夕食の準備
屋敷に戻ったフィーナの仕事は、洗濯物の取り込みに洗濯物の整理。
それが終わるとアルフレッドの夕食の準備であった。
「あ、センパ〜イ! お疲れ様で〜す……ニャ。」
夜勤始めのミレットが鍋にかけられた食材をかき混ぜながら話しかけてきた。
今日の夕食はホワイトシチューであり、アルフレッド以外の家族には、他の料理も用意されているが、いつもの事なので仕方がない。
シチューなら肉も野菜もしっかり取れるため、今回はフィーナが一品料理を足さなくても問題無さそうだ。
デザートを用意するだけで大丈夫だろう。
「何か手伝える事、ありますか?」
シチューが出来るまで手持ち無沙汰になってしまったフィーナがミレットに尋ねてみる。
「え〜と、大体終わっちゃってるんですけど……ニャ」
少し考える素振りをしたミレットはようやく思いついたらしく
「食前のスープ、器に準備して貰って良いですか……ニャ?」
別の鍋にかけられているコーンスープを見ながらミレットが申し訳無そうに言ってきた。
時間的にはジェシカ奥達の夕食の準備の為に、もうじき係のメイド達が来る頃である。
器にスープを準備しておいても、問題無い時間だ。
フィーナは手際良く三人分のスープを用意していく。
綺麗に準備出来たところでスープが大量に余っている事に気付いた。
(これ、処分するのは勿体ないですね)
余ったスープを利用してアルフレッドの分をこっそり用意する事にした。
こういった料理は通常はジェシカ奥の指示で廃棄が命じられているのだが、今はこの場にはミレットと自分しかいない。
一人分都合する事などどうという事も無い。
いつものワゴンにスープを載せ、クローシュを被せて準備完了である。
ーガチャー
「あら、料理長は居ないのかしら?」
そこへジェシカ奥がいきなりやってきた。特に用事がある訳では無いのだろうから、ただの気まぐれで来たのだろう。
「料理長は家族が急病という事で上がらせました。御食事の準備は終わらせていきましたので問題は何もありません」
ジェシカ奥に付き従っているアニタがジェシカ奥に耳打ちする様に言う。
ジェシカ奥は何か粗を探す様にキッチンを見回す。
フィーナが準備したスープを見つけたジェシカ奥は
「これはあなたが準備したのかしら? 微温かったり舌を火傷する様な事があったりしたら、どうなるか分かっているわよね? アルスちゃまは猫舌ですからね」
右手に持った扇子で左手を軽く叩きながらフィーナを威圧する。
件のスープは先程まで火にかけられていたが、ジェシカ奥の食卓に届けられる頃には丁度良い温度になっているはずである。
そもそもいつも通りの行動なので何か不都合が起きるはずもない。
「ところで、それは何かしら?」
ジェシカ奥はフィーナの隣にあるワゴンの上にあるクローシュに目をつけた。
「開けなさい」
扇子で指し示しながらジェシカ奥は命令する。
「これは別に何でもありません」
中にはアルフレッドの為に用意したコーンスープが入っている。
ジェシカ奥にバレたらまた面倒な事になるのは明白だ。
「やましい事が無いなら開けられるでしょう? 開けなさい」
どうあってもジェシカ奥は譲る気は無いらしい。
「本当に何でも無いのですが……」
フィーナがゆっくりとクローシュを持ち上げると中は空っぽだった。
「なっ!」
何もないとは思っていなかったのであろう、ジェシカ奥の顔は怒りで真っ赤になっている。
フィーナには知る由もないが、これまでアルフレッドの為に食事を都合しようとしたメイドは何人か居た。
比較的数の管理がし辛いスープを放任する事で自身に反抗的な者の尻尾を掴んできたのだが、今回初めて失敗したのだ。
件のスープはフィーナがクローシュを持ち上げる際に、彼女が自身の収納空間に退避させただけなのだが、そんな事がジェシカ奥に分かるはずも無い。
得意満々に疑った挙げ句に何も無い、というのはジェシカ奥のプライドをいたく傷つけてしまった。
「アニタ、行くわよ。亜人の臭いが移ってしまいますもの」
ジェシカはアニタを従えてキッチンから去っていった。
「あれが噂の奥様ですかぁ、センパイ大丈夫でしたか……ニャ?」
スープを元に戻しているフィーナにミレットが話しかけてきた。
「はい、大丈夫です。それじゃ、こちらアルフレッド坊ちゃまにお届けしてきますので」
心配してくれるミレットに感謝しつつ、フィーナもワゴンを押しキッチンを後にする。
ジェシカ奥は亜人を目の敵にしている割に、同じく亜人である猫族のミレットには何も無かった。
彼女が頭に三角巾を付けていたから猫耳に気付かなかったのだろうか。
しかしフィーナ自身、ジェシカ奥の苛めの対象になるのは構わないが、もし解雇という事になれば、それはそれで面倒な事になってしまう。
