私の、私による、私のための成仏を
遠くで妻の泣き声が聞こえる。昔、病気で娘が亡くなった時にも聞いた。あれから一度も聞いてない妻の泣き声が、遠くから聞こえる。何がそんなに悲しいのか、聞きたいのに体が動かない。視界は白く、妻の泣き声以外の声はまったく聞こえない。自分の体が動かないことも、視界が真っ白なことも、不安でも不快でもなかった。そもそも、何も感じなかった。心はまったく波を立てず、穏やかだった。理解したのは、妻が泣いていること、そして、私は死んだのだということだ。
真っ白な視界で唯一聞こえていた妻の声が段々と遠ざかり、私はただ真っ白な世界にいた。少しずつ視界が淡く色づき始め、モザイクが少しずつ取れていくように、視界が輪郭を帯びてきた。
その時に、自分の死体を見た。仰向けに寝かされていた。私の死体が置かれていたのは暗い部屋だった。1辺が3メートルほどの正方形の部屋で、わずかの明りもない。
まっくらなのに見えるのは、おそらく私が死んでいるからだ。死人には光の感覚はないのだろうか。周囲には誰もいない。
あまり自分の全身をくまなく見る機会もなかったが、せっかく死んだことだし、この際しっかり見ておこうと思った。私の死体は、かなり太っていた。こんなにデブだったか、と思って、死んでいるのに笑ってしまった。生きている時は気付かなかったが、へその中にかなり垢がたまっている。汚い。へそが脂肪で埋まっていて洗えないのだろうが、死んでみるとよくわかる。へその中は相当に臭そうだ。
あと、体のいたるところにうっすらとシミがついている。死んだあとにできたものもあるだろうが、単純に加齢によるシミだ。こんなにあったのかと驚いた。普段鏡で見ている姿は、自分が見たいように補正されていたのだ。皆さんも冷静に鏡を見ることをお勧めする。私の感覚では、鏡の情報は実際の3割ほどしか届いていない。勝手に脳みそで良い情報だけを受け取っているのだ。もっと早くに気付けば良かった。死んだあとだから、自分がデブだと知ったところで意味もない。
目を凝らすと、体内の様子もわかった。脂肪だらけだった。死因は病死なのだろうか。肝臓が悪いと健康診断で言われていた。私は酒が飲めないので、肝臓が悪いのは脂肪のせいだとわかっていたが、わかっていて痩せられれば苦労はない。
私がいた肉体は、くたびれて、みじめで、怠惰だった。また、これは生前から知っていることではあったが、性器が驚くほどに小さい。睾丸が3つならんでいるかのようなサイズ感だ。これでよく今まで妻が不満をこぼさなかったと、妻に大いなる尊敬の念が込み上げる。これほどまでに自分の体に愛情を感じない私も私だが、この体を愛した妻も妻だ。
私と妻は、自他共に認めるおしどり夫婦だった。大きなケンカは記憶にある限りしたことがない。意見の違いは当然あるが、冷静に話し合って解決してきた。もちろんお互い不満に思うこともあったと思うが、それを感情任せにぶちまけない理性も同時に持ち合わせていた。不完全ながら、お互い支え合ってここまでやってきた。下の娘が4歳の時、病気で亡くなったが、その時も支え合い、なんとかやってきた。こういっちゃなんだが、良い夫婦だ。
良い夫婦の秘訣は、性交渉だ。私も妻も性交渉が大好きだった。私は不規則な仕事をしていたので、定期的な営みは難しかったが、週に3回は営んでいた。妻の床技は殺人的で、私はただ悶えるだけの時もあった。快感に身を任せていただけの時もあり、そうなると私はただ枕カバーを噛んで、喘ぎ声を我慢するので精一杯だった。
しかし私もやられてばかりはいられない。妻に対して、布団がびしょびしょになるまで責めたてる時もあった。そうしてお互いの体を求めて、しっかりと体の膿を出していた。その生活を10年してきた。二卵性の双子で、息子と娘に分かれた子どもたちも、9歳になった。下の娘が亡くなった時は家族でこの世の終わりかと思うぐらい悲しんだが、日常生活をなんとか取り戻し、家族として平和にやってきた。そして、これからもその生活は続くと思っていた。そんな時、私は死んだ。
