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魔王と、勇者と魔王

「応接の用意を」

『仰せのままに』


ミハルの目の前で四方八方を埋め尽くす闇が蠢き、形を作っていく。

数秒も待たず、『それ』は向かい合った一人がけの椅子二脚へと変わった。


「飲み物も出してあげて」

『……無知をお許しください。我はまだ、ヒトが何を飲むのかを知りません』

「普通の水でいいよ」


「いいよね」と振り返り、椅子に腰掛ける存在。

旧友でももてなすような飾り気のない振る舞いは、目先が眩むほどの違和感に繋がる。

魔王の言葉に従い、今度はテーブルと水入りのグラスが生まれる。

促されるままに椅子に腰掛け相対する。魔王はやはり、薄く微笑んだままだ。


「最初にお礼を言わせてほしい。

 会いに来てくれてありがとう」


人類の大敵・魔王と勇者の幼馴染。奇妙な会合でまず置かれたのは、感謝の言葉だった。

どういう意味かをはかりかねているミハルに、魔王が続ける。


「この世界の『最善良』……ヒトの間では勇者と呼ばれてたっけ?

 彼らは皆、私を見ると我慢が利かないみたいで、私も困ってたんだ。

 私の方が我慢できれば良いんだけど……はは、ヒトのこと言えないね」


グラスを手に、満たされた水を揺りながら語る。


「私に親しい者を倒せるくらいに育ったと聞いて、どんなもんかと見に行けば、『見つけたぞ、魔王』『ここで貴様を殺す』『私が勇者だ』『貴様を殺すものだ』……

 今は戦うつもりはないって言ってるのに、勝てるはずないって分かってるだろうに、吠えて、転がって、表情を歪ませながら立ち上がり続けて。

 そのくせ私が適度に痛めつけてから気を利かせて退いてやろうとすれば『逃げるのか』『卑怯者』『戻ってこい』……

 私も魔王だからね、そこまで言われれば、退けないんだ。だから」


今までに三人の勇者を、殺した。

視線は揺れる水を見つめたまま、お礼に添えられる言葉たち。

聞き分けのない子どもについてを語るように、人類史の大事を語る。

強くなった勇者が見たくて現れて喧嘩を売られたから殺した。

ムーシャが語ったとおりの人物だった。恐ろしいほどに、悪意なく、悪を征く人物だった。


「だから、ありがとう」


再度述べられる感謝。


「君は新しい勇者の知り合いだよね。

 君が勇者がどんな風に強いのかを、どんな旅をしてきたのかを教えてくれたなら、私は今回の勇者を見に行かなくて済む。

 いずれ現れる強くなった勇者を夢見て、今しばらくの退屈に耐えることが出来る。

 ヒトにとっても私にとっても、私と君の出会いは、刺激的で、素敵なことだ」


魔王の要求が、さらりと口にされる。

魔王が欲しているのは、暁の勇者ユイの物語。

彼女がこれまで歩いてきた道と、彼女が抱く戦う理由。


「何故俺が、勇者の知り合いだと?」

「感じるからだよ。私を倒そうとする意志の力、『最善にして最良なる者』の加護を。

 随分濃い加護を受けている、きっとずっと一緒に旅をしてきたんだろう。

 私の存在を察し接触を図ってきたのには別の誰かが関わっているようだけど……それでも、勇者を守るために駆けてきたその心は間違いなく美しい」


ちらりと一度だけミハルの手に目をやり、視線を上げる。

その瞳は、真っ直ぐだ。

どんな存在が自分を倒しに来ているのか、楽しみで、楽しみで、見にいっては跳ねっ返りを殺してぼんやり後悔していた魔王が見つけた着地点。

勇者以外の者と接触し、勇者の人となりを聞いて妥協する。

そして、そんな着地点で出会ったのが、ミハルなのだ。


「魔王クー・クー・クライナーの名に誓う。この場で君が真実を語れば、私は勇者に手を出さず居城へと帰ろう。

 君が語った勇者が没するか、勇者としての心を失うか、『私に立ち向かう力を得た』と断じられるその日までは、一人焦がれ続けよう。

 どうだろうか」


穏やかなる魔王は、その名に誓って、交渉を開始する。


「貴方が」

「うん」

「約束を守ってくれるという、保証は」


ミハルが口にした瞬間、空間が震えた。

上部に空間が裂け、ぎろりと何かが見下ろしてくる。

どろりと裂け目から溢れ落ちる泥のような「なにか」は、彼方からミハルの椅子へと迫ってくる。

たった一言。開始されたのが交渉ではないと察する間もなくミハルは闇に飲まれるのか。

これが、魔王か。

だが、魔王は眉間にしわを寄せ、つぶやいた。


「やめろバルテロ」

『……ですが我が王、この人間は、我が王を疑いました。

 魔王の名を軽んじたその態度、望み通り滅ぼせば』

「バルテロ」


「なにか」が、まるで意志を持った動物のように止まる。

そして、風が翻ったように引いていき、最後には裂け目と。


『仰せのままに』


この空間が生まれる際に聞こえた声だけが残された。


「ごめんね。彼にとって私は世界そのものなんだ。だから、私のこととなると随分短慮になる」


やれやれと言うように水を一口飲む。

「バルテロ」と呼ばれたものはともかく、魔王は交渉が続くことを望んでいる、ということだろうか。

鼓動は早鐘を打ちっぱなしだ。叫んでしまいたいほどに、死がすぐ傍にある。


「保証だっけ。どれだけ誓おうと結局は口約束だ、信頼してもらうほかない。

 私は話を聞けば君を解放し、居城へ引き返し、待つと誓う。

 これが信じられないならば、私は信じてくれる誰かを探してまた勇者に近づくだけだ」


隠すつもりもなく晒される敵意。ここでミハルが交渉に応じなければ、勇者が死ぬぞという脅しだ。

退けば地獄は確定した。

進んだ先は混沌だ。闇の中で様々が混ぜ返されて全く見通しが利かない。

だが、地獄を覗くよりは、マシな未来があると信じるしかない。


「分かりました。貴方と、貴方の名に掛けた誓いを信じます」

「うん。ありがとう」


ふわりと浮かぶ笑顔。

魔王はグラスを置き、体を前傾し、ミハルの言葉を待つ。


「始まりは、『世界で一番綺麗な夜明けを見に行こう』という約束でした」


旅立ちと戦い、目覚めた力と集う仲間、離別と再会。

ガンソウ、スケイル、ガジル、そしてヨミ。倒してきた強力な魔族たち。

見てきたもの、知っていること。真実を真実として、かつ彼女の不利に繋がりそうな部分は意図的に伏せ。

ミハルが語るのは、「暁の勇者」の冒険譚。

その全てを、魔王は目を輝かせて聞いていた。


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