夕食とその後
「アルフレッド坊ちゃま、お待たせしました」
部屋に入ると、フィーナは手早く料理をテーブルの上に載せていく。
ホワイトシチューにチーズトースト、それにいつもの紅茶。
緑成分が少ない気もするが、シチューの中にキャベツは入っている。
人参や玉ねぎも入っているから、野菜の量的には大丈夫だろう。
「あの〜、これは……?」
初めて見るであろうチーズトーストをまじまじと見ながらアルフレッドが尋ねてきた。
匂いで美味しい物とは分かるのだろうが、見た事の無い食べ物に対し期待半分警戒心半分といった感じなのだろう。
「本日のキッチン担当者の計らいです。街で見かけた食べ物を真似て作った……と。お味は確かかと」
フィーナの設定に、アルフレッドはトーストを一口かじってみる。
「美味しいです!」
香ばしいパンとチーズのカリカリ感、やや焦げた鶏肉の旨味、甘辛いソース…初めてであろう組み合わせに、彼はすっかり気に入ってしまった様だ。
アルフレッドを初めて見かけた時から考えると、彼の様子も少し変化してきた様に思える。
やはり美味しい食事は心を豊かにするのだろう。育ち盛りであるアルフレッドはいつの間にかシチューも食べ終えてしまっていた。
「それでは、こちらが本日のデザートと紅茶です」
フィーナは、食べ終えられた食器と入れ替わりに紅茶とデザートをテーブルに置いた。今日のデザートははちみつ水に浸しておいたりんごである。
この取り合わせは健康的で美味しく、なにより手間が掛からなくて楽なのだ。
「これも美味しいです! ありがとうございます!」
喜んでもらえて何よりと、フィーナは思う。お礼を言われてしまうと次はもっと良い物をと、つい考えてしまう。
「フィーナさん。ご飯の後、お願いしたい事があるんですけど……」
アルフレッドからの用件、大体の予想はついている。本で読めない箇所、分からない言葉の意味の解説などだろう。
分からない事があったら、いつでも呼んでもらって構わないのだが、彼に渡したはずのハンドベルはまだ鳴らされた記憶が無い。
もしかしたら使うのを遠慮していたのかもしれないが……
「かしこまりました。食器をお下げしたらすぐに戻ってまいります」
丁度、食べ終えたデザートの皿を下げキッチンに戻るフィーナ。
「ミレットさん。さっきのチーズトースト好評でしたよ」
キッチンで作業を続けていたミレットに一声掛けると、彼女は照れくさそうに頭をかきつつ
「えへへ、大した事ないですよ〜。食べたかったから作っただけですから〜……ニャ」
フィーナに褒められミレットも満更でもない様子だ。
一方、フィーナは紅茶を入れ直しアルフレッドの部屋にトンボ帰りするのであった。
「お待たせ致しました。それでは本を拝見させて頂きます」
部屋に戻ったフィーナは、アルフレッドが読んでいる本を覗き込み、分からない部分を指し示して貰う事にした。しかし
(……読めない部分が沢山ある様ですね)
これは、一つ一つ指摘していくのは骨が折れそうだ。一ページ中にいくつもある。物語もまだまだ序盤も序盤で、いつになったら終わるのか見当もつかない。それならば……
「私が読み聞かせましょう。アルフレッド坊ちゃまは、楽な姿勢でお寛ぎ下さい」
と、フィーナはアルフレッドの本を手に、テーブルの向かいに座って朗読を始めた。
本の内容は王国に伝わる過去の英雄の冒険物語。
王国が建国されて間もない時代、今よりも魔物達の勢力圏は広く人間達は常に彼等の脅威に晒されていた。
そんな中、襲いかかる魔物達を強力な力で打ち倒していく英雄とその仲間達の物語だ。
実際読んでみて分かったが、架空の物語では無く史実に基づいている話の様だ。
パーティー構成は魔法剣士である勇者、前衛で敵の攻撃を引き付ける戦士、攻撃魔法に特化した魔術師、攻撃や支援魔法で後方支援を行う賢者、味方の怪我の治療等を受け持つ神官、斥候として偵察を受け持つエルフの弓兵。
バランスの取れた編成だが、このパーティーの特徴は何と言っても、勇者の戦闘能力が規格外である事だろう。
剣の腕前は人並み以上、攻撃魔法や支援魔法、はては回復魔法に至るまで、その無尽蔵とも言える魔力量をもって仲間の活躍を食ってしまうくらいの大活躍をみせるのだ。
もうあいつ一人で良いんじゃないかな?と思えるくらいの優遇ぶりだ。
しかも、謙虚で仲間を立てる気遣いも出来る好青年と記されている。
パーティーの男女比率はほぼ半々で、確かに少年が好きそうな内容の物語である。
フィーナの朗読にアルフレッドは興味津々で聴いている。
しかし、一時間二時間と経過してくると眠くなってきたらしく、彼の頭がフラフラし始めた。
「今日はもうこの辺で止めておきましょう。続きはまた明日という事で……」
フィーナはアルフレッドに着替えを用意する。まだ四歳そこそこだが、着替えはなんとか出来る様だ。ほんの少しの手助けでパジャマに着替えたアルフレッドはベッドに潜り込んだ。
しかし、すぐに寝るでもなくフィーナに目で訴えてきた。どうやら、彼は物語の続きをご所望の様だ。
フィーナは自身が座っていた椅子をベッドの横に移動させ、改めて朗読を始める。
「……こうして、勇者ソーマは仲間達と共に魔物の討伐に向かうのでした」