結局死体を見ていただけでは死因もわからず、妻のところへ行くことにした。死ぬと便利で、妻のことを思い浮かべるだけで妻のもとへいける。カメラのシャッターを切るような感覚で、あっと言う間に妻のところへいった。
妻は、医師から死因の説明を受けていた。「この若さで腹上死するのは珍しいんですが。」と医者は言った。「基本的には心筋梗塞です。性交渉の時に過剰に上昇した血圧が原因で。」喫煙と肥満も原因だが、要するに大好きな行為の最中に意識を失ったということらしい。
だから外傷もなかったのか。私は噴き出して笑っていたが、妻は深刻な顔をしていた。心優しい妻のことだ。自分が殺したと自分を責めているに違いなかった。妻が自分を責める前、私は妻に責められていたということか。
いつものように快感に身を任せ、この身が悶えて死んだ。悪くない人生だった。子どもたちを愛したし、妻も愛した。最後も悪くない。愛しい妻に責められて、快感のうちに心臓が止まったのだ。文句は言えない。35歳という年齢は少し若すぎる気もするが、心も体も太く生きた。娘が死んだ時、さすがに前向きな私も1週間はまともな神経でいられなかったが、残された息子と娘をきちんと育てるため、それなりに一生懸命やってきた。
死因もわかったことだし、残された家族も心配ではあるが、もう私にもやることはない。先に死んだ娘もいることだし、天界というか、あの世というか、そういうところに連れて行って欲しいと思った。
腹上死という笑える死因について妻と語りたかったが、私の声はどうやら妻には届いていないようだし、妻の体に触れることも出来ない。最後にもう一度、愛しい妻のバストでもひと揉みしていこうかと思ったが、それすらできない。どうせ何も伝えられないし触れられないなら、いても仕方ない。
家族のそばにいて、危険を知らせたり害悪から守ったりすることができるなら、それはそれでこのままいてもいいと思うが、ただ側にいて見守るだけというのは、私はできない。元来がわがままな性格でもあるが、例えば目の前で家族が死ぬ時をただ黙って見てろと言われたら、あなたならどうだろうか。そう、いずれ絶対にその時はくる。私は早めに来たが、それでも息子と娘はまだ生きている。下の娘が逝った時、もうこれ以上子どもの死には立ち会いたくないと思った。
私は、私が彼らのために頑張れることがあるなら頑張りたい。でも、頑張れることがないなら、あとは子どもたちの幸せを願って、祈って、信じて、その場を去りたい。その場にとどまって彼らの成長を見守るという方法もあるのだろうが、ただ見ているだけの苦痛に耐えられる自信はなかった。父親として彼らになにかしらの影響を与えることが出来るなら、いる意味も見いだせる。それも出来ないのにそこにいることは、私は特に望んでいなかった。
死んだあと、私は息子や娘の日常、妻の日常をぼんやりと眺めて過ごした。
家族は私の死後、やや混乱と不穏の中に身を置き、見ているこちらが胸を引き裂かれそうになるくらい、悲しみを表現していた。泣き、叫び、落ち込んでいた。
腹上死という滑稽な死にざまに大笑いしてしまったが、精神的、経済的支柱となっていた自分の死は、残された家族のこれからを大きく揺るがしてしまっている。
やはり最初の予想は正しかった。ただ見ているだけで、こんなにも悲しい気持ちになる。神か仏か知らないが、私の魂を司っている何者かを恨んだ。
さっさと連れて行ってくれればいいものを、どういうつもりで私を放置しているのか。周りを見渡しても、私のように死後ふらふらと家族の側を漂っている存在は見当たらないし、逆に、私を認識しているような、霊感の強い人という感じの人もいなかった。
誰にも存在を認識してもらえず、本当にただ見ているだけ。自分の死後、家族にとって私の存在の大きさを改めて知らされたが、娘を失った時の悲しみを思い出し、その時と同じくらい悲しい気持ちになっている妻や子どもたちを見ているのは辛かった。
