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闇の胎内へ

ルセニアを発ってどれだけ経ったか。

闇に踏み込んでもう随分になるはずだ。

どんどん近づく強大な力は、前に進む力を飲み込むように、どろりとミハルの体にまとわりつく。

呼吸すらままならぬ程の威圧感が、草木すら圧し、ミハルの五感をやたらに刺した。


世界は色を失った。

音は濁り、鼻は利かず。

感じるものは闇ばかり。

それでも進む。

約束を胸に、ひた進む。


「楽しそうだね」


死んだはずの世界の真ん中が、ぽっかりと抜け落ちる。

まるで穴だ。

宙に空いたその穴は、どんな闇より暗く深い。

怖気を超えて感動すら覚えるほどの、純粋な闇が、そこにあった。


「君は……私に会いに来たのかな」


闇の中に姿が浮かぶ。

闇を梳いて束ねたような長い髪に、闇が飲み込んだ星空を取り出して編んだような服。

今まであったどんな魔族とも違う、男とも女とも取れる、まるでただの人間のような容姿。

視線はまっすぐミハルに注がれ、口元は優しく微笑んでいる。

だが、ただ佇んでいるだけで垂れ流され、肌を突き刺すその闇が、彼の正体を如実に語っていた。


「貴方が魔王なら、そうだ……です」

「うん。私が魔王。魔王クーだよ。よろしくね、ええっと……」

「ミハルといいます」

「そうか。ミハル、君は……君は素敵だね」


魔王は優しく微笑んでいる。

ただそれだけなのに、膝を折ってしまいそうだ。


「私を見つけ、それでも歩み寄る心。

 武器を構えず、かといって膝を折って的はずれな闇を称えない白さ。

 身を(くすぐ)るこの感覚は、確かに、『最善にして最良なる者』の加護……

 しばらくぶりに、刺激的だ」


闇が渦を描きながら広がっていく。

それに伴うように、空から魔王が降り立ち、ミハルの眼前に立つ。

魔王は、ミハルと同じくらいの背丈だった。世界に手を伸ばす存在にしては、案外小さかった。


「もう、これは必要ないか」


するりと、衣服を脱ぐように、周囲に広げられていた闇が地に落ち散っていく。

ミハルが感じていた威圧感が嘘のように消え去る。


「不便をかけたね」


まるでそれが当然というようにするりと放たれたねぎらいの言葉。

そこに威厳はなく、そして敵意もない。

町人と言われても信じてしまいそうなほどに、変哲もない佇まいだった。


「本当に、魔王、なんですか」

「うん。そうだよ。君の知り合い、『最善良』が倒すべき敵、魔王だ」


身がこわばる。ミハルが『最善良』……つまり勇者と面識があると知っている。

何故と問うか。

相手の機嫌を損ね、先程脱ぎ捨てた力で一撫ででもされればミハルの命はそこで終わる。

奥歯を噛んで息を呑むミハルとは対象的に、ほんわりとした雰囲気のまま、魔王はミハルに語りかける。


「嬉しいなあ。今度はちゃんと、話が聞けそうだ。

 ミハル、君に聞きたいことがたくさんあるんだ。場所を移そう」


魔王が右手を水平に掲げる。

ひらりとはためくマントの影で、何者かが蠢く。


「バルテロ。影を開け」

『御心のままに、我が王』


どこからともなく聞こえた、地を揺るがしたような低い声。

声に従い、ばきりと風景が割れる。

穴。

先程の魔王に感じた「闇」とはまた違う、今度は物理的な穴がそこに空いた。

景色と景色を無理やり割いたように、世界が歪み、そこに闇の蠢く裂け目が生まれた。

溢れ出す闇が冷たく肌を撫でる。

魔王が放つものとはまた違った、足元から登ってきて体を震わせるような闇だった。


魔王はその中に入っていく。

ミハルはその背を目で追い。


「おいでよ。話をしよう。

 そのために来てくれたんだろう?

 道を譲ってくれると言うなら話は別だけど」


魔王のその言葉を受け、闇に向かって一歩を踏み出した。

右足。不明な何かを踏みしめる。

左足。体が全て闇の中に抱かれる。

周囲の全てから感じる、敵性反応。

裂け目が閉じれば、闇の中におぼろな明かりが灯る。

先程までの世界とは全く異なる世界だ。

四方八方が闇を練ったような『なにか』で埋め尽くされた世界。

右も左も、ともすれば上と下すら見失いそうな、混沌の空間。

闇の胎内。

そんな単語が、頭に浮かんだ。

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