ぬかるむ勝利の余韻の上で
大きな練技の刃で斬り上げられた森の木々が空から降り注ぐ。
まるで幻のような光景だった。
幸い、森の中でも多少開けた精霊殿の近くに居たことで、どしゃぶりの木々に打たれることはなかった。
さっきから今まですべてを通して、助かった、というべきだろう。
立ち上がり、歩きだす。
ぬかるんだ罠の上でも、ミハルだけは「走破の足」のおかげで影響なく動き回ることが出来る。
ぬかるみの範囲は広大、しばらく手間取るかとも思ったが、案外この手間は長く続かないかも知れない。
何故なら、魔族の支配から逃れたスイカの森の上空には、青く晴れ渡った昼の空が広がっていたからだ。
日が出た影響か、霧も随分薄くなっている。帰り道も不都合なさそうだ。
「ミハルさーん、無事ですかー」
「……なんとか」
「良かった良かった。ギリギリだったんじゃないか?」
「たしかになぁ」
「山の幸探検隊、大勝利ですね! へーい!」
「その名前、なんとかならないのか?」
ガルグに背負われたまま片手を上げたムーシャとハイタッチを交わし、そういう流れかと合わせて手を上げたガルグともハイタッチを交わす。
三人の誰が欠けてもなし得なかった、ギリギリの勝利だ。
「ところで、なんで背負ったままなんだ?」
「あー、なんかなぁ」
「お腹が減っちゃって、動けないんです。ミハルさーん、なにか持ってませんかー」
「ミズゴショウ食べるか?」
「えっ、えっ、えっ!? 嘘でしょ!? いいんですか!!
わた、私、泣けてきました!! 幸せが、こんなに幸せなことが、あるんですね、人間って!!!
うおおおおおおおおおお!!! いやったあああああああああああああ!!!」
「こらムーシャ、耳元でうっさい」
「うへへ、ごめんなさい」
泣いている。ガルグに背負われたまま涙を流して喜んでいる。
動けないというムーシャにミズゴショウを食べさせながら周囲の気配を探る。
周囲には人の気配も魔の気配も感じない。トウトが居た場所にも、主を失った爪が残るのみだ。
あの爪を持ち帰り冒険者組合に渡せば、山の幸探検隊(仮に使わせてもらう)の名は瞬く間に広がるだろう。
だが、そんな未来の夢よりも、思いを馳せることが山ほどある。
「逃げられちゃったな」
「……ん、ああ。だろうな。
なんも言うなよ? お仲間の面倒も、命があればこそ焼けるもんだ」
「そうだな。ありがとう」
攫った一人、木に縛り付けた一人、どちらの人攫いの気配も感じられない。
敵も無法を歩く者、きっとなんらかの対抗手段を潜めておいて、命からがら逃げ出したということだ。
スイカの森の霧が晴れればきっとここにはしばらく戻るまい。
暁の勇者団の情報は、すっぽり闇の中だ。
だが、ミハルとて事の大小は弁えている。ガルグたちが来なければ死んでいた。責める筋合いなんて毛ほどもない。
「……ミハルさん、私思い出しましたよ!」
「なにを?」
「ミズゴショウ、十二の伝説の香辛料の一つなので切って干したり潰して料理に混ぜたりして食べると美味だと物の本で読みました。
ぜひもっと採って帰りましょう!」
ミズゴショウを食べ終えたムーシャが持ち前の図々しさでにこにこ言う。少し余裕が出てきたようだ。
彼女のことも、思いを馳せるべきことである。
「ムーシャも、ありがとうな」
「何がです?」
「指のこととか、最後のよく分からん魔術とか。ありがとう」
「あー、えー、はい、まあ」
ムーシャにしては珍しい表情だ。ムーシャが彼女なりに隠そうとしている、あまり触れられたくない場所らしい。
隠していることに大方の見当はついているが、この期に及んで詮索する気はない。だが感謝はしたい。
だから、簡潔に謝辞だけを述べて、そのまま流した。
「にしても、腹が減って動けなくなるなんて、不便な技だな。
最後の最後、どうしてもって時の奥の手にしか使えないな」
「オレは好きだぞ。あれブン回すの。毎度あれでもいいくらいだ」
「それじゃムーシャが痩せちまうよ、腹ぺこで」
「そりゃ困る。もちもちがないもちもちなんて連れてく意味がない」
「……おおっとぉ? 今なにか聞き捨てならない言葉が聞こえましたねえ」
ガルグも察し、話を合わせて歩き出す。
そして、こちらの雰囲気を感じ取り、ムーシャも雑談に加わる。
「さーて、次どこだ。リウミか、ルセニアか」
「その前に、魔獣を狩ろう。ムーシャが腹ぺこで俺たちを食わない前に」
「あ、あ、ミハルさん! ミズゴショウ、ミズゴショウ忘れちゃ駄目ですよ!
あと、出来れば、食べられる木の実とかがあればそれもお願いします! お腹は減ってるので!!」
ガルグからムーシャを預かる。ぬかるむ道ではミハルが背負ったほうが効率がいい。
重量感はあるが、「走破の足」のおかげでぬかるみに沈むことはない。
ぬかるみに足を取られるガルグに歩調を合わせ、勝利の余韻の上を三人で歩く。
時々木の実を回収しムーシャの口に突っ込んで、冗談を飛ばし合いながら。背景を気にせず、単純に「仲間」として並んで行く。
森の出口は、もうすぐだ。