しかし、現実に押し寄せるあらゆる物事が、悲しみに暮れる毎日をほぐしていった。子どもたちは小学校に行き始め、妻も経済的に働かなければならず、仕事に行くようになるなど、各々生活を通常運転し始めた頃、日々の喧騒にもまれ、なんとか生き抜く方法を見付けたようだった。
なんとか家族が日常を取り戻したと認識するのに半年かかったが、私のお迎えは一向に来なかった。死後すぐに、特にもう思い残すことなどないと思っていたので、家族も平穏を取り戻した今、尚更未練はない。
あとは、つらく厳しい人生に、ささやかな楽しみを見つけ、私のようにその時が来たら、死後の世界で笑い合いたい。いや厳しい人生だったね、でもやり抜いたよね、と言い合いたい。それまでは上で待ちたい。何があるのか知らないが、ここに留まるのはもう必要なかった。
逆にこのまま留まることで、その時間に慣れ、また離れる悲しみを感じてしまうのも嫌だ。半年も十分長かったのに、この先どうなるかわからない状況が続くことに、私は苦痛を感じ始めていた。家族は、平穏を取り戻したとはいえ、時折むせび泣くこともあった。娘を失った時に私もあったが、ふいに喪失感が襲ってくることがある。予期せぬ早すぎる近親者の死は、不幸を呼ぶのだ。
そもそもが、なぜ私はこの状態でこの世に留まっているのだろうか。まず誰かそれを説明して欲しい。こういうケースは、私もよくは知らないが、この世に未練があって残るパターンじゃなかったのか。私は、未練はないと言っている。むしろ先に逝ってしまった娘に会いたいと、成仏を切に願っている。
どうせ死んだのだから、さっさと逝きたいと思っている。未練はないのだ。もうすでに、半年経って家族の状況は平穏を取り戻しつつある。それを見届け、私の未練の無さは拍車がかかった。もう未練がないというか、未練ってなんだっけという状態だ。
せめて成仏出来ないのなら、理由を教えて欲しい。生きている間に使命は果たした。子を産み、育てた。もちろん、志半ばであることは否定しない。孫の顔を見たい、妻ともまだまだ営みたい。可能なら、また子どもを授かっても良かった。
でも私の人生は幕を閉じた。閉じた幕はもう開かない。再び幕を開けようとも思わない。なぜなら、何回も言って申し訳ないが、私は先に娘を逝かせてしまっているのだ。私の娘は先に待っている。死んだなら、私もそこへ連れて行って欲しい。本当に、逝ったのなら逝かせて欲しい。この状態はなんなのだ。逝きそうで逝かない。すごく中途半端だ。
困った。非常に困ってしまった。困ったまま、私は時が過ぎるのに身を任せることにした。
家族のそばにいて、家族の生活をのぞき見て、彼らが困れば困り、彼らが喜べば喜び、悲しめば悲しむという毎日を送った。そうしてまた、半年が過ぎた。
そろそろ本格的に地縛霊にでもなってやろうかと自暴自棄になりかけていた時、私は、妻に熱い視線を向けている男に気付いた。
妻は毎日同じ電車に乗って出勤しているのだが、その男も同じ時間の電車で出勤していた。私は、満員電車で揺られる妻が痴漢に遭わないかどうか、時々チェックしていた。きっかけは特にない。痴漢をしそうな男がいないかと見ていたら、やたらと頭を動かして妻を見ている男がいることに気付いた。
最初は、痴漢だと思った。わざわざ妻と同じドアから入り、満員電車の押し合いへし合いをいいことに、妻の近くまでにじり寄ってきたからだ。残念ながら、私は妻が痴漢に遭っても助けられない。なので、痴漢に遭わないように祈るためだけにそこにいるのだが、ついに妻も痴漢に遭ってしまう日が来てしまった。妻はどんな顔をするのだろうか。妻は頬を赤らめるのだろうか。嫌悪感いっぱいに、相手をにらみつけるのだろうか。私は、妻が痴漢に遭った時どのような方法で撃退するのか、妻の知られざる戦いを見届けようと、固唾を飲んだ。そして、ちょっと、妻が痴漢に遭った時の反応に期待した。男は、妻の背後にぴったりくっついている。さぁ、痴漢の男よ、我が妻の引き締まったヒップを堪能するがいい。
