超越者
霊素粉末に火が染み込めば、視界が白で埋め尽くされる。
無秩序な発光はミハルたちの周辺を染め上げ、一瞬の空白を生んだ。
だが、その空白が刻まれた場所は、ミハルの想定よりやや上方にずれている。
まず敵意。そして足音。
グンと近付く二つの距離。
発光の寸前に、コマチは既に前へと跳躍し、火が燃え渡ろうとする布袋を跳ね上げていたのだ。
まるで流れる時をその足で刻んでくるように。光を背負いこちらに迫ってくるコマチの動きがゆっくりに見えた。
着火と発光のタイミングが読めているミハルと違い、不意打ち気味に繰り出された技に瞬時に対応している。
しかもよく見ると目を閉じている。発光すら察して対応済みらしい。
どんな反応速度だ、と悪態をつきたくなるが、ついている暇はもうない。
相手がまぶたを閉じるなら、閉じたまぶたごと貫くまで。
ミハルはただ真っ直ぐに、二の手を打つだけだ。
コマチの腕がミハルの首目掛けて伸ばされる。目を閉じているとは思えない精度だ。
抗うように左手を突き出せば、コマチの口元がぴくりと動く。掴んだ、という笑みだろうか。
だが、掴んだのではない。掴ませたのだ。
「罠師の腕」が唸り、素早く左手を引き抜く。これで罠が完成した。
コマチの伸ばした手に残るのは火薬と霊素粉末がまぶされた布。すでに着火も済んでいる。
いつかギルゲンゲ相手に使った「自分の手を使った罠」。その応用というべきか。
まずは音。バチリと爆ぜる。
掴んだものの正体に気付いたコマチが、大きく腕を振って布を捨てる。
一瞬遅れて響く音。放たれる光。
そこに紛れて一歩踏み出す。右手に握るのはミズゴショウだ。
平手がコマチの顔に突き刺さり、手と顔の間でミズゴショウが派手に潰れる。
口に染み込め、鼻に潜り込め、目にねじ込め。突きつけた平手を更に押し込み、迫るコマチの右手が掴みかかるより早く手を引き身を翻す。
「ぐ、ぁぁぁぁアアアアア―――――ッ!!!」
人間のものとは思えない咆哮。効果があった証拠だ。
ならばコマチの目の前に姿を表すのはここまで。あとはコソコソ潜んで隠れて逃げるだけ。
駆け出そうとした刹那。
「動くなァッ!!」
足場が揺れる。
どころではない。
足場が砕け、割れ、あるいは跳ね上がり、あるいは崩れ落ち、ミハルの足をその場に留める。
追って空気を激しく揺らす衝撃波。駆け出そうと前傾姿勢になっていたのが災いし、派手にすっ転ぶ。
荒れ放題の石床に身体を叩かれ切られながら目をきる。
そこに居たのは、大きく踏み出した姿勢で石床に足を突き刺したコマチだ。
まさか、そこまでか。
不意を打たれ、体勢を崩され、痛覚直撃の香辛料爆弾を顔面に喰らい。
その状況から無理やり踏み出した一歩で、自身の周囲の石床をぶち壊したのか。
判断力だとか反応速度だとかの領域ではない。
こちらが逃げると察した見切り、顔に受けた衝撃を振り払った執念、無茶苦茶を押し通す身体能力の高さ。
すべてが、人間という枠を超越している。
側頭部に突き刺さるような衝撃。
一瞬のうちに距離を詰めたコマチの脚が、ミハルの頭を蹴りぬいたのだ。
身動きすら取れずに無様に転がる。
痛い。
痛い。
痛みしか感じられない。
呼吸をすることすら痛みを伴う。
ギルゲンゲに顔面を殴られた時の痛みが霞んで思えるほどの激痛だ。
これで死んでいないことすら奇跡というほかない。
「安心しろ。私はお前を殺しはしない」
頭が掴まれ、持ち上げられる。
響く痛みに思わず目が開く。そこには、白目が真っ赤に染まったコマチの顔があった。
「だが絶望しろ。私は決して、お前を殺しはしない」
首に手が添えられ、力が篭められる。
息苦しさが思考を奪い、意識がどんどん靄に包まれていく。
「明日からが楽しみだ。なぁ―――」
首にかけられる力が強くなる。
まるで火霊が握りつぶされたように、ミハルは意識を失った。




