世界に闇が広がる理由
暁の勇者の冒険譚を聞き終えた魔王は、しばし余韻に浸るように目を閉じ。
たっぷりと時間を置いて、噛みしめるように口にした。
「……ああ、刺激的だ」
闇で形作られた椅子に深く背を預け、星空でも眺めるように優しく目を開く。
その目に湛えられた光は、何かに憧れているようにも見える。
「ミハル、君が来てくれたことに、心の底からの感謝を捧げたい。
今、私はしばらくぶりに、生を実感できた気がする」
身を起こし、水を一口飲む。
少し赤みがさした顔で、魔王は切り出した。
「さて、これで私の目的は達せられた。あとは誓いに従い帰るだけだが……
君の心に礼を返したい。そうだな……私もなにか、魔族についてを教えてあげよう」
「なにか、って」
「私のこと、魔族のこと、聞きたいことがあるなら聞けばいい。
君が勇者と知識を分かち合えば、退屈が止む日も近づくだろう」
随分興が乗ったらしく、魔王は身を乗り出しミハルに一方的にそう言った。
魔王直々に差し出してくる新たな報酬に面食らう。
なにか、ここで有益な情報を聞き出すことが出来れば、ユイだけでなく、人間全体が光を取り戻す足がかりとなる。
とはいえ、突然のことすぎてすぐには思い浮かばない。
少し黙して考え込む。魔王は、席を立たず、ミハルが語りだすのをやはり微笑んで待ち続けた。
「あの、じゃあ、教えてもらえますか」
たどり着いた問い。
それは、始まりへの問い。
「何故、世界に闇を広げるんですか」
ムーシャが語ったとおり、魔王は(表面上は)とてもおだやかな性格をしていた。
ミハルが同席して話した中でも、ヨミが見せたような人間への敵意や侮蔑は感じられない。
礼節に敬意すら感じる振る舞いは、人よりよっぽど人らしいとすら覚える。
強大な力を持っている。乖離した倫理観を持っている。それは話す中でもよく分かった。
だが、もしも相容れる道があるならば、と考えてしまった。
だから、問うた。
闇を広げる理由。魔族と人間とが争わなければならない理由を。
「……ミハル、君は……生きるっていうのは、どういうことだと思う?」
切り返される問い。手拍子では返せないその問いに、ミハルは一瞬息を呑む。
「私達魔族にはね、死という概念が存在しないんだ」
ミハルの答えを待たずに、魔王は続ける。
「たとえばこの場で私が首を撥ねられるとする。
私はこの世界から居なくなるだろう。
だが、魔族にとってのそれは、人間にとっての睡眠に近いものだ。いつかの世界、どこかの場所で、再び目覚める」
語られる真実は、この時点でミハルの望む情報から大きく逸れたものに思える。
だが、それはまだ前提と言うように、魔王は言葉を止めない。
「そうして、死ぬこと無く生き続けていると、不意に自分が生きているかどうかがわからなくなってしまうんだ。
だから、魔族は、人間以上に『生きる』ということを求めている。『生きる』とはどういうことか、自身の存在に意味を見出そうとしている。
それぞれが、それぞれの形で、『生き』ようとするんだ」
死なないからこそ生きている意味がほしい。
まるで雲を掬うような、そこにあるはずなのにぼやけてよく掴めないような、不思議な話だ。
ミハルが思っていた以上に壮大な話になってきた。
だが、次に口にされた一言で壮大だった話は一気に目の前の現実へと収束する。
「私はね、『生きる』ということは、刺激を得ることだと思っている。
刺激を得るために様々なことをした。治世をし、別の世界の知識を広め、文明を発展させ、子を育て、人を愛した。施し、導き、産み、ヒトとともに笑った時代も随分長くあった。
だが、時が経てば、得られた刺激は失われ、友と呼び肩を抱いた者たちも愛を捧げ永遠を誓った者たちも消え、残るのは膨大過ぎる未来と死ねぬ私のみ。
いつの時代、どこの世界でも、最後に私は輝くように『生き』て、眠りにつくことを願う。
世界に明けぬ闇が生まれたのは、闇に生まれ蠢く魔から追い詰められたヒトと争い、身を突き刺すほどの刺激の中で私が生を実感しながら眠りにつくためだ」
顔にグラスを寄せながら、朗らかな表情で口にされる争いの根幹。
相容れられるかもしれないという淡い期待を打ち砕く、魔王の存在の礎。
刺激を得たい。
ただそれだけの、闇の始まり。
人間では理解できない不死を起点とし、永年を生きるが故に乖離してしまった倫理観が引き金を引いた闇の誕生。
「ヨミが倒れ闇の一角は崩れた。そして、君の働きによりヨミを倒した勇者は魔王の魔の手を逃れた。
近い未来、私はきっとその勇者と戦うことになるだろう。
胸が躍る。心が弾む。今、私はとても『生きている』と感じるよ」
その微笑みは最初から変わらない。
刺激をもたらす者への、感謝の微笑みだ。
だが、ミハルはその笑顔が心底理解できなかった。
魔王は、微笑み、語る。
「グラップル、ブレイストン、バリー・ボリー、そしてヨミ。破れ散っていった彼らもそうだ。
『何かを破壊すること』、『見下し嘲笑すること』、『存在を奪い貪ること』、『死という完成を求めること』。それぞれ自分に従い『生き』ようとし、そのために闇を広げ、その先にヒトが居たから蹴散らそうとしたに過ぎない。
それはここから先で君と暁の勇者ユイを待つ、ゼット、ギラン・ミルジット、ドーク、そして当然私も一緒だ。魔族はヒトと対しながら、ただ自身の信じた『生きる』意味を全うする。
そのためにそれぞれが身に宿した『邪悪』で人に関わり、研ぎ澄まされた『邪悪』は結果として人を侵略する。
あるいは勝ち、あるいは負け、いつか再び眠りについていく」
「だったら、魔族が戦う理由って……」
「死ねぬ魔族がようやく見つけた、『生きる』という果てのない暇つぶし。
広がる闇にあえて理由を付けるなら……魔族がヒトと関わり『生きる』ため、魔族がヒトを侵略するためだ」
魔族は『生きる』ことを目指し、その結果人と対立し、人を害する。
人は魔族の害を切り抜け、生きるために魔族を倒す。
分かり合う、手を取り合うという道は、最初から存在しなかった。