しかし、男は妻に触れなかった。触れなかったどころか、電車の揺れが起こるたび、妻に人波が押し寄せないよう、体を張って守っている。
私は人の筋肉の動きや股間の盛り上がりまで見ることができるため、男が勃起していないことも、妻にまったく密着していないことも、むしろ妻に密着しないように身を挺していることも、わかってしまった。汗だくになっている男を見て、なぜそんなことをするのか、気になった。
男は、妻と同じ駅で乗り換えるらしく、一緒に下りた。降りた先から、別々のホームに行くようで、妻が反対方向に行くのを名残惜しそうに見ながら、踵を返していった。 私は、興味があったので、男の後をつけた。男は、弁護士だった。
その日、男を付け回して、男の素性、社交性、仕事ぶりなど、様々な情報を仕入れた。
男は敷地という名で、年齢は38歳。中肉中背で、顔は男前とはいえない。ただ、笑うと愛嬌のある顔だった。弁護士になってからは真面目に仕事に取組み、社内でも評価は高かった。地元は青森で、男三兄弟の三男だ。実家にこれといった稼業はなく、長男次男は青森の実家の近くに住んでいる。両親ともに健在で、結婚していないのは三男だけ。青森の両親もすでに多くの孫に囲まれ、三男は弁護士として大成すればいいと、結婚の話もここ数年めっきりしなくなっていた。
なぜこんなことまでわかったのかと言えば、簡単に言えば私が死んでいたからだ。詳しい説明は省くが、死んでいると、知りたいことを知ることが出来るのだ。ただ、知った情報を伝えることも出来ないし、知ったところでなんなのだ。知るぐらい好きにさせてくれといった感じだ。
ついでに、なぜ妻に視線を送っているのかもわかった。こちらはシンプルに、妻の外見が好みだったのだ。しかも、敷地は、近所のスーパーで妻と子どもたちが一緒にいるところも目撃したことがあるらしい。もちろん未亡人だということまでは気付かなかったようだが。
私が敷地についてあれこれと詮索するのには、訳があった。
妻は、働き始めて明らかに疲弊していた。妻は昔から、人付き合いが好きではなかった。相手が自分のことをどう思っているのか、必要以上に気にするのが妻の特徴だ。頭の回転が速いので、処理する情報が多い。そのため、私のように思慮深くない人間の数倍の情報を処理しながら人と関わる。そうすると疲れるのだ。
私が生きていた頃は専業主婦だった。私の死後、妻は子どもたちを養うために医療事務の仕事に就いていたが、女性の多い職場で人間関係に疲れ切っていた。妻には、精神的、経済的な支えが必要だった。
敷地がもしまともな男であるならば、妻にはぜひとも再婚して欲しかった。しかし、話し掛けることも文字を書くこともできない。敷地の情報を仕入れたところで、何が出来るというのか。
敷地が非常に好感の持てる男だということはわかったが、わかったところでどうしようもない。私とて、妻に再婚をしてもらいたいと思う気持ちはあるものの、することがないからあれこれと見て回っているという、むしろ観光に近い。考えてみて欲しい。自分が愛している家族の生活を、ただ見るだけなのだ。見て考えるだけ。なにも出来ないのだ。
敷地が自宅に着いた。私たちの家族が住んでいる町の駅前にあるマンションだ。駅が路線の終点だったから、必ず当駅始発に乗れる。敷地がこの場所を選んだのはそういうことだった。しかも1LDKで7万円台。都心に住む必要もない。
敷地の部屋は、片付いていた。もちろん、細かいところを見ればほこりもたまっているし、洗濯物は干したままだ。ただ、敷地が出来る範囲で清潔を保とうとしていることはわかった。
寝室にはシングルのベッドが置かれていて、リビングには一人用のカウチとテレビがある。サイドボードにステレオが置いてあって、窓際には観葉植物が置いてあった。独身貴族の趣がある。それでいて嫌味のない部屋だった。人に見せるためでなく、自分が好きな物をそろえている、そんな感じだ。