朗読を初めて三十分、ふとアルフレッドを見ると彼はいつの間にか寝てしまっていた。静かに寝息を立てている。
(……今はまだ大丈夫の様ですね)
今のアルフレッドに前世の記憶が蘇る様子は無いが、歴史上ではあと二年後位に起きるはずである。
今すぐにどうこうなる話でもないのだろうが、フィーナがここに居る時点で歴史は多少変化しているはずだ。
警戒するに越した事は無い。彼の額に手を載せてみるが、平熱で何も問題は無い。
(…………)
それにしても、ジェシカ奥はどうにかならないものか。
実の息子であるアルフレッドに対しあまりに酷薄ではないだろうか。
どうもアルフレッドが黒髪というのが不吉の象徴という事で、ジェシカ奥は彼を蔑んでいるらしいのだが……
健康な子供の成長には両親からの愛情が必要不可欠となる。精神状態は身体にも影響がある。
ただ単に衣食住があれば良いという訳では無いのだ。
(家庭環境の改善は……期待出来そうにありませんね)
フィーナは立ち上がると、椅子を片付け部屋の明かりを消す。
ちなみにこの世界の一般的な灯りはロウソクやランプだが、貴族の屋敷には大抵魔法を利用した魔光灯が設置されている。
魔光灯は魔道士に依頼し魔力を充填して貰う設備で、一度の充填で一ヶ月位は夜の灯りとして十分な光量を確保出来るのだ。
「それでは、お休みなさいませ」
フィーナは眠っているアルフレッドに声を掛け、そのまま彼の部屋から退出した。
(レアさん、聞こえますか? フィーナです)
自室に戻ったフィーナは天界の女神、レアに連絡を取る事にした。
さっきは仕事中だったので対応出来なかった。それに、他に誰も居ない自室なら周りに気を使わず連絡出来る。
(はいは〜い! 天界のレアで〜す!)
明るい口調の声が返ってきた。フィーナにとっては久しぶりの連絡だが、レアにとってはそうでは無いはず。
天界と異世界とでは時間の概念が違う。仮に異世界で何十年過ごしたとしても天界では一瞬の出来事なのだ。
(それで……ご用件は何ですか?)
天界から連絡という事は何かしらあったという事なのだろう。
出来れば未来が良い方向に変化したという朗報を期待したい所だが……
(フィーナちゃんに転生課から必要経費のプレゼントで〜す。これまで使った神力を補充してあげるわね?)
レアがきっと転生課の上司に報告してくれたのだろう。しかし、何も無しに必要経費を認めてくれるとも思えない。
(あの……私何かしましたか?)
必要経費が支給される様な心当たりが何も無いフィーナはレアに尋ねる。
そもそも、天界からこちらの異世界に降りた時に、必要経費として神力を得ている。
上からの指示でこの異世界に出張しているのでそれ自体はいつもの事なのだが、仕事も終わっていないのに使った神力を支給して貰えるなんて事はごくごく稀な話である。
(フィーナちゃん、一緒に仕事してる猫族の女の子居るでしょ? その娘の人生が良い方向に変わったの)
レアの話はこうだ。フィーナがこの時代に来る以前の歴史では、先日の買い物の後で盗賊に捕まるのは本来はミレットだったのだそうだ。
その歴史にフィーナが介入した為、ミレットの歴史が良い方向に変化したらしい。歴史を無闇に変えてしまうのは良くない事だが、善良な者を救う事は天界では評価の対象となる事もある。
自分の仕事ぶりを評価されるのは決して悪い気はしない。
(そうだったんですか……、それは良かったです)
ちょっと照れながら答えるフィーナ。こうして神力が補充されるのならもっと使っておいても良かったかなと、今更ながら思えてくる。
だからと言って、それをアテにして痛い目に遭うというのは絶対に避けたい。フィーナがあれこれ考えていると
(あと、貴女の上司から言付けもあるの。聞いておくかしら?)
レアからの意外な言葉。出張の途中に上司から言付けなど滅多に無い事だ。どうするか聞かれたところで聞いておく以外の選択肢は無いと思うが……
(言付けって……何かあったんですか?)
フィーナには思い当たる節は無い。
(女神なんだから、盗賊程度に遅れを取る事の無い様に。これからもっと頑張りましょう……だって♪)
レアの声がどことなく笑いを堪えている様に聞こえるのは気のせいか。
盗賊の策にハマりあっさり捕まったのは自分の責任以外の何物でも無い。
十分自覚しているのだから今更あまりほじくり返して欲しくないものである。
(……分かってます。以後気をつけますとお伝え下さい。レアさん、ご連絡ありがとうございました。)
フィーナは平静を装いながらレアに交信終了を伝える。
彼女に動揺を悟られれば弄られるのは明白、レアに悪気が一切無いのがさらに性質が悪い。
このまま、自然に連絡を終わらせたい。それが今のフィーナの望みである。
(それじゃあ、フィーナちゃんも頑張って〜♪ 盗賊に捕まった時の動画はちゃんと保存してるから、気にしないでね〜♪)
「待って下さい! 保存ってどういう事ですか!」
思わず声が出てしまったが、レアからの返答は無い。これでは天界に帰った後で弄られるのは決まった様なものだ。
今から天界に帰るのが嫌になってくる。
(職場でのバワハラ……天界に労働基準監督署ってありましたっけ……?)
今のフィーナには、現実逃避するくらいしか、心の平穏を保つ術は無かった。