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崩拳

痛い。

痛い。

痛い。

息をすることすら出来ない。呼吸の一回すら痛みを巻き起こす行為に変わる。

胸がおかしな形でひしゃげている。骨が肺に突き刺さっているのを感じる。

反対に、腰から下の感覚はない。背中を強く打ちすぎたのか。

三度目の呼吸で血を吐き散らす。

痛みを感じる部分がどんどん広がり、頭が様々な苦痛を飲み込んで破裂の寸前まで熟れていく。

死。

このままならば、死ぬ。

痛みを処理できずに死ぬか、呼吸ができなくなり死ぬ。


だが、死は許されない。

呼吸のたびに痛みが引いていく。吐く血の量も減っていく。

この感覚は、知っている。聖職者クレリックによる治療系の精霊術だ。

単独では切り傷や毒を治療するのが限界だが、この街に居る多くの聖職者が総出で回復を行えば、生死に関わる怪我すら治癒できるようだ。

「決して殺さない」。このダメージを受け、それでも死ねない。

改めて恐ろしい言葉だ。一度だけでもミハルの心は折れかけている。頑強なニイルだろうと、これを心が折れるまで繰り返されれば心も折れるはずだ。


「ぐ、カハッ! げ、げっ、げほっ!!」


喉に詰まった血を吐き出す。それ以外の不調はない。完治済みだ。

顔を上げる。コマチがこちらに歩いてきている。

回復の時間は終わった。次は再び蹂躙の時間か。


「た、助けて」


身体を震わせ、叫ぶ。


「助けてくれぇッ!! 誰か、誰でもいい!! 死にたくない!!」


惨めったらしく、壁に沿って移動しながら叫ぶ。


「頼む!! 謝る!! 俺は、俺はもう負けた!! ヒトガタでもコガレでもいい!! 助けてくれ!!」


笑いが巻き起こる。無様なミハルの姿に、会場が盛り上がった。

歯を食いしばり、腰に巻いた鞭を抜き、壁の上部目掛けて振る。

闘技の舞台と観客席を区切る柵に鞭が絡めば、即席の縄代わりとして壁を駆け上るための補助と化す。

駆け上り、回復のために柵近くまで来ていた精霊術師の一人に腕を伸ばす。

手には短剣を携えて、だ。


悲鳴。罵声。

間に合え。

間に合わなければ、活路に足は届かない。

夜明けに辿り着くことは出来ない。

「罠師の腕」の補助を受けながら両手を振り抜き、同時に身体がぐらりと揺れる。

落下開始と同時に身体に突き刺さる蹴り。再び巻き起こる歓声。

見るまでもない。逃げようとしたミハルを、コマチが引きずり落として蹴り飛ばしたのだ。

骨までの違和感は感じない。今度の蹴りはまだ優しい、と感じるのは先程の胸への一撃をまだ覚えているからか。


「そう急ぐな。もう少し遊ぼう」


再び壁で背を打つミハルの耳に届く、無慈悲な声。

顔を上げれば、やはりいつものようにゆっくりとコマチが歩いてきている。

絶望を感じる光景だ。

だが。


(間に、合った……ッ!)


握りしめているのは聖職者の衣服の切れ端。これが欲しかった。

聖職者の衣服は精霊術の発動を手助けするために霊素が練り込まれている。

ミハルのよく使う素材に替えて言うなら、霊素粉末を練り込まれた布。つまり、これ一つで目眩まし用の罠として使える。

一か八か、活路を駆ける靴が揃った。

後はもう、ひたすらに信じて駆けるしかない。


「くそぉ! くそぉ!!」


惨めに叫びながら馬鹿みたいに駆ける。途中で止血用と肩に撒いていた袖に、舞台の灯から火を盗む。

その違和感に相手が気付く前に動く。

一つ。壁に刺さったままの矢を回収し、「罠師の腕」で火矢に変え射る。

二つ。懐から魔術用杖の宝石の残骸を取り出す。胸が凹むほどの一撃を一緒に受けたため、すでに粉々だ。

火のついたままの袖にそれを包み、靴底に残骸が来るように巻きつける。

三つ。飛び上がり、槌の頭とズボンのベルトを握りしめ壁を踏みしめる。


「く……らえ!!」


光。聖職者の衣服が燃え、生まれた目くらまし。光は弱いが、それでも意識を一瞬奪える。

衝撃。砕けた宝石を火霊が食んだ瞬間に生まれた爆発。片足で受けるには過ぎた威力だが、そのおかげで、文字通り爆発的な速度でコマチまでの距離を詰める。


手に携えた槌の頭が拳代わり。常人ならば頭が吹き飛ぶ一撃。

コマチは強い。だが人間だ。目や鼻や口は鍛えられない。先の逃亡の際のミズゴショウの一撃からもそれは分かる。

だから、顔を狙う。しかし「顔の破壊」が目的ではない。

避けるか。受けるか。どちらにしろ一瞬だけ、コマチの動きが制限される。

その一瞬で、「罠師の腕」でベルトを首に結ぶ。力をかければかけるほど強く締まる、地獄の縛り罠だ。

ズボン、衣服、弓の弦。幸い紐になるものは無数にある。コマチが罠を攻略するより早く、無数の紐で首を縛り続ける。


さあ、避けるか。受けるか。

目くらましの光を突き破り、その先に待つコマチを見る。

コマチは、光の向こうできつく目を閉じ、不思議な構えを取っていた。

片足で立ち、左手をこちらに差し出すように平手で伸ばし、右手は頭の横で拳を握りしめている。

ゆっくりと。二人の間の時間を刻むように、ゆっくりとコマチが目を開く。

瞬間、敵意が爆発する。背中が泡立ち、悪寒が身体を駆け巡り、治ったはずの胸の傷がうずく。


「崩拳」


一言。

槌の頭に差し出された左手が触れ、力を受け入れるように手が引かれ。

持ち上げられた片足が、左手に合わせて降ろされ、地面を蹴り。

蹴りの勢いを受けて構えた拳が突き出され。


次の瞬間、ミハルの腹の中央を、コマチの腕が通り抜けた。


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