敷地は帰宅して服を着替え、まずシャワーを浴びた。その後、コーヒーを淹れてパソコンに向かい、日記を書き始めた。日記は、とりとめのない内容であったが、のぞきこんでいると、毎日必ず妻のことが書いてあった。「あの人に今日も会えた。」とか、「今日は靴紐がほどけていた。」とかだ。さて今日はどんなことを書くのかと思って見ていると、「うなじが近すぎて戸惑った。」と書いていた。中学生かよ、と無言で突っ込んでいると、思わず、「ぶほっ」と笑ってしまった。すると、敷地がぎょっとして、私の方を見た。
私の方角を見たと言った方がいい。おや、もしかして私の声が聞こえているのか?と、あり得ないと思いつつ、敷地があまりに驚いた表情をしているので、私は心が躍った。「あんた、彼女が好きなのか?」と、一応声に出して聞いてみた。
どうせ聞こえない。家族にも聞き取ってもらえなかった。他の誰にも。この男だけが私の声を聴きとれるはずなどなかった。ただ、久しぶりに会話らしい会話をしてみたくなった。出来心だ。
長い沈黙のあと、「きみは、誰だ?」と敷地が言った。
その後は、大変だった。
敷地は私の存在にパニックになり、私は私で、死んだ後に始めて会えた会話のできる人間に浮かれた。敷地は私を冷静に分析しようと努め、部屋中を歩き回って盗聴器や拡声器を探し始めた。警察に連絡したし、警察に事情を説明していたし、警察に呆れられていたし、最後は叱られていた。私が笑っている横で、「ほら、今笑い声が聞こえているでしょう?」と言った時の真剣な顔がまた笑えた。敷地が弁護士でなかったら、警察はそのまま精神病院に敷地を入院させていたかもしれない。
敷地が落ち着いたのは3時間が経過したあとだった。深夜1時になっていた。
「それで、きみはなんの目的で僕に近づいたんだ。」
ようやく事態を受け止めたのか、ため息交じりに敷地が聞いてきた。どうしたものだろうか。真実を説明するのも気が引ける。人に悲しみを拡散するのは嫌だし、かといってせっかくの話し相手なので、腹を割って話したい。
私は、「あんたが好意を寄せている女性の、守護霊みたいなもんだ。」と言った。敷地はその言葉を信じたわけではなさそうだが、「そうか。悪霊とかではないんだな。」と言って、私の説明を懸命に飲み込もうとしていた。
「あんた、彼女が好きなんだろ。」不躾な質問だが、私が話したいことはそれ以外にないので、単刀直入に聞いた。
「好きだ。好きというか、憧れている。」
敷地はそのあと、咳を切ったように妻への思いを語り始めた。最初から好きというほどでもなかったが、毎日見るうちに好感を持ち始めたらしい。妻が子どもたちと買い物しているところに偶然居合わせ、その時始めて声を聴いた。その声が、天使の声に聞こえたそうだ。
「別に彼女とどうこうなろうっていうんじゃないんだ。ただ、同じ電車に毎日乗れるだけで幸せになる。今日も頑張ろうって思える。それだけだ。」敷地は、最後にそう言って、話を締めくくった。
「彼女、夫を亡くしてるんだ。」私は、ある決意を以て、敷地にそう言った。私が死んで、1年が経っていた。
敷地と妻を引き合わせるのは難しいことではなかった。
なんたって、こっちは死んでいるのだ。妻の行動も敷地の行動も手に取るようにわかる。しかも敷地には私の声が聞こえる。相変わらず姿は見えないようで、私が側にいない間にも私に話し掛けることがあるようだが、私は常に敷地のそばにいるわけでもないので、危ない独り言を話すおじさんにしか見えない。
敷地は外見こそ冴えない男であったが、真面目で優しさに溢れた男性だった。妻は警戒心が強く、いきなり現れた敷地に対しても警戒心がにじみ出ていたが、私が与えた情報を敷地が話すことで、運命的な何かを演出することに成功した。
妻は敷地を信じ、週末には敷地が私の自宅を訪れるようになった。子どもたちは敷地のことをおじさんと呼んでいたが、敷地の真面目な対応に徐々に緊張がほぐれていき、馴染んでいった。
