれ……?)
通路の先を一瞬何かが横切った様な気がした。
(な、なに……?)
見間違いかとも考えたが一応念のため……とフィーナは前方を注視する。
歩くのを止め少し様子を伺っていると何かの大きな影が洞窟の壁から天井、天井から壁、壁から地面へと飛び跳ねる様にフィーナの元へと近付いてきているのが分かった。
その大きな影は大きな丸めの胴体から細い足が八本程突き出している。
「 ひっ……!」
赤外線でも暗視でも通路の陰の先までは見通せなかった為、通路の陰からその大きな影がようやく姿を表した事でフィーナは近付いてきた影の正体を知る事が出来た。
「こ、こんなのが居るなんて……!」
敵の正体に青くなったフィーナは踵を返すと一目散に影から逃げ出した。
(どうして……? なんでここに……!)
フィーナが見た大きな影は数日前に森で遭遇したタイラントスパイダーだった。
あんな魔物がこの洞窟に居るなどフィーナが天界で見た歴史には影も形も無かったはず。
「はぁ……はぁ……」
洞窟の滑りやすい岩肌の登り坂をフィーナは何度も転びそうになりながらも必死に駆け上がった。
フィーナが全力で走ってもタイラントスパイダーは飛び跳ねながら追ってくるので図体の割に移動距離が長く、いくら走っても距離が離せている気がしなかった。
後ろを見るのも怖いフィーナは物音で判断するしか無いが、ひたすらに来た道を出口へと駆けて行く。
彼女が冷静さを少しでも維持出来ていれば精霊魔法で敵を足止めするという選択肢もあったのだが、今のフィーナの頭の中には逃げるというただ一点しか無かった。
「はぁ……はぁ……は、早く逃げないと……!」
息を切らせながらフィーナがさっきの広場を抜け入り口に続く狭い道に入ろうとしたその時
ーズニュ!ー
「きゃあっ!」
足元に柔らかいナニかを感じた瞬間フィーナは足を取られ地面に転ばされてしまった。
ーズシャアッ!ー
「な……なに?」
フィーナが自分の足元を見ると左足首が水溜まりの中に埋まっているのが分かった。
「ひっ!……うぐっ!」
すぐに立ち上がろうとするも水溜まりに入った自分の左足首から先は、水溜まりに埋まったまま抜く事が出来ない。
良く分からないが水では無く粘度の高い何かにしっかりと埋まっている様で
「まさかスライム……? やだ! いや……抜けない? どうしてここに!」
その場から逃げられなくなった事でパニックに陥ったフィーナは必死に足を引き抜こうとするがスライムに捕らわれた足はまるでビクともしない。
彼女が足掻いている間にもタイラントスパイダーは迫り続けフィーナが後ろを見た時には、タイラントスパイダーは背後の天井に張り付いて彼女の様子を伺っている様だった。
「……こ、……このっ!」
見の危険を感じたフィーナは光の矢でタイラントスパイダーを撃ち抜こうと背中越しに右手を相手に向けた瞬間
ーシュバッ!ー
タイラントスパイダーから放たれた糸の塊が地面の上で動けずに蹲っているフィーナの背中に直撃した。
ードスッ!ー
「が……!」
フィーナに当たった糸は彼女をそのまま地面に押し倒した。糸は地面に貼り付きフィーナの身体の自由をさらに奪っていく。
「く……うぅ……!」
フィーナは何とか逃げようとするが、水溜まりから足を引き抜く事はおろか身体中が蜘蛛の糸に覆われて地面に貼り付けられているに等しい姿になってしまっていた。
ーズシン!ー
「ひっ!」
突然の大きな音と圧迫感に地面にはいつくばっているフィーナは怯えた声を上げる。
ーガサ……ガサ……ー
彼女が逃げようと足掻いている姿をあざ笑うかの様に、タイラントスパイダーが彼女に覆いかぶさる様に近付いてきた。
タイラントスパイダーは捕まえた獲物を吟味するかの様に多数の目がある不気味な頭部を背後からフィーナに近付けてきた。
「や、やぁ……!」
うつ伏せで捕らえられているフィーナが振り向けばタイラントスパイダーの顔がすぐそこにはある。それだけに彼女は振り返る事など出来なかった。
ークチュ……クチュ……ー
タイラントスパイダーの触覚の生えた口から聞こえてくる不気味な音と空気に耐えかねたフィーナは
「助けてぇアルぅ! 助けてぇぇぇっ! こんなのいやあぁぁっ!」
意識せずアルフレッドの名前を呼んでしまう程の恐慌状態に陥っていた。
まだ僅かに動く右手で助けを求める様にその手を宙に伸ばす。その時
ーギュッ……ー
(え……?)
フィーナは伸ばした右手に暖かい何かの感覚を感じた。まるで誰かが握り返してくれたかの様な不思議な感覚に……。
その感覚でフィーナはほんの少しだけ落ち着きを取り戻す事が出来たのだった。彼女が予想外の感覚に戸惑っていると
「フィーナ! 大丈夫か!」
涙で滲んだ視界の向こう、入り口の方向からザック達が駆けつけてくれているのが見えた。
ザックは一直線にフィーナの元にやってくると剣を横に薙ぎ払った。
ーブゥン!ー
ザックの攻撃はタイラントスパイダーに難なく避けられてしまったがタイラントスパイダーをフィーナから遠ざける事には成功した。
「ファイアーボルト!」
続いて駆け付けたイレーネが避けたタイラントスパイダーにファイアーボルトを撃った。
ーボウッ!ー
ファイアーボルトの炎が命中したタイラントスパイダーは苦しむ様に脚をバタつかせている。
「くたばりやがれっ!」
ザックは魔法を受けたタイラントスパイダーに追撃すべく斬り掛かっていく。
「フィーナ! 今、助けてやるからな! 少し我慢しろよ?」
松明を持ったガイとマリーがフィーナの元に駆け付け、すぐに絡みついた糸を丁寧に焼き始めた。
徐々に身体の自由を取り戻していくフィーナだが、左足は依然水溜まりから抜けないでいた。
「これも燃やせるのか?」
ガイが水溜まりに松明を近付けると水溜まりは次第に小さくなり始めた。水溜まりの窪地の底が見える頃にはフィーナの左足の拘束は無くなっていた。
拘束から助け出されたフィーナが立ち上がろうとしたその時
ーズキッ!ー
「うぁっ!」
転んだ時に変に足を捻ってしまっていたらしく、フィーナが痛みで立ち上がれずにいるとマリーがすかさず治癒魔法を掛けてくれた。
ーパアアァァー
「今、治療していますから……もう少しです」
マリーによる治療はすぐに終わった。フィーナ自身でも治癒魔法は使えるのだがその事実に思い至らない程に彼女は怯え狼狽していた。
「フィーナは大丈夫か! 奴ら奥からドンドン出てきやがるぞ!」
ザックが敵を斬り伏せながらメンバー全員に声を掛ける。
「あ……あぅ……」
フィーナはあまりのショックにガタガタ震えており完全に戦力外となってしまっている。
「私が纏めて燃やすからガイ達はフィーナさんを抱えて逃げて!」
イレーネは叫びつつ足元に魔法陣を展開させ大規模な魔法を使う準備に入った。
「よし、とっとと逃げるぞ!」
ガイはフィーナを軽々と担ぎ上げるとそのまま出口へと走り出した。そしてマリーがその後に続く。
ガイに担ぎ上げられたフィーナは遠ざかっていくザックとイレーネの無事を願う事しか出来なかった。




