重なる動線
○ユイ
マルカの身分証について、ルセニアの冒険者組合は当然難色を示した。
だが、「暁の勇者」の申し出。最終的には組合長も頷くほかない。
ユイは、生まれてはじめて「勇者」という肩書をありがたく思った。
始まってしまえば早いもので、短い昼が終わる前に全てが整った。
組合長手ずから持ち寄った新たな身分証は、ルセニア市民としての身分を表すもの。
これでマルカの一応の無事は確保できた。
後はミハルと彼の仲間を待ち、マルカのことを含めこれからのことを話し合えれば……
町を囲む見張り櫓の一つから、けたたましい鐘音が鳴り響く。
警報。
心が追いつく前に身体が動く。
新しい身分証を持ったままの組合長を置き去りに、通りを駆けて跳躍し、建物の屋根に跳び乗る。
幾つもの屋根を跳び伝ううちに、その警報の示すところが目に入った。
空が動いている。
闇が、地平線の端からこちらに向かって伸びてきている。
「魔族……!」
闇を広げることが出来るもの。人間の天敵。
一直線にルセニアに向けて迫ってきている闇を見るに、既に目標と定められていると考えるべきだ。
剣の柄を握る手が震える。
怖い。
広がる闇の速度が尋常ではない。どれだけ強力な魔族が、あの闇の根本に居るのか。
どんな時だって背を預けてきたミハルは居ない。頼もしい暁の勇者団もない。ここに居るのはユイだけ。
目をきつく閉じる。目尻に熱が渡り、涙がこぼれそうになる。
感情の波乱に合わせて勇者の力が漏れ出す。屋根にひびが走り、空気が弾けて鳴る。
それでも、歯を食いしばり、剣を握る力を強める。
この世界で、魔族に対抗する力を一番持っているのは、きっとユイだ。
ユイが逃げれば、人間が魔族に対抗する力は大きく欠ける。
人々が闇に飲まれ、眠れぬ夜がまた生まれる。
ユイは、勇者だから。
ユイは、「最善にして最良なる者」なのだから。
戦わなければいけないのだ。
足に力を籠め、跳躍する。櫓を飛び越え町の外へ、着地した瞬間に足に全力を籠めて駆け出す。
ユイに踏みしめられた大地が砕け、駆け出す瞬間のインパクトで後方へ吹き飛び散っていく。
走る。
走る。
勇者としての力を足に篭め、力の限り走り続ける。
通常の行軍速度の十数倍で走れば、彼方に見えた闇の際もすぐそこだ。
剣を抜き、構えて駆ける。
広がる闇の根本には、雲霞のごとく押し寄せる「何か」の軍勢が居た。
○ミハル
ふ、と。
まるで独特な匂いを感じたように。
まるで蠢きの音を耳にしたように。
当たり前のように感じ取り、そして戦慄した。
地平線の向こうで湧き上がる無数の敵性存在。
衝撃に視線を奪われ、その空の有様に言葉を失う。
「ほお、なんか凄いことになってんな」
闇が蠢き、青空を端から端から飲み込んでいる。間違いなく、魔族の侵攻だ。
その侵攻の向かう先にあるものは、ミハルたちの目的地・ルセニアの町。
いずれかの魔族がルセニアを飲み込もうと進んでいる。
そしてその魔族は、トウトなどとは比べ物にならないほどの力を有している。
「ミハルさん、どうしたんですか?」
「……すごい数の、敵がいる」
「すごい数? 魔族の軍団ってことか?」
「いや、違う……魔族にしては弱い……でも、多い。
あの闇の広がりの端の端、感じ取れただけで二桁は優に超えてる。
全体でどれだけ居るか、想像もできない数だ」
広がる闇の中央部までの距離は知れないが、それでも自身の経験から離れていることは理解できる。
侵攻する陣の端に二桁体を配置するほどの戦力。
その中央に控えるのは、どんな魔族か。
あるいは、その中央に居るのが、「魔王」なのか。
「……あー、じゃあヨミさんですね」
旧友の名を出すように、素性を明らかにしたムーシャがその名を口にする。
「ヨミ?」
「「魔王の翼」ヨミさんです。
生き物の死体を操ったり、怨念にエネルギーを与えて魔物に変えたり出来るんです。じめじめーって感じの方ですね」
明らかにされるその正体。
翼を広げたようなその陣形を指してか、それとも翼で飛ぶような侵食速度を指してか。名乗るは「魔王の翼」。
もし、素面で出逢えば、絶望に心を支配されるであろうその状況下。
だが、三つ。今のミハルたちには、希望をつなぐ光があった。
一つ、幸いなことに、侵攻する敵の側面に位置できており、こちらの存在はまだ気取られていないだろうということ。
二つ、「魔王の翼」ヨミの進行方向であるルセニアの町には勇者ユイが居ること。(あるいは、ユイを狙ってルセニアに侵攻しているのか)
三つ、もちろん人間と魔族両者の盲点、魔人ムーシャがここに居るということ。
「ムーシャ、ヨミってやつを知ってるのか?」
「ええ、まあ。何度か会ったことありますよ。
私ヨミさんってあんまり好きじゃないんですよね。
魔物食べたら怒るし、話してることが変だし、怒りっぽいし、じめじめしてるし、ギランさんと話してたら睨んでくるし、魔物食べたら怒るし……」
私情混じりの怒りをぷりぷり呟くムーシャ。どうやらかつて怒られたことを根に持っているようだ。
怒りはさておき、ガルグが尋ねる。
「だったら、ヨミってやつの戦い方なんかも知ってるってことか」
「戦い方……うーん、まあ、あの人が戦うかどうかって言われたら、微妙なところですけど」
ムーシャが語る、「魔王の翼」ヨミの正体。
それを聞きながら、作戦会議を行う。
ルセニアへの道すがら、装備もまだ整っていないがやるしかない。
斥候兵、元山賊、魔人。三人組で「魔王の翼」への奇襲開始だ。