これで私も安心だ。敷地を通じて妻や子どもたちとまた関わることが出来るようになり、私も満足だった。敷地は、私の存在は妻や子どもたちに話さなかったし、私も敷地が私の家族と関わっている時は、声をかけなかった。
少しずつ、家族らしい雰囲気をまとい始めた彼らを見て、私は心が満たされていくのを感じた。悲しさや、寂しさは、まるでなかった。
私を失って悲しみに暮れる彼らに、敷地がささやかな安心を提供してくれている事実が、私から負の感情を奪っていったようだ。敷地と妻、子どもたちは、少しずつ少しずつ、お互いの心の微妙なバランスを取りながら、距離を縮めていった。敷地は、妻との時間を心から大事にしていたし、子どもたちに対しても、愛情を持って接しているのは、明らかだった。
そうして彼らが親睦を深めるなかで、何度か、「お、そろそろ成仏か。」と予感させるような瞬間があったが、結局私は成仏できず、そのまま彼らの周囲をだらだらと漂っていた。敷地は自分の家でなく、私の遺影が置いてある家に帰宅するようになり、夕食を食べて子どもたちが寝たあと、妻と談笑してから自分の自宅に帰っていくという生活をするようになった。
子どもたちが小5になり、秋になった。敷地と妻を引き合わせて、1年が経った頃だった。子どもたちが学校行事で宿泊学習に行くことになり、1泊家を空けることになった。
私は、この時を待っていたのだ。
ついに、妻との営みを、敷地が実現する時が来た。
敷地は、経験豊富な男ではない。弁護士になったばかりの頃、先輩女性弁護士にからかわれ、何度かベッドで一緒になったが、その程度だ。
学生時代に何人かと交際していたが、長くは続かず、性交渉には至らなかった。私の妻とは圧倒的に経験値、技術が違う。敷地が妻の圧倒的な技の数々を受けてどうなるのか、私は楽しみだった。そして、愛し懐かしの妻の妖艶な姿を、今一度見たかった。
思い出して欲しい。私の死因を。妻との営みを愛するがあまり、そのまま逝ったのだ。私にとって、妻との営みは命より尊いものなのだ。死んでもなお、逝ききれずこのようにだらだらとこの世にとどまっている。今の私に未練があるとするならば、妻の営みの再現なのではないだろうか。
敷地は、子どもたちがいない夜に、妻を高級なレストランでもてなした。その後、自分のマンションに招いた。そして、ついに、敷地と妻は熱い営みを開始した。私は、久々に見る妻の様子を、食い入るように見た。その様子は、アダルトビデオのような物ではなかった。
妻を少しでも喜ばせようと必死な敷地、その敷地を、大いなる愛と技で見事に昇天される妻。
妻の技は健在で、圧倒的だった。ふたりの営みは神々しく、妻は女神のように美しかった。敷地は身悶えするのが精いっぱいで、大いなる喜びとわずかながらの羞恥を感じていた。ふたりの行為は、愛に満ち、美しかった。
敷地はその夜、3回昇天した。39歳になった敷地が3回は、命が危ない。これでは敷地が腹上死してしまうのではないかとハラハラしたが、敷地はなんとかこの世に留まった。良かった。私も、久しぶりに見た妻の本気に魅了され、大満足だった。
しかし、私は逝かなかった。敷地が果てて言葉を失くし、妻が優しい眼差しで敷地を見ている。ふたりが愛の営みを終えて一段落している時も、私は逝くことなくそこにいた。行為は終わっている。もう満足した。妻のまったく衰えていない技術は確認できたし、私が腹上死したのも納得だ。あれで死なない敷地の精力には圧巻だ。そして、もう思い残すことは本当にない。どうしたものだろうか。
敷地が、息も絶え絶えといった様子で、妻に、「僕と、結婚して欲しい。」と言った。妻は微笑み、頷いた。
その瞬間、私は突然、強烈な浮遊感に襲われ、視界が徐々にぼやけていった。
白く、視界が白全体に包まれていく。きた!ついに成仏か!
私は、敷地に、「妻をたのむ!子どもたちをたのむ!もう二度と、悲しい思いはさせないでくれ!」と言った。敷地に、私の声が聞こえているのか聞こえていないのかわからなかった。敷地の目から、涙が溢れた。
私は、成仏した。