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約束

○ユイ


思い出に揺られて落ちていく。


出会った日からしばらく、ユイは何故ミハルが自分に構うのかすら分からなかった。

あの頃のユイは何もかもがどうでもよかったのだ。

だから、気づけばミハルがユイの横で、寝るのも起きるのも同じに行っているのにも、疑問を抱かなかった。


夜に寄り添い、昼にともに寝て、そんな日をどれくらい繰り返したのか。

ある夜、ミハルがユイに尋ねた。


「何かを見てるの?」


ユイの答えは、覚えている。


「なにもみえない。だから、こわい」


夜が怖かった。闇が怖かった。

もし夜の内に目を閉じてしまえば、昼がもう訪れず、闇が世界を覆ってしまうかもしれない。

あの日のように何かが来るかも知れない。昼が来るまで、心が休まることはない。


「あそこにはさ、花が咲いてるんだ」

「……うん」

「あの木の根元にはきのこが生えてる。食べられないやつ。

 あっちの家の窓はちょっとななめ。おじさんが窓を修理しようとして失敗したから。

 あそこには、内緒だけど、罠を仕掛けてる。誰かが近づいたら、音が鳴るんだ。

 あそこで光ってるの、あれも内緒、精霊の粉を塗ってみた。ちょっと光って綺麗だと思ったから」


色々と、指差して、闇の向こうを語りだす。


「みえるの?」

「うん。何も見えなくて怖いなら、教えてあげるよ、あっちの木には誰かが一口噛んだ実がぶら下がってる。すっぱいから途中で食べるのをやめたのかな。

 そこの家の屋根には、小さな石が載ってて、あれは昔あの家のおばさんが―――」


並べられていくいくつもの光景。

その時、ミハルの目に本当に見えていたのかどうかは、ユイにはわからない。

でも、ユイはあの日以来初めて、夜に目を閉じ、並んで座る肩に身を預けることが出来た。

誰かが守ってくれているという実感に、身を委ねることが出来た。

時間にすればそう長くない。それでも、闇の向こうを見通すと言いユイに寄り添って語りかけるミハルを感じながら、夜眠ることが出来た。


「夜が怖いなら、闇が怖いなら、僕が代わりに全部を見ておくから。

 なにかあったら絶対に起こすから。ユイちゃんは寝てていいよ」


毎夜差し伸べられる言葉と心。だんだん、夜に眠る時間は長くなっていった。

そうして初めて、ユイは自身の身の回りを振り返ることが出来るようになった。

ミハルが同じ家に住んでいたのを知ったし、ミハルの両親の顔を知った。

昼の光に照らされた村を見て、ミハルが教えてくれたことが全て本当だったと知った。

「凄いね」と言うと、「そうでもないよ」と眠そうに笑った。ユイはその笑顔が、なんだかとても、好きだった。


暗く冷たい眠りの中に、暖かい夢が心の底から蘇ってくる。

いつかの夜。昼が始まる少し前。目覚めたユイがミハルに聞いたのだ。

いつか、この闇が消えてなくなることがあるのか、と。

またいつか、朝日を浴びながら目覚めることが出来るのか、と。

その頃、ついに最初の勇者が現れ、人間が初めて闇から光を取り戻した。

人類は震えながらも立ち上がり、闇を切り裂くべく旅立つ者たちが現れだした。

ケーアの村を通る旅人も少なからず現れ、人々がようやく、前へと進みだした。

きっと、ユイも前に進みたかった。胸に生まれた光を信じるきっかけが欲しかった。


「あるさ」


ミハルは笑って答えた。


「魔族を倒せば闇が晴れるなら、いつか闇は消え去る。

 二人揃って寝坊できる日だって、そう遠くないさ」

「そっか」


くだらない話だ。でも、とても素敵な話だ。

届きたい未来が見えて、ユイの心が動き出す。

闇に怯えた小さな少女が、夜を見通す少年とともに、夜明けに向けて歩き出す。


「ねえ、ミぃくん。もしいつか、いつか本当に夜が明けるならさ。

 いつか、二人で一緒に、世界で一番綺麗な夜明けを見に行こう!」

「いいね、それ。楽しそうだ」


旅の始まりは、きっとここだ。

ユイは夜にぐっすりと眠り、昼になにかあればミハルを守れるようにと身体を鍛えだした。

そして、それからしばらくして、ユイとミハルは旅に出る。

魔族と戦う勇者を助けるための「夜明けへの義勇軍」として、夜明けを取り戻すために。





身体を巡る暖かさ。優しい熱。

瞳を閉じた中でも感じる、ユイが手を回した肩は、身を預けた背中は、衝撃を感じない独特な歩法は、よく知った相手のものだ。


「少しでいい! 時間を稼いでくれ!」


からっぽの頭に染み込むその声で、心に光が灯る。

二人一緒なら、どんな闇でも、怖くない。

きっと、遥か彼方の夜明けにだってたどり着ける。

腕を動かし、彼の肩に手を置く。一瞬だけ歩調が崩れる。それでも、一瞬だけだ。


「ミぃくん」

「おはよう、ユイちゃん」


数年ぶりに勇者ユイと斥候兵ミハルではなく、ユイとミハルが挨拶を交わす。

それだけで、ユイの心が燃え上がる。眠気も疲れも吹き飛んで、光を求める心が溢れ出す。


「どういう状況なの」

「魔王の翼が動き出した。奥の手を使ってくるつもりだ」


口にされる、「魔王の翼」ヨミの奥の手。

恐るべき力。失意に溺れ膝を折ってしまってもおかしくない、絶対の力。

だが、心に「限界」という文字は浮かばない。

身体を渦巻く「最善にして最良なる者」の力が、立ち込める闇に向けて真っ直ぐに伸びる。

今のユイなら、抜けるはずだ。

「暁の勇者」の神髄たる、最善良の刃を。


「邪悪、解放―――」


「魔王の翼」の手の上に、脈打つ「何か」が手繰り寄せられる。

それを見た瞬間、ミハルとユイが同時に動いた。

ミハルはユイを背負ったまま天空目掛けて矢を射る。空を掛けた矢が宙を舞っていた袋を突き破り、ばらまかれた粉塵に火矢が突き刺さる。

ユイは剣を掴んで構える。体内を暴れまわる「最善良」の力が、手を伝い、柄を通り、切先まで行き渡り、その刀身をまばゆく輝かせる。


「「枯れ果てる時の大河」」


脈打つ「何か」―――時の心臓が握りつぶされ。

瞬間、世界の全てが静止した。

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