唯牙抜剣
●ヨミ
「時の心臓」を握りつぶした瞬間、全ての物の動きが止まった。
ヨミの奥の手、邪悪の解放、「枯れ果てる時の大河」は、邪悪の力によって時の流れを堰き止め、ヨミのみが動ける「全てが死んだ世界」を作り上げる。
一度放てば選ばれた魔族以外は感じ取ることすら出来ず、全ての生命は為す術なく命を差し出し、目の前に突如現れる「死」に染まるのみ。
だというのに。
「……小癪な」
偉そうに指示を飛ばしていた男が何事かを行った。
そのせいで、「全てが死んだ世界」が乱れている。
世界が白く染まり上がり、周囲の様子が見渡せない。
ヨミが邪悪を解放する瞬間に強い光を放つことで、「強い光に周囲が包まれた」瞬間で時が止まったのだ。
「しかし、何故知っていた……我が真髄たる邪悪の能力を」
未だ動かぬ世界の中で、男に対して意識を割く。
ヨミはこれまで、関わってきた人間全員を尽く殺してきた。
ギランの助力もあり、邪悪を解放しようとも目撃者は全員逃さず始末してきた。
だからこそ、断言できる。この能力は、人間には知られていない。それはギランの能力も合わせて絶対。
だというのに、何故、この男はヨミの能力に対する無二の対抗策を、無二の瞬間に打つことが出来た。
「まあ良い……殺すばかりが脳ではない」
敵の位置が掴めず殺すには至らぬとも、止まった時をヨミが動けばそれだけで十分な脅威となる。
間合いを測れず、攻撃も防御も崩れる。その瞬間に仕掛けられればどれだけの猛者でも虚を突かれる。
更に、しばし間をおけば再度時の心臓を握り潰すことが出来る。
男にどれだけの対抗策があるかは知らないが、何度でも、何度でも、相手の手が尽きるまで時を殺し続ければいいだけだ。
とはいえ警戒するに越したことはない。
まずはあの男を殺すべきだと身を翻そうとし。
「……何」
動かない。
大鎌一振り、足一歩、指先すら微動だに出来ない。
かろうじて周囲を感じ取れるヨミの邪悪の力が、渦巻く力を感じ取る。
「『私は夜明けへ向かう者』」
ヨミ以外動けるはずのない世界に声がする。
広げられるのは、聖なる力の翼。
びしりびしりと音を立て、全てが死んだ世界に亀裂が走る。
「『光を纏い闇に抗う、最善にして最良なる者。
邪を祓い、悪を穿つ、聖なる刃。
黒に染まらぬ原初の白』」
無理やり顔を動かせば、強烈な光が目を貫く。
眼底を焼かれるような、痛さまで届く強く鮮やかな光を身に纏い、男に背負われた少女が唱える。
手に握られた剣は光を束ね、時を斬り壊しながら動き出す。
大河が堰を打ち崩すように、ゆるやかに、しかし確実に。激しく、絶対の理を持って。
「……まさか、それが……貴様の『最善良』なのか……?」
「最善良」。これまでの五代に渡る所持者の能力は全て知っている。邪悪への絶対耐性やら殴った相手から活力を奪うやら、真の邪悪の前には意味もないなまくらばかり。
だが、そのどれにもありはしなかった、こちらの認識を遥かに上回る恐るべき切れ味。
思い出すのは「暁の勇者」の逸話の一節。ガンソウとともに山を斬り捨てたと聞いた。
所詮は力の暴走。やおら振り抜いた「最善良」が射程を伸ばし、奥の山を斬り裂いたのだと思っていた。
だが、それでは説明のつかぬこの力は。
無理やり道理を通すならば、立ち塞がるものの「全て」を斬り裂く無双の一閃。
そしてその切れ味は。
「『止まった時』をも斬り捨てるほどかッ!?」
「『唯牙』ぁぁぁぁぁ―――――――――ッ!!!」
振り上げられた「最善良」の刃に時が巻き取られ、動き出す。
精霊が脈動し、自然が鼓動を打ち、呼吸が生まれる。
ヨミが殺したはずの「世界」が、勇者の力で産声を上げる。
「『抜剣』ッ!!!」
振り抜かれた一閃は、誰も傷つけず。
見事なまでに、「止まった時」だけを斬り捨てた。
時が動き出す。
男が放った光と、勇者が放った光が、ヨミから世界の色を奪う。
目先が眩んだその瞬間、不覚と感じたその刹那。
「ッしゃぁぁぁァァァ――――――ッ!!!」
「るぅおおおおおぅらァァァッ!!!」
変哲もない大斧と大剣が、ヨミの身体を交差し、両手両足を斬り飛ばした。




