闘技開幕
周囲の様子を確認する。
闘技の舞台を取り囲むのは、ミハルの背丈の二倍強はあろうかという壁。
壁の上に更に柵が設けられ、その柵の向こうには武器を携えた男(おそらく肉体労働用のヒトガタやコガレか)が等間隔に並んでいる。
一角には聖職者が結構な人数集まっている。回復の精霊術にも長けた彼女らがいるということは、この勝負は「負ければそれまで」では済まないということを暗に意味している。
その後ろが観客席。椅子に腰掛けた女性たちがやいのやいのとヤジを飛ばす。
闘技舞台の上には、ミハルとコマチの二人きり。後は闇の舞台を照らしあげる火霊灯の数々と、無造作に放られた武器の山。
剣、槍、斧といった殺傷能力を持つものに、棍や杖のような長さがあって使い勝手に優れたもの。
魔術用の杖のようなミハルでは使いこなせないものに鞭や枷のような曰く有りげなもの。よく知るものから名も使い方も知らぬもの。飛び道具もいくつか散らしてあり、ご丁寧にミハルの弓矢まで放ってある。
必要とあらばあれを使え、ということだろうか。ミハルの鞄や罠のタネなどを転がしていないあたりは、純粋な闘技ではなくあくまで一方的な見世物ということだ。
「一つ、約束しよう」
身をほぐすように腕や足を伸ばしていたコマチがさらりと口にする。
その約束に意味がないと知っているような、軽い口調だ。
「お前が私を継戦不能に追い込むか、私に敗北を認めさせれば、その時点で闘技は終了。
『これ』を返し、以後ゴーシャの住民はお前に関わらない。お前は晴れて自由の身だ」
「これ」と、胸元のペンダントを弄ぶ。遠目でも分かる。ミハルの身分証だ。
あれを捨てて逃げることも出来るだろうが、それが良い未来に繋がっている可能性はかなり低い。
村にも町にも入ることが制限され、旅先で出会うすべてが敵になる。
そもそも装備も整わず闇の中にあるゴーシャを抜ければ、水も食料も確保できない旅になる。
闇の胎内から抜け出した後でランドリューに会えたような幸運を望むには、世界は広すぎるし、ミハルの知り合いは少なすぎる。
マルカのようにヒトガタとしての運命をたどるほうが余程現実的だ。
ヒトガタ落ちしてユイと出会える奇跡に縋ろうとも、奇跡に巡り会えるまでの時間と命は保証されない。
「余裕だな」
荒れた石舞台を踏みしめる音。既にコマチは武術の構えを取っていた。
甘い考えだ。
コマチの身体能力の高さは既に痛いほど学んだ。
手ぶら、無策、斥候兵としての能力すらろくすっぽ出せない今のミハルに、彼女からの攻撃を避けながら逃げる道があるものか。
拳一つで国すら傾ける『崩拳』と対峙する道のみが、目の前に広がっている。
「私の前で、私以外のことを考えている目だ。
そういう目をされると、ますます気持ちが盛り上がる」
「余裕なもんか。現実逃避だ」
「それがまだ余裕だと言うんだよ」
観客席からのヤジが止み、水を打ったように静まり返る。
全ての人間が、開始の合図を固唾を呑んで待っている。
コマチの放つ敵意がどんどん膨らんでいく。爆発するその瞬間を待ち望むように。
空に打ち上げられた火薬が爆ぜる。
それが合図だった。
次の瞬間、ミハルの眼前には、コマチの拳があった。
寸前で身を躱せば、顔の横を拳が通り抜ける。拳の風圧で吹き飛ばされなかっただけでもよく耐えたものだ。
「しッ!」
身を屈めれば頭の上をコマチの足が通り過ぎる。
今の二撃で二度死んでいてもおかしくなかった。よくぞ身体が動いてくれた。
屈んだ勢いで石舞台を蹴って駆け出す。
背後で大きな音が鳴り、舞台が揺れる。振り返っている暇はない。無力なミハルが生き残るには、とにかく武器が必要だ。
打ち捨てられた無数の武器の中から選び取るのは、革製の鞭、ブーメラン、投擲用の短剣、ミハルの弓矢。
振り返りざまにブーメランを投げる。
位置を測る必要はない。敵意の所在でコマチの居場所は分かる。彼女が今いるのは、ミハルの真後ろ、距離は十歩の位置だ。
回転で風を切り裂きながら進むブーメランが、狙い違わずコマチの胴へと迫る。
石舞台が砕ける音。人が跳躍したというには荒々しく激しすぎる音。
コマチは、余裕の表情でミハルを見つめ、獲物を捕らえられず返ってきたブーメランの上に着地した。
弓を引き絞り矢を放つ。
放たれた矢は着地したばかりのコマチの太腿を射抜かんと飛び、こともなげに出されたコマチの指に挟まれて、一瞬でその勢いを失った。
返すとばかりに二本の指で投げられる矢がミハルの左腕に突き刺さる。速さも威力も弓で射たものとは比べ物にならない。
魔物すら貫けぬ粗悪な矢じりだというのに、難なく腕の肉を裂き、骨で滑って軌道を変え、斜め後方の壁に突き刺さった。
遅れて血が吹き出し、ミハルが苦痛に顔を歪めれば歓声が上がる。
この街の住民は皆、この瞬間を待っていたのだ。