あまり目の敵にされすぎるのも問題かも……と、考え事をしていると、いつの間にかアルフレッドの部屋の前に着いていた。
「アルフレッド坊ちゃま、失礼します」
ーコンコンー
ノックをし部屋の中に入るフィーナを待つアルフレッドは読書の最中であった。
最初の頃こそ彼に避けられていた雰囲気があったが、今はアルフレッドがこちらを見る表情も変わってきた。
本を読んでいるのは最初の頃と変わっていないが、フィーナが部屋に入るとチラチラこちらを気にする様になっている。
警戒心を解いてくれたのならなによりだ。
早速、アルフレッドから本を受け取り、いつものテーブルにスープを用意する。
今日のメニューはホワイトシチューなので汁物が被ってしまったが、シチューの具を多めにしてもらえば問題無い。
食前にスープが用意されている事に、アルフレッドはやや戸惑い気味だが、やはり本当は嬉しそうだ。
効率を考えるなら、今のうちにメインのシチューとパンをキッチンに取りに行くべきなのだろう。
しかし、今の状況でジェシカ奥の襲撃を許せば面倒な事になるのは火を見るより明らか。
アルフレッドがスープを飲み終えるまで傍らで待機するフィーナ。
「あの……フィーナさん?また、教えて欲しい事があるんですけど……」
アルフレッドが恥ずかしそうにしながら改めて尋ねてきた。
彼が読んでいる本は英雄の冒険譚とは言え、対象年齢がもう少し上である。読めない文字が多くても不思議は無い。
「かしこまりました。でも、食事を終えてからにしましょうね? それなら私も仕事が終わりますので」
フィーナの提案に、アルフレッドは大きく頷きスープを飲み始めたかと思うと、あっという間に飲み終えてしまった。
「お気持ちは分かりますが、食事はゆっくり摂りましょうね?」
急いで食事を済ませるのは健康に良くない。慌てては火傷しまうかもしれない。
「健康の面でも作法の面でも食事を早く摂るのは褒められた行動ではありません」
フィーナは優しく諭す様にアルフレッドに注意する。彼はちょっと気落ちしてしまった様だが、静かに頷いた。
「それでは料理をお持ちしますので、少々お待ち下さい」
空になった器をワゴンに載せ、メインの料理を取りにフィーナは部屋を出る。
キッチンまでそう遠くは無いが自然と早歩きになってしまう。
「ミレットさん、シチューを一人分お願いします。お肉多めで」
キッチンに入ったフィーナはスープの皿を洗い場の水に浸けつつ、ミレットに註文すると
「分かりました……ニャ」
元気な返事が返ってきたものの、すぐにシチューが出てきそうな感じではない。
さっき水に浸けたスープ皿を手早く洗い食器置き場に置きながらシチューが出てくるのを待つ。
「センパ〜イ! お待たせしました……ニャ!」
ミレットが出してきたのは注文通りの具沢山ホワイトシチューと…見慣れないチーズトーストだった。
「これ、前に買い物に行った時に屋台でこんな感じのがあったんですよ〜! だがら、お屋敷でも作れるかな?って……ニャ」
話を詳しく聞いてみると、屋台で見つけた時からどうしても食べたかったのだそうだ。
だから、有り合わせの物で作ってみたらしい。材料は全て今日の料理の余り物なんだそうだ。
トーストに鳥の丸焼きで使った甘辛いソースを塗り、シチューを作った時に使われた出汁用の鶏の骨についた肉を落とし、その肉とチーズをパンに載せオーブンで焼いてみた物なのだそうだ。
匂いは照焼チキンのピザに近い。この世界にはまだマヨネーズが無い事が悔やまれるとフィーナは切に思うのだった。
今日はキッチンにミレット一人で仕事だったのでかなり自由に出来たらしい。
アルフレッドの食事が物足りないものだとは、前々からミレットも気になっていたらしい。
フィーナが彼のためにスープを準備していたのを見て、自分も何か同じ事をしようと思ったそうだ。
「ありがとうございます。彼もきっと喜ぶと思いますよ」
フィーナは料理を全てワゴンに載せつつ、ミレットの気遣いにお礼を言いキッチンを後にした。
ワゴンを押して廊下を進んでいると
(フィーナちゃん、いいなぁ〜♪ 私も猫ちゃん、モフモフしたい〜♪)
久しぶりに天界のレアから連絡だ。
(あ、お久しぶりです。今、仕事中なので後にしてもらって良いですか?)
フィーナの返答はやや素っ気ない。レアが不真面目な口調で連絡をしてくる時は、大体どうでも良い内容が多いからだ。
アルフレッドの部屋はすでに目と鼻の先、のんびり会話している時間は無い。
(もう〜!フィーナちゃん冷た〜い! 後でワン切りしちゃうんだからね〜)
念話でワン切りも何も無いだろうとは思うが、レアはそのまま連絡を終えてしまった様だ。
(何だったんでしょう……?)
まぁ、レアには夜にでもこちらから連絡しておけば大丈夫だろう。フィーナは気を取り直し、アルフレッドの部屋に入っていくのだった。