出張の終わり
「はっ……!」
フィーナが気が付くとそこは無数の球形の物体が並ぶ真っ白な空間だった。
「フィーナちゃん、お疲れ様」
振り返るとそこには異世界の管理担当女神のレアが立っていた。
とうやらここは天界のレアの仕事場で、自分は死ぬ間際のところを彼女の転移で助けられたという流れらしい。
長い夢から覚めた様な感覚にフィーナはすぐには慣れずにいた。
「もぁ〜、本当に危ないところだったんだから! 無理はしちゃダメなんだからね?」
レアのその言葉にフィーナの脳裏にさっきまで降りていた異世界での記憶が鮮明に蘇ってきた。
自分がソーマに殺され全てが中途半端なままアルフレッドを残してきてしまった事。
そして仕事の途中でこうして天界に帰ってきてしまったという事も。
「レアさん! 私をさっきの異世界に戻して下さい! 私が天界に帰った直後の王都のあの場所に!」
フィーナはレアに異世界への転移を御願いした。御願いというよりはそれは悲鳴にも近い様な叫びだった。しかし
「私には出来ないの。ごめんなさい」
レアはただ一言、否定の言葉を述べるだけだった。
「どうして……! あの子はまだ十歳にもなってない……私が居なくちゃ駄目なんです!」
必死に懇願するフィーナの言葉にもレアは全く取り合おうとしない。
「わかりました。自分の力で降ります」
レアの協力を諦めたフィーナは天界に貯めておいた神力を自分の身体に補充すると服装を白のゆったりしたドレスから馴染みのメイド服に変更。
耳もエルフの長い耳に、背中の羽根は消し去って再び異世界に転移しようと法陣を生成した。しかし
「アクセス権限エラー……? そんな……!」
フィーナはアルフレッドの居る異世界に転移出来ず、何かの間違いではないかと何度も手順を繰り返した。
しかし、フィーナが彼の居る異世界に転移する事は出来なかった。
「レアさん、これはどういう事ですか!」
転移出来ない事を理解したフィーナはレアに詰め寄る。フィーナはアルフレッドの前では感情を押し殺していた反動か今は完全に取り乱していた。
そんなフィーナの勢いにもレアは動じず
「その世界の歴史はもう救われたの。アカシックレコードは遠い先まで良い記録がされているから……もう貴女が降りる必要は無くなったの」
世界が救われる事が決まったのなら確かにフィーナが異世界に降りる理由は全く無い。
「で、でも私の都合で小さい子を都会に独りで置いてきてしまったんです! 私には彼の人生を見届ける責任が……」
確かに現状ではアルフレッドの件は中途半端なままだ。
記憶はどうあれフィーナ自身が送った転生者を途中のまま放り出したりなんかしたくは無かった。だが
「アルフレッドでしょう? 彼はいずれ蘇生魔法を復活させて大勢の人々を救う様になるの。それは天界にとっても喜ばしい未来なの」
レアはアカシックレコードを確認したのか未来のアルフレッドについて語り始めた。
そして、その未来は天界にとっても望ましい未来である事も。
しかし、彼の未来と自分が彼の異世界に降りられない理由がフィーナには繋がらなかった。
「彼が蘇生魔法を極めるきっかけとなったのは…フィーナちゃん、貴女を失ったからなの。」
レアが話すアルフレッドの未来はフィーナにとっては悲しいものだった。
「彼は貴女に会いたい一心で蘇生魔法を蘇らせ、結果的に大勢の人達を救う……これが彼の歩む決められた未来なの」
その未来は確かに世界にとっては有益であり天界にとっても望ましい未来なのだろう。それは分かる。しかし
「それで……アルは幸せな人生だったんですか? 悔いのない満たされた人生を送れたんですか?」
フィーナの問いにレアは答えない。明らかにフィーナには教えられないといった感じで次に話す言葉を選んでいた。
「それに……私は彼と約束したんです。ずっと一緒に居るって……それなのに……」
フィーナの声は次第に涙声になっていった。そして、膝から崩れ落ち声にならない声を上げて泣き始めてしまった。
「うああぁぁぁぁ……!」
二度とアルフレッドに会う事が出来なくなってしまった悲しさか。
彼の未来への責任を果たせなかった自身の不甲斐なさへの憤りか、もっと上手く立ち回れていたらという後悔か。
フィーナには泣く事でしか自身の感情のはけ口を作る事が出来なかった。
どれだけの時間が流れただろう。フィーナが泣き止むまでレアは彼女を安心させようと抱きしめていた。
「彼の未来は貴女無くしてはありえなかった。貴方は彼が生きていける土壌を作ったのよ? だからこれからも彼は生きていけるの。たくさんの人達に囲まれて……」
レアはフィーナがやってきた事を肯定し、それらの過去があったからこそアルフレッドがこれからも王都で生きていけるという事実を、泣きじゃくるフィーナに丁寧に言い聞かせていった。
宥める様なレアの言葉にフィーナはようやく落ち着きを取り戻していった。何も解決はしていないのだが、フィーナにはこれ以上はアルフレッドに対して出来る事は何も無い。
異世界へのアクセス権限が取り消されるなんて事は滅多に無い。フィーナも天界に属する女神である以上は組織には従わなければならない。
「レアさん、ごめんなさい。レアさんに責任があるわけじゃないのに……」
八つ当たり気味に感情をぶつけてしまった事にフィーナはレアに謝るのだった。感情が落ち着いたフィーナは自分の仕事場に戻る事にした。
新しい仕事が来ているかもしれないし、これ以上レアの仕事場に居てもどうしようもないからだ。
「レアさん、それじゃ、私は戻ります。ありがとうございました」
フィーナは軽くお辞儀をするとレアの仕事場を後にするのだった。
(…………)
天界の通路を歩くフィーナだが、久しぶりの光景に何となく慣れないでいた。
何年も経過する夢から覚め、現実ではほんの少しの時間しか経っていなかった感覚に近い。
白一色な天界の光景に少し戸惑いながらもフィーナは自分のいつもの仕事場へと歩いていく。
本当はレアの仕事場から転移で簡単に帰る事は出来たのだが、今のフィーナは何となく歩きたかった。
(…………)
どうしてもフィーナは自分がさっきまで居た異世界の事を考えてしまう。
今回の出張の様に年単位で異世界に留まり現地の人達と親密に交流する様な事はこれまであまり無かったからだ。
「おい、フィーナ。何だその格好、コスプレか?」
通路を歩くフィーナに誰かが話し掛けてきた。
フィーナが振り返るとそこには赤いセミロングの髪型をした一人の女神がおり、いたずらっぽい笑みを浮かべながらフィーナに近付いてきた。
「フレイアさん……! どうされたんですか?」
フィーナはフレイアと呼んだ彼女がここに居る事に少し驚いている様だ。
そんなフィーナにフレイアはニヤニヤとしながら近付いていく。
「可愛い部下が出張から帰ってきたって聞いたから出迎えに来てやったんだよ。今回の仕事よくやってくれた、課内で大盛りあがりだよ」
ねぎらいの言葉を掛けてきたフレイアだが、彼女の人と成りが分かっているフィーナは少し身構える。
こういう時は何かがある……という経験に基づく危機察知である。フレイアはフィーナに一枚の書類を手渡してきた。
渡されるまま手にしたフィーナが書類に目を通すと
「また出張ですか? それにこの件は……」
出張の指示に書類を使う事は天界では殆ど無い、というより意味が全く無いに近い。
便宜上、転生者に対して分かりやすく表現するために紙という媒体を使ったりする事はあるが、この様に女神同士のやり取りで使うのは稀である。
フィーナは渡された書類に書かれている出張内容に不服な様だ。
「この転生者……私の前任者の仕事ですよ?それに、特に問題なく人生を終えてるじゃないですか」
軽く目を通しただけだが、フィーナには出張してまで対応する必要があるとは思えなかった。
件の転生者は異世界で冒険者家業中に死んでしまっただけである。
非常によくある話なだけにフィーナは全く気にしていない。しかし
「せっかく異世界に送ったのに成果無しで無駄死になんてのは以ての外だ」
異世界への転生者の転生はそれなりの労力が掛かる。
フレイアとしてはコストに対する見返りが欲しいという事なのだろう。
「それに役職を引き継いだんだから前任者の不始末はお前の不始末だ。まぁ、急ぎじゃないから暇な時に片付けてきてくれ」
と、フレイアはフィーナに押し付けそのままどこかへ行ってしまった。
(また出張……)
渡された書類を手に天界の人使いの荒さを再認識したフィーナは今更ながら呆然とするのだった。